固ゆで卵と変な奴ら ミクロコスモス・スクランブル! プロローグ【七夕パーティ】

「……人形、好きかい?」
「大好き!」
 
七月七日。ホテル【ショコラガーデン】の七夕パーティにて。
人形という共通の趣味があった二人の男女が意気投合した。
 
切っ掛けはひどく単純だ。
ホールの片隅に展示された七夕にまつわる品々のうち、ガラスケースへ収められた七夕人形だけを鑑賞するモノ好きは、二人だけだったのだ。
短冊や七夕馬は有名であっても、七夕人形はマイナーもマイナーである。
たいていは
 
珍しい! こんなものがあるんだ!
ふーん……。
次見よ。
 
で終わってしまう。
だがこの男女は並々ならぬ人形への関心があった。面識もないのに、板製・紙製の区別なく七夕人形を二人並んで鑑賞してしまうぐらいには。
一息吐いてようやく互いの存在に気づき、最初に交えた言葉が前述のやり取りである。
 
人形好きであると通じ合った二人はごく自然に握手をする。その後、女性の方から話が始まった。
 
「やっぱり人形に意味って大事だと思うんだよね。何のためにあるのか、用途は。その点、この人形は良い。七夕伝説のエキゾチックさがよく表れている。織姫のルーツには織女……機織り、手芸上達の祈願もあるらしいし、私も作ってみようかなー」
 
一目で欧州人だとわかる顔立ちの、青い目をした女性はうっとりとた七夕人形を眺めている。
 
「俺は変わらなく美しい人形が好きなだけで、あんま意味とかは気にしないが……そういうんだったら面白い話がある」
 
青い目の女性は興味津々に右手に大きな四角いカバンを吊り下げた、面長の男へ聞き返す。
 
「面白い話?」
「ああ、 彦星アルタイル 織姫ベガ 繋がりだ。なんでも 小宇宙ミクロコスモス とは人間のことなんだそうだ。天に輝く大宇宙と対応関係にある摩訶不思議な小宇宙、その名は人間ってな」
「……ふーん、それで?」
 
青い目の女性は含みのある態度で先を促す。
 
「もちろん人間なんぞどうでもいいが、人型が宇宙の似姿なら、人形もまた宇宙と考えていいんじゃないか? むしろ全てを受け入れてくれる人形こそ、人間より愛しい 宇宙ソラ に相応しい。果てしなく受け入れるものの比喩と言えば海だが、俺はこっちの方がいいね」
 
おどけるような調子の男に、青い目の女は同意した。
 
「悪くはないね。……でもそしたら、あそこのカリカチュアたちも宇宙なのかな? 一応、人の形だし」
 
彼女が指さした先を見て、男は苦笑した。
 
「わりぃな、着ぐるみは専門外だ」
 
 
 
七夕パーティはホールと庭園の二か所にまたがって開催されている。七夕関連の品もさりげなく展示されているが、メインイベントは庭から星空を鑑賞することだ。移動が不可欠なため採用されたのは立食式。ホールにあるテーブルの上には多種多様なサラダやつまめる料理が用意されており、客が自分で小皿に盛り付けていく。
冷房が効いたホールで過ごしつつ、気が向いた時や消灯時間に庭へ出てみる。そんな楽しみ方をしてほしいホテル側の工夫だった。
その上ショコラガーデンはガーデンだけに、庭へかなりの自信があるのだ。パーティに活かさない手はなかった。
 
だが前述の洒落たサービスも子供たちには関係がない。宇宙大好き少年少女でなければ退屈な催しだ。
それはいかん! と子供たちのために用意されたのが、『彦星くん』と『織姫ちゃん』の着ぐるみだった。
 
彦星くんと織姫ちゃんの着ぐるみはパーティ会場を巡回し、退屈そうにしていたり、走り回る子供たちへ近づいては歓待を繰り返していた。
 
その片割れである彦星くんはフロアに落ちている人形に気づいた。オレンジのドレスを着たその可愛らしい人形だった。
彦星くんは当たり前のようにその布製の人形をむんずと掴んで、拾い上げる。丸っこい手つきをした彦星では構造上、不可能なアクションだった。
異常な現象だ。手の部分がぐにゃりと変形したのだ。庭の方で頑張っている織姫ちゃん(二十七歳独身最近ちょっと夜に飲むアルコールの量が増えている系ホテル職員女性)が知れば叫び声をあげるだろう。だが、どんな異常な現象だろうと察知されねば無いのと同じだった。
まだ、今はまだ彦星くんは変哲もない着ぐるみのままだった。
そのありふれた着ぐるみ(?)の彦星くんはあたりをキョロキョロと見回す。
 
「ミーちゃんどこぉ?」
 
一生懸命、人形の名前を呼びながらうろうろしていた小学校低学年くらいの少女を発見した彦星くんは、ひょこひょこと彼女の傍へ寄り、人形を差し出した。
女の子は泣きべそ一歩手前から、わぁ、と喜んで 人形ミーちゃん を受け取った。
 
「ありがとう彦星くん!」
 
彦星くんは両手を持ち上げて、コミカルな動きをした。
 
「もう人形のこと落としちゃだめだよ、ふひっ!」
 
いや喋るんかい。
 
「うん!」
 
……とはもちろん思わず、女の子は無邪気に答えたのだった。
 
 
 
立食式のパーティと言えど、座る場所がないわけではない。ホールの壁際や庭園には休憩用の椅子がいくつか用意されていた。
その中の一つ、ホールにあるソファへ肘を立てて座っていた令嬢は、つまらなそうに着ぐるみの彦星くんと小さな人形を胸に抱えて喜んでいる少女を眺めていた。
彼女の隣へ控えていた執事服の男が令嬢へ囁く。
 
「しずね様、オーナー殿が返答をお待ちです」
「ああ……」
 
と令嬢、常盤しずねは自分の前に立つ、ショコラガーデンのオーナーを見上げる。
 
「資金援助でしたね。構いませんよ。衛星都市で立地は悪くありませんし、もてなしも行き届いています。将来性の芽は充分でしょう」
「あ、ありがとうございます!」
 
オーナーは小さくガッツポーズをとった。最近の不景気で存続が危ぶまれていたショコラガーデン。その起死回生の一手として開催された七夕パーティは、実質この大企業の令嬢、常盤しずねのためのレセプションパーティだった。
工夫を凝らし、オーナー自ら接待してようやくつかみ取った援助である。企画段階からずっと張り詰めていたオーナーは、肩の荷が下りた心持ちでいっぱいだった。
しずねは小さく呟いた。
 
「とても、迷惑をかけますしね。お詫びです」
「え? 今、何か仰いましたか?」
 
聞き返すオーナーにしずねは白を切る。
 
「何も? そうですよね、式神」
 
話題を振られた執事服の男、式神は微笑を浮かべた。
 
「はい。心配する必要はなにひとつございませんよ!」
 
 
 
少し離れたテーブルで、その言葉を小耳に挟んだ警察庁霊障対策室、通称“霊対”の室長、真井は呆れる。
 
「気楽なものね」
 
隣に付き従う霊対の部下が問う。
 
「どちらがですが?」
「両方よ。危険だと警告したのに」
「ホテル側にとっては藁にも縋る思いなんでしょうね。ちょっと調べただけでも結構な経営難ですし」
「知ったことじゃないわ」
 
室長があまりにもバッサリと斬り捨てるので部下は困ったように、あはは、と笑って誤魔化す。
 
「なら今からでも全ての事情を開示しますか? ホテル側はともかく、警察からの不審者情報をいつものことと切って捨てた常盤の令嬢は動かせるかもしれません」
 
真井は部下を横目に収めて、これ見よがしに鼻を鳴らした。
 
「バカ正直に霊障対策室だと名乗って、このホテルに 吸血鬼・・・ がいる可能性がありますと? 馬鹿じゃないの。誰も信じないわよ、そんなの」
「ですよねぇ」
 
社会の裏にはオカルトがある。闇の中には魑魅魍魎がいる。だがその大半は恐るべきものではない。不思議な力があったとしても、数が少なすぎるのだ。数えるほどの霊的国防組織(“霊対”もここに含む)が存在するだけで、国中の平和を保てるぐらいには小規模な世界の話に過ぎない。
だが例外はどこにでもある。闇の中のさらに闇。
伝説級の怪物は話が違う。一人二人ではどうにもならない災厄だ。
だから今回、“霊対”は動かせる全ての所属メンバー二十九人と真井室長一人、そしてとあるアドバイザー一人を加えた三十一名を七夕パーティに潜り込ませていた。
室長はパーティ会場を見渡して決意を滲ませる。
 
「とにかく、ここいるのは守るべき市民たちよ。彼らに危害を加えられる前に捕まえる必要があるわ。あの吸血鬼――オールドローズを」
 
 
 
ところ変わってショコラガーデン最上階、スウィートルームの一室は真っ暗で、汚れていた。
シャンデリアや窓ガラスは盛大に破砕しており、風に揺れる品の良いカーテンには赤黒い血しぶきが染みついていた。カーペットも壁も血で汚れており、血の惨劇と表現せざるおえない。
これで死人が出ていないのだから、悪い冗談である。けれど死人が出てなかったとしても、スウィートルームに泊まっていた彼らは一人を除いて再起不能だった。
今夜、ある筋から“願いを叶える儀式”がショコラガーデンで行われることを聞きつけた魔術組織、銀の 指揮棒タクト は、事件が始まる前から壊滅したのだ。
真っ青な顔で倒れる銀の 指揮棒タクト の構成員たちを足蹴にする人影が一つ。
ひたりひたりとその人影が歩み、揺れるカーテンの隙間から降り注ぐ月明かりの下まで来る。
 
 真っ赤な少女だった。真紅のコートに紅色のパンツスーツ。赤い長髪と鮮血の瞳をした、あまりにも赤い少女だった。
 
「隠れても無駄だぞー……少年」
 
吸血鬼オールドローズは口元から血を垂れ流し、狂人のように哂っていた。
 
「魂が腐った連中しか吸えなくて気分が悪いんだ。困らせないで、素直に出てこい……殺しはしないよ……」
 
赤い液体で塗れたカーペットを踏みしめる。オールドローズは舌でペロリと口周りの血を舐めとる。
 
「弱くてー、震えてー、隠れているつもりか? それで……ほれ」
 
オールドローズはベッド下に手を突っ込むと、 の腕を掴んで引っ張り出した。
 
「うぐっ!?」
 
赤い吸血鬼は、たった一人残った銀の 指揮棒タクト 構成員の男をベッドの上に放り投げた。
 
「うぐぁぁぁぁ!?」
 
あまりの力強さに、男はもんどりうつようにベッドに転がる。勝ち気なはずの彼の瞳は恐怖に慄き、肌には脂汗が浮かんでいる。
 
「な、な、なんだよお前ぇぇぇぇ!!」
「グッドイブニング、少年。吸血鬼だよー」
 
オールドローズは男に馬乗りになり、片手を彼の首に這わせる。むせかえるような血の匂いが少年の正気を削っていく。
だが正気を失うわけにはいかない。なにかしなくては! 言わなくては! 殺される!? その恐怖が少年の意思を駆り立てる。
 
「ひっ! なっ、何が目的なんだァ!」
 
オールドローズは間髪入れずに答えた。
 
「長い生の暇つぶし」
 
カパリ、と彼女が口を開ける。鋭く尖った犬歯が少年の首元へ近づく。
まずいまずいまずい、なにかなにかにか!? 言わなければ死ぬ! やりたいこともやれずに喰われる! 言わなくては! 言わなくては!
目の前の怪物は命を奪う理不尽であると本気で怯えた男は、腹の底から苦し紛れを絞り出した。
 
「だ、だったら!!」
「あん?」
「僕がお前の暇をつぶしてやるぅぅぅ!! だからやめろぉおおお!!」
 
情けない悲鳴を上げる。ああクソ、まともに啖呵を切ることすらできやしない。こんな人生最悪だ!
男は恐怖と慟哭と生存本能の狭間にある冷静な部分で自嘲する。
しかし、オールドローズは、ピタリと動きを止めた。ゆるゆると顔をあげて、男と目を合わせる。真っ赤な虹彩とブラウンの瞳が交わる。
 
「えっ?」
 
呆けている男へ、オールドローズは打って変わって親しげになる。
 
「んむ、気が変わった。ボク、名前は?」
「さ、聡……鴨野、聡ですけど……」
 
オールドローズは誘惑するように男へ問うた。
 
「ねぇ聡。なんでも願いを叶える魔法、欲しくはないか?」
「っほしい!! ほしいよ!! ほしいに決まってるだろ!!」
 
鴨野聡は即答する。それは命の危機にあるから……だけではない。
聡は銀の 指揮棒タクト の新入りであり、落ちこぼれである。一年ほど前に加入してから、ずっと魔術を習得できず、結社の下っ端に甘んじていた。
オカルトと合わない以上さっさとやめて元の生活に戻れば良いのだが、いまさら不思議な力との縁を切って退屈な日常に戻る気にもなれない。
諦め悪くしがみついて、何者かになろうとしてうだうだと時間を浪費する。
オカルトのせいで鬱屈してしまった男。それが鴨野聡なのである。
 
語られるべきバックボーンはそれだけだ。細かいこと……銀の 指揮棒タクト のシステムや魔術の理論は論じるには値しない。少なくとも今夜だけは、確実に。
 
オールドローズは彼の答えを聞いて、ニヤけた。
 
「ハン、欲しいだけでは手に入らんよ。自分でやらないと。私ではなく、 私を従えたお前が・・・・・・・・ 。……なぁに、長い生の中、これくらいの戯れがあってもいいだろう。のう? 我が主人?」
「……は、い?」
 
聡は茫然と目をぱちくりとさせた。
 
 
 
「室長、吸血鬼の気配はありません。人形も、……少なくとも奴が注目しそうな霊的な特徴のある人形もありません」
 
傍に控えている者とは別の部下に報告を受けた“霊対”室長の真井は、そっけなく命じる。
 
「そう。巡回を続けなさい」
「はっ」
 
歩き去っていく巡回担当の背中を見ながら、真井は険しい表情でテーブルに置いてあったワインを飲んだ。
 
「ちょ、室長! 勤務中ですよ!」
 
傍らに控えていた方の部下に注意されるが、室長は雑に流す。
 
「硬いこと言わないの。……なら 人形ミクロコスモス ってなんなの……?」
 
ポツリと呟いたのは、今夜の最重要キーワードの一つである。
警察庁霊障対策に齎された匿名のタレコミ情報。
 
“吸血鬼オールドローズは七月七日のショコラガーデンに、 人形ミクロコスモス を狙って現れる“。
 
という一文が書かれた手紙を真井は思い返す。
 
「ガセネタを掴まされたのでは?」
「オールドローズがこのあたりで目撃されてることから考えても、このホテルには 人形ミクロコスモス ……少なくともオールドローズが関心を持つ物があるはず。それは間違いない」
 
状況証拠はこのタレコミが正しいと示している。しかし、吸血鬼は見つからない。ならば彼女が狙っている物品の所在を掴みたいところだが、人形と書いてミクロコスモスと読ませるような、珍妙な品の正体がそもそもわからない。。
そして、霊対にわからなければ、わかる人間を用意すれば良いのだ。
 
「ふん……いけすかないとはいえ、あれの意見も聞かないとダメか」
 
真井は今回呼び寄せた、人形の専門家にしてアドバイザーへ連絡を入れた。
 
 
 
「人形には可能性があって、私達の創意工夫が彼らをどんな者にだってする――あれ、ごめん、ちょっと待ってね」
 
七夕人形の前で談笑していた青い目の女性はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、慣れない手つきで操作する。
彼女はやれやれといった様子でスマートフォンを仕舞った後、申し訳なさそうに話していた男を見た。
 
「ごめんなさい。もう行かないと」
 
名残惜しそうに告げる青い目の女性へ、男は軽い態度だ。
 
「いいさ、どうせ一期一会だ。あんたの人形道にグッドラックで、さようなら。でいいだろうよ」
「……ありがとう、また会ったら名前を教え合ってもいい?」
「期待はしてないぜ」
「ふふ、In bocca al lupo! Arrivederci!」
 
別れを告げた彼女は展示品コーナーから離れて、ホール中央のテーブルへ向かう。その途中、窓の外へ視線を向ける。庭園には巨大な狼や小さな犬・猫・兎といった銅像があった。
加えてそれらを鑑賞する銀縁眼鏡の男も。
 
多種多様の動物の銅像が配置されていることが、ショコラガーデンが庭園に自信がある理由だった。公式ホームページにも〈最高の庭園!〉というタイトルで草木と銅像が収められた写真が掲載されている。
なお客からの受けはそんなに良くない。観光地ならともかく、都会と田舎の間にあるような衛星都市で、わざわざ泊まってまで見る代物ではないのだ。
コンセプト先行で作ってみたら客層と不一致だった。そんな残酷な(残念とも言う)現実を彼ら銅像は湛えている。
銀縁眼鏡の男は、星空が綺麗な七夕の夜に不人気な銅像たちを眺めていた。相当な変人だった。
 
(ま、人のことは言えないか……)
 
一人納得しつつ、彼女はテーブルでイライラした様子の真井と、恐縮した彼女の部下の元までたどり着く。
 
「フェリティシア、どう?」
 
青い目の女性は――警察庁霊障対策室に外部から雇われた人形の専門家、フェリティシアは感想を述べる。
「良い趣味。綺麗だったよ、七夕人形。オカルト的な要素はなかったけどね
。一セットもらえないかな?」
「ふざけてるの?」
「え、別に?」
「………」
「……?」
 
フェリティシアは気づいていないが、真井と彼女の相性はかなり悪かった。どちらも一見クールであるものの、フェリティシアがユーモアを解するのに対し室長は遊びがまったくない。あったとしても職務違反でワインを飲むような不謹慎さぐらいである。
真井室長が人から恐れられ嫌われる自称サバサバ系上司だとすれば、フェリティシアは自然に人から好かれるさっぱりとした気風の仕事人だった。
それを無意識に感じ取っているせいか、真井はこのイタリアから日本に来ている人形遣いのことが嫌いだった。
 
「ああ。でも、手がかりっぽいのは見つけたかも。ミクロコスモスと人形を絡めて素敵な話をしてくれた人がね、いたの」
「っ……」
 
まるでついでのように重要な情報を伝えるフェリティシア。こういう、優雅気取りなところが嫌いだ。まるで自分が、余裕のないガサツな存在に思えてくる。
 
「早く言いなさい! どこにいたの! 何で捕まえてこなかったの!」
 
感情的に責め立ててくる真井に、フェリティシアは冷静沈着な態度を崩さない。
 
「っぽいって言ったでしょ。それに、私達みたいな人形遣いはガツガツと距離を詰めに来る人が苦手で……。まぁともかく私に任せて、気長にね、気長に。今夜は長いんだし」
 
フェリティシアの言う通り、七夕パーティは二十二時まで行われ、現在時刻は十六時五十七分。長丁場の催しである。その最大の理由は、やはり七夕パーティの目的が“宇宙を見ること”であるからだ。十九時、二十時、二十一時、二十二時の計四回、ホテル中の電源を落として、空に輝く星を見る。
まだ十九時になってない以上、時間はまだあるのだ。―――いつ現れるかもわからない危険、オールドローズさえ考慮しなければ。フェリティシアの判断は間違っていない。
 
「それとも何か、 急ぐ理由があるの・・・・・・・・ ?」
「………」
 
真井はフェリティシアのことが嫌いだったので、オールドローズの存在を彼女に伝えていなかった。
霊障対策室の部下たちには、『吸血鬼、特にオールドローズが関わってくる案件と聞けば非協力的になる恐れがあるわ。オールドローズは霊対史上最大の危機であり、人形(ミクロコスモス)の正体も掴まなくはならない。故に超法規的措置としてオールドローズの存在をアドバイザーには伏せる。責任は私がとる』と説明している。
本人も自分はそう考えていると思っている。冷静な判断をしていると。
だが本当は、ただ嫌いだったからフェリティシアに黙っていただけだった。
そして、感情だけで決めた嫌がらせじみた判断が、因果応報とばかりに真井自身へ帰ってきた。霊対室長は息を詰まらせた。ついで喉の奥で唸ってから、やっとこさフェリティシアへ口を開く。
 
「す、過ぎたことは仕方ない。……なら、今教えなさい、その人はどこにいるの?」
「あそこの七夕人形が飾ってあるあたりに――あれ?」
 
十九時。録音されていたアナウンス音声が流れ始める。
 
『皆さま、明かりを落とさせていただきます。足元に気を付けて、その場から動かないようにお願いいたします。では、消灯します』
 
ホール、庭園だけではなくホテル全域の照明が消え、暗闇に包まれる。
 
ショコラガーデンにいた大半の人間が、一瞬で銅像と化した。
 
「は?」
 
展示品コーナーを指さそうとしていたフェリティシアは、異常事態に茫然とする。談笑していた大人たちも、庭で織姫ちゃんを引っ張りまわして遊んでいた子供たちも、料理を運んでいたスタッフも、銅像と化している。
無事な人間はいる。フェリティシアも、彼女と話していた真井も、霊対のメンバーは全員無事だ。驚いたように周囲の様子を窺い、臨戦態勢をとっている。
他に無事な者は――とフェリティシアが驚きながらも確認しようとして。
 
ギィー。
 
静寂に満ちていたフロアに、扉が開けられる音は大きく響いた。
扉を開けたのは、赤い女だった。
 
赤い髪と瞳、赤いコートにスーツ、真夏の夜に似合わぬ真っ赤な厚着の少女は、当然のようにパーティ会場に入ってきた。
 
彼女こそ、この世で一番古い薔薇。怪物の中の怪物。吸血鬼オールドローズである。
 
瞬時にフェリティシアは、隣に立っている真井が唖然としつつも、オールドローズの存在を受け入れているのを理解し、自分がババを掴まされたことを洞察した。
それでも、とこわばった声で雇い主へ忠告する。
 
「あー、ミス真井、逃げた方がいいと思う」
 
真井の脳裏に過った思考は直線だった。逃げる? 逃げる。ありえない。
 
「何言ってるの!? 捕まえるのよ!! しゃきっとしなさい!!」
 
警察庁霊障対策室はオールドローズを確保せんがため、ショコラガーデンへ潜入したのだ。銅像と化した市民を置いて逃げ出すわけにはいかない。
 
「―――」
 
だがオールドローズのことを知らされていなかったフェリティシアには無関係な話だった。あんまりな言い様にフェリティシアの顔が引きつる。
 
(ふざっけんじゃないっつーの! 何様のつもり……って雇い主様ねはいはい。でもこれはやりすぎでしょ? 騙して悪いがすら言わないの!?)
 
確かに霊障対策室のメンバーはオカルトのエキスパートだ。
だが、アレは化け物だ。秘境に住むフェリティシアですら存在だけは聞き及んでいた、伝説の吸血鬼だ。
勝ち目はない。
 
オールドローズはズカズカとパーティ会場へ入り、あたりを見渡す。老若男女みな銅像と化していた。庭にいる着ぐるみの織姫ちゃんの銅像を半笑いで眺めた後、ぽつぽつとホール中にいる霊対のメンバーとフェリティシアにオールドローズは気づいた。
青い目の人形遣いは冷や汗を流す。
 
「あの、私、人形のことだけに集中すればいいって聞いて――」
「黙って! 文句ばっかり言ってなんになるの!」
「……あー。はい。もう言わないです」
二回・・ 聞いた。義理は果たした。果たして義理なんてものがあったのかはわからないけど)
 
フェリティシアは肩を竦めて、一歩後ろへ下がる。それから両手を背中に隠し、誰にも見えないようにぐにゃぐにゃと動かし始めた。
自らの安全のために全力を注ぎ始めたフェリティシアに気づかないまま、真井は歩き続けるオールドローズへ声を張り上げた。
 
「オールドローズ! 止まりなさい!」
 
赤い吸血鬼は愉快そうに喉の奥で哂うと、素直に足を止めた。
 
「ほれ、止まったぞ。ほれ、次はどうするんだ?」
「あなたはなぜ、日本に、ここに来たの!!」
「長い生の暇つぶし」
 
オールドローズは間髪入れずに答えた。なぜ、と問われれば彼女は必ずこう答える。あまりにも問い質され、あまりにも率直に答えてきた。決まり文句のようなものだ。
 
「嘘を言いなさい!」
「……」
 
だからこそ自分の決まり文句を嘘と断じられた吸血鬼は真顔になった。
 
「調べはついています! あなたは 人形ミクロコスモス のためにショコラガーデンへ来た!」
 
真井はオールドローズの様子から、クリティカルな言葉を突きつけられたのだと手応えを感じた。
だがフェリティシアは直感する。 見限られた・・・・・ 。もしも今のオールドローズの表情を浮かべた人形を、彼女が作るとしたら、込められた意味はただ一つ。
 
((――つまらない))
 
オールドローズの感情と自身の分析を、知らぬままシンクロさせたフェリティシアは下準備を続けつつも憂う。
 
(ああ、本気でまずい)
「答えなさい!  人形ミクロコスモス とは何なのか! それでなにをするつもりなのか! いいえ、どうであろうとこんな、市民を害するあなたのような化け物を許すわけにはいきません! 大人しく投降を――」
「化け物?」
 
交渉しているつもりの真井をオールドローズは遮る。ホテル中の人間を銅像にした犯人をオールドローズだと決めつけてる時点で話にならない。
 
「化け物? 見当違いだよ。ここまで来てさぁ、ここにいて、まだなんにもわかっていないのか。空気が明らかに固いだろうが」
「なにを……」
「そうか、忘れたか。かくも人類は忘却の使徒なのか――だが私は忘れていないぞ」
「忘れる? どういうことですか? 詳細に――」
 
オールドローズは溜め息を吐いた。
 
「……ああもう、五月蠅いなぁ。キンキンキンキンと。そんなに自分を大きく見せたいか、小娘」
「……!」
「人間どもの権威ごっこならともかく、私は八百年モノの吸血鬼だぞ。おままごとには付き合ってられんな。それとも、アレ? 私が人殺さない吸血鬼だから甘く見たとか? それは―――不愉快だな」
 
人を殺さない吸血鬼。世界で一番古い薔薇、屍肉喰らいのオールドローズ。戦場を渡り歩き、屍を貪る戦場の亡霊。人を殺さぬ臆病者のオールドローズと揶揄されながら、なお畏れられる伝説的怪物。
彼女は公的に確認されている中で、もっとも古い吸血鬼であり、最強の吸血鬼だった。
オールドローズがパチンと指を鳴らすと彼女の身体が数十匹の赤蝙蝠に変わり、それぞれが時速二百キロメートル程度で真井以外の霊対メンバーで突っ込んできた。
警察庁霊障対策室は霊と魔のエキスパートであるが、オールドローズはスピードのある 質量コウモリ というシンプルすぎる暴力で、霊も魔もなく彼らを吹き飛ばした。
フェリティシアにも一匹の赤蝙蝠が目にも止まらぬスピードで迫る。しかし、蝙蝠はピィイイイインと人形遣いの眼前で急停止した。
赤蝙蝠には細い糸が幾重にも巻き付いていた。必死に準備していたフェリティシアの防護策が働いたのだ。青い目の人形遣いが腕を振ったと同時、蝙蝠は血しぶきをあげて四散する。
だが自衛できたのはフェリティシアのみだ。一瞬にして真井とフェリティシア以外を無力化した赤蝙蝠たちは、天井へ飛び上がると真井に向かって急降下した。
真井は叫び声をあげながら所持していた拳銃を引き抜き、二発撃った。けれど赤蝙蝠が速すぎるため、二発とも外れる。
無常にも蝙蝠の群れは真井の元へ集い、オールドローズの姿をとる。真っ赤な吸血鬼は真井の喉元に喰いついて、吊り下げていた。
 
「な、なんで――?」
「なんで、なぜ、どうして。答える義理はあるかのぉ? だが私は応えてやるよ。どうしてお前の血は不味いのか」
ごくん、ごくんとオールドローズの喉が嚥下する。
 
「が、ぐえ……あ……」
「しかめっ面して他人の糾弾ばっかしてる奴の血が美味ぇわけねぇだろ」
「……ぁ……」
 
オールドローズは牙を離すと、真井を地面へ吐き捨てた。真っ青な顔をして目を見開いたまま横たわった姿は死を連想させるが、胸は上下している。呼吸はあるようだ。
オールドローズの蝙蝠アタックを凌いだフェリティシアは恐る恐る口を開く。
 
「グ、グールにしたの?」
「いらんのよこんなの。私はー、人を殺さない吸血鬼だぞ」
 
オールドローズは唯一無事だったフェリティシアをじろじろと観察する。赤蝙蝠が一匹惨殺されたが、不死身である赤い吸血鬼には痛くもかゆくもない。
それよりも気になるのは。
 
「んー? 同類?」
「……どうかな、ご先祖様に比べたら、私は人間でしかないと思うけど」
 
フェリティシアはオールドローズの気分を害さないように会話へ応じた。心当たりがないでもないし。
ルノアール一族は独自の特殊性を持っていたが、世代を経るごとにどんどん人間に近づいていっている。
寝物語に聞いた初代ルノアールや目の前の吸血鬼に比べたら、いくらか特殊性が残っているとはいえ己は人間の範疇だろう。フェリティシア・ルノアールはそう考える。
オールドローズは、ことのほか素直に応じた。
 
「んむ、わかった。ま、そこまで 零落・・ してれば人間と名乗ってもいいよ」
「零落って……」
 
仮にも人の生まれ、アイデンティティに零落とは身も蓋もない。言外に抗議されてオールドローズはカラカラと笑う。
 
「はははは。これは誉め言葉だぞ? 私なんぞ、ほれ、あんまりにも 源流・・ に近いからこの様だ」
 
真っ赤な女は口を開いて、鋭く尖った牙を見せつける。
 
「んで……やるかい? ん?」
 
会話からシームレスに突きつけられた怖気の走る闘志に、フェリティシアは腕を組み、そっけない態度を 演じた・・・
 
「やらない。付き合ってられない!」
嘘を言いなさい・・・・・・・ !」
 
横たわった真井の突然の叫び声にフェリティシアはびくっと身体を竦めた。オールドローズはニヤついている。
青ざめた、どこを見ているかもわからない茫洋な瞳で虚空を見上げながら、真井は虚ろに声を張り上げる。
 
「フェリティシア! あなたまるで諦めていないじゃない!!」
倒れていた霊対メンバーが一人、また一人と緩慢に立ち上がる。彼らはみな赤い蝙蝠に突進されて吹き飛ばされ――その勢いのまま首筋に噛みつかれて、血を吸われていた。
 
「隙あらば! 例えオールドローズから奪ってでも 人形ミクロコスモス が欲しいと、思ってるじゃない!」
 
真井もまた魘されたようなぎこちない動きで立ち上がった。青ざめた霊対メンバー三十人と、それを従えるオールドローズ。
対するはフェリティシアたった一人。
 
「グールにはしてないって?」
「してないぞ。生きたまま操っているだけだ。これでも私は、吸血鬼っぽいことなら割となんでもできるのでね」
 
真井に言葉を喋らせたのもオールドローズだ。殺してゾンビだの、グールだのにしなくても良いのだ。源流にもっとも近い吸血鬼である彼女は血を吸っただけで人間を操れる。
生きている人質兼敵軍団と化したかつての雇い主たち。疲れ切ったような声でフェリティシアは言った。
 
「……参考までに」
「んむ」
「……どうして私が諦めてないって?」
 
オールドローズは哂う。自明の理だ。わからない方がおかしい。
 
「今の今まで欲望で、目がギラつているぞ! ヒューマンドール!!」
「口が血液で濡れているあなたには言われたくないよ。ヴァンパイア」
 
皮肉げに言い返したフェリティシアの懐から一体の木彫り人形が零れ落ち――爆発。数百体の人形が爆発の中から溢れるように飛び出した。
数の暴力がオールドローズと彼女が操る霊対メンバーへ津波のように迫る。オールドローズは爆笑した。
 
「アッハッハッハ! 末流でこれかぁ! 徒労だよ! 馬鹿馬鹿しい! 面白いぞ、フェリティシア!」
 
フェリティシア・ルノアールはイタリアにある隔絶された秘境、人形の里出身の人形遣いである。莫大な数の人形を作り、莫大な数の用途に使う。筋金入りの遣い手である彼女は人形の可能性を追い求めていた。
追い求めていたから、未知の人形があるというだけで、調べたくて調べたくてたまらなくなる。
人形に関して不思議な業を持つルノアール一族きっての期待の星フェリティシアは―――未知の人形の情報にホイホイと釣られて、大ピンチに陥っていた。
 
(いやぁ! 無理無理無理! 無理過ぎる!)
 
フェリティシアは内心の恐慌を押し殺し、表面上は涼しい顔で両腕を振るう。出現した人形のうち、半数は霊対メンバーに纏わり付かせる。彼らの緩慢な攻撃を避けながら、人形たちはぐるぐると彼らを掻きまわした。
それで充分だった。
ぐいっ、とフェリティシアは糸を引っ張る。幾重にも巻き付いた糸は人形たちごと霊対メンバーを拘束した。数の力には、より多くの数の力。人形遣いの強みである。
残りの半数の人形は、手から鉄製のかぎ爪をジャキンと伸ばすとオールドローズへ殺到する。
オールドローズは―――動かない。ポケットに手を突っ込んだ赤い吸血鬼は棒立ちしたま全身を八つ裂きにされた。
けれど全身を切り裂かれてもなお、オールドローズは哂っていた。
数の力にはより多くの数の力。道理である。その上で、ぶち抜けた単一の質を制するにはまるで数が足りなかった。それはそうである。なにせフェリティシアはオールドローズがショコラガーデンにいると知らなかった。対吸血鬼武装や軍勢を用意していれば……というのは無い物ねだりである。
それにしたって、避けもせずに直撃してノーダメージはひどすぎる。
 
「少しは効いてくれない!?」
「すまんなぁ。鉤十字なら効いたかも?」
「あなたがいるって知ってても、ハーケンクロイツ型の武器なんて用意しないよ!」
「昔は十字架と同じ聖なる象徴だったんだが、時代は変わる」
 
鉤爪かぎづめ 鉤十字ハーケンクロイツ を被せてブラックジョークを披露するオールドローズにフェリティシアは閃く。
 
(十字架? いや待て、待った。私は知らなくても、雇い主なら――)
 
フェリティシアは人形を操作して霊対メンバーが持つ武器を奪おうとする。一番近くにいた真井へ視線を向けると、当の真井は己の銃弾を全て口に放り込んでぼりぼりと噛み砕いていた。銀の弾丸だった。もしかしたら対吸血鬼用に教会で祝福されたりしてたかもしれない。
だがもうなくなった。他の霊対メンバーもおのおの対吸血鬼武装を自分たちの手によって破壊していた。
先手を打って霊対を一挙にぶっ飛ばし操った理由は、対吸血鬼武装を無力化する狙いもあったのだろう。流石は音に聞こえる伝説の吸血鬼オールドローズ。戦闘の駆け引きも達者だった。
 
(こんのッ……役立たずピーポー共……!)
 
フェリティシアが脳内で吐き捨てた。対してオールドローズは己を切り裂く人形たちを力任せに吹き飛ばした。
波状攻撃を仕掛ける人形を払いながら一歩、また一歩フェリティシアへ近づくオールドローズ。服を切り裂き、肉を絶たれたところで、不死身の怪物は即座に回復してしまう。服も破けるそばから新品同然に復元している。
フェリティシアにはオールドローズへの対策案がいくつかある。だが、倒す方法はない。逃げる手段もない。ジリ貧だった。
 
(形勢が悪すぎる! あんな奴ら放っておいて逃げればよかった! 二十七を妨害、三十八を攻勢、四十九を伏せ札、十四を防御――もうだめ! オールドローズの攻撃が届く距離まであと一歩!)
 
しかしフェリティシアの敗北が訪れることはなかった。赤い吸血鬼が足を止めたのだ。
 
「……なに?」
「ちっ」
 
オールドローズは忌々しそうに、ホールの入り口へ振り返った。誰かが立っている。ライトは未だ落ちていて、暗闇の向こうに誰がいるのかはフェリティシアにはわからない。
もちろん闇を見通せる吸血鬼であるオールドローズには姿が見えている。初対面だ。名前も知らない。だが、忘れられるわけがない。この七夕パーティに嫌というほど満ちていた、あの固い空気。
 
「古い怪物はみんなみんな知っている。私達は人から生まれたのだと」
「……オールドローズ?」
「社会の裏にはオカルトがある。だが裏の裏が表だと誰が決めた? 私は忘れていないよ。この悍ましい現実を。三文芝居の 法則ルール を。私達も、お前たちも喜劇の宇宙に生きているということを!」
 
コツン、コツンと人影がパーティ会場へ入ってくる。その姿が窓から差し込む月と星の明かりによって露わとなる――。
 
「あなたは――」
 
その男は両手をハンカチで拭きながらとぼけた顔をしていた。トイレに行っていたらしい。
フェリティシアはなんとも気の抜けた登場にズリっとコケかける。。見覚えがある男だ。七夕人形の前で意気投合した、人形趣味の男だった。
面長の男はハンカチをポケットに仕舞うと、肩に引っ掛けた四角いカバンを片手で持った。
日常じみた仕草をする男をオールドローズは牙を剥きだしにして、警戒していた。
 
「来たな、 変能へんのう 。全ての元凶。源流そのもの! お前は同じだ。私を吸血鬼にした変能女と、 固さ・・ がそっくりだ!」
 
フェリティシアは戸惑いつつも愕然とする。屍肉喰らいのオールドローズが。あの、伝説的吸血鬼が。無敵と呼ぶに相応しい赤い夜が。先ほどのフェリティシアのように冷や汗を流して、ただの人間に敵意をむき出しにしていた。
 
「久しぶり、オリジナル――ぶち殺してやる」
 
男はオールドローズの殺意に真顔で言った。
 
「どちら様? 言い方が物々しすぎてよくわからん」
「……」
(わ、私もわからなかったけど、そんなこと言う??)
 
男のマイペースさは尋常ではなかった。銅像と化した人々と、糸でぐるぐる巻きにされた呻く霊対メンバーと、ヤバすぎる赤い女と、それと相対するフェリティシア。どれをとっても異常なのに、男は気安い態度だ。
 
「俺が変能なのは確かだが――そう目くじら立てずにまずは話でもしようぜ? 性癖でもぶちまけてさ。あんたの を貰うのは、その後だ」
「話? 私が? お前と?」
 
オールドローズはフロアを脚力だけで蹴り砕き、落雷のごとく男へ跳んだ。
 
「冗談じゃない」
「ああ?」
「―――」
 
フェリティシアは咄嗟に伏せ札にしていた四十九体の人形を操った。テーブルのやシャンデリアの影に潜ませていた人形たちが四方八方から飛び出し、男の前に集合する。
盾となった人形たちはメギッ、という轟音を立ててオールドローズの攻撃を防いだ。
 
「あなた! 逃げて!」
 
フェリティシアが叫んだと同時――ホール含めホテル全域のライトが点灯した。
『次回の消灯は二十時からとなります。それまでご歓談ください』
 
十分間の消灯時間が過ぎたのだ。この光によってオールドローズ、フェリティシア、面長の男の目が眩む。
この瞬間、期を窺って隠れていた三つの人影が飛び出し、オールドローズへ攻撃を突き刺した。
一人は執事服の男だった。
一人は銀縁眼鏡の男だった。
最後の一人(?)は着ぐるみの彦星くんだった。
蹴りと手刀とボディアタックをいっぺんに喰らったオールドローズはトラックが衝突したような勢いで窓を破って吹き飛んだ。
吸血鬼はそのまま庭の向こう側へと消えていった。
目の眩みから回復したフェリティシアは茫然と彼らを見る。
執事服の男はそれぞれの面子を確認すると納得したように微笑した。眼鏡の男は怜悧な目つきで油断なく構えている。着ぐるみの彦星は、よくわからない。
示し合わせたわけではないだろうが、突然の闖入者だった二人と一体はそれぞれ別方向にある扉や窓へ向かい、あっという間もなく超人的な動きでパーティ会場から姿を消した。まるで通り雨のように現れ消えた、わけのわからない奴らにフェリティシアはポツリと呟いた。
 
「なにこれ」
 
「なぁ」
 
「あ。あなた無事だったのね」
 
面長の男はフェリティシアの前に立った。相も変わらず感情の読み取れないとぼけた顔である。
 
「――冬川賢一だ」
「うん?」
「俺の名前。冬川賢一。人形好きの一般人だ。――で、だ」
 
賢一は盾として使われた木彫りの人形たちを見る。ズタズタの、ボロボロだった。残骸と呼んでも差し支えはない。
 
「守ってくれたのは、わかる。わかるが――人形を粗末にしたよな?」
 
四十九体の人形はもはや残骸だった。人形好きの目の前で、彼らは無残に砕け散った。それを為したフェリティシアは悔いる様子もない。賢一は決断した。
 
「え、いや……」
「気が合った上に、恩人なアンタには言い辛いんだが――」
 
ヒュパッと風切り音。男が持っていたカバンから糸が伸び。
 
「糸――」
 
そのカバンから黒衣のドレスを着た等身大の人形が飛び出した。大剣を持ったひどく妖艶なドールだった。
 
「――人形!」
「許せねぇからぶっ飛ばすな?」
「うえっ!?」
 
人形遣いフェリティシアはパクパクと口を開閉する。予想外の展開に困惑を隠せない。自分は何を間違えた? いや間違えていない。すれ違いがあるだけだ。フェリティシアは親しげに笑いかける。
 
「フェリティシア・ルノアール。……また会ったんだから友諠を深め合わない? 誤解を解いて」
後でな・・・ 、フェリティシア」
 
面長の男――賢一は取り付く島もなかった。
 
「~~~~!! あー、もう!! なんで! こうなるの!!」
 
ついてない女フェリティシアは両腕を前に突き出し、使える人形全てを動員する。数百体の人形を一塊として振り回し――慣性の力によってフェリティシアは浮かび上がった。まるで砲丸投げのごとく人形たちとフェリティシアは空中に放り出され、壁を盛大に破壊しつつ庭園へと着弾した。
フェリティシアは這うように木陰に移動し、ルノアールの業である収納人形へ全ての人形を仕舞う。そして一息吐く。
 
(よし、距離を離すことには成功した。目くらましもできた)
 
人形たちが視界を遮り、砕け散った壁が邪魔になって賢一はフェリティシアを見失ったはずだ。勢い任せだが仕方ない。あのまま人形たちを散開させるのは愚行だった。見える範囲で攻撃態勢をとっても、大剣に糸を断ち切られてしまうだけだっただろう。
人形遣いの数の力。集団戦を活かし圧殺するには、それに相応しい作戦を取らねばならない。
フェリティシアが頭を回しているのを知ってか知らずか、賢一は黒衣の人形を傍らにして、壁へ空いた大穴を潜り抜け庭園へ出る。
 
「三日月。どこだ。フェリティシアはどこにいる? お前なら見つけ出せると信じている」
 
賢一の人形は三日月と言うらしい。
 
(私と違って一つの人形操作に特化したタイプ。武装は見える限りだと剣だけみたい。けど技量は未知数。未熟には到底見えない)
 
変能。オリジナル。言葉の意味はよくわからなかったが、あのオールドローズが警戒した男だ。侮るなど考えられない。
 
(一応、真正面からの打ち合いは避けて、数で攪乱のち不意打ちの頭脳プレーでいく感じで。とすると十×四で誘導、五を本命、残りを遊撃に―――)
 
フェリティシアは木陰に隠れながら無音で腕を振るう。計画通りに人形たちを配置しようと試みたのだ。その際、プチリとほんの小さな糸の切れる音がした。フェリティシアの動きで、張り巡らされていた極細の糸が切れたのである。もちろんフェリティシアの糸ではない。
切れた糸の元は、三日月だった。三日月を通して賢一はフェリティシアの位置を把握する。
 
(糸を広げて位置を――)
「そうか」
 
賢一の口元がシニカルに吊りあがった。
 
良い子だ・・・・
(しまっ……!?)
 
フェリティシアが猛然と立ち上がる。対して賢一は猛烈な勢いで右腕を振るった。三日月が放物線を描き、標的へ大剣を叩きつける。ヒュガッ、と重々しい、滑るような音。
大剣はフェリティシアから逸れた。フェリティシアが持つ保険の保険、肌身離さず持っていた最高傑作。木彫りの『セリーヌ』を使い、フェリティシアへの一撃を凌いだのだ。セリーヌは自身のアタッチメントである双剣を敵の大剣の峰に沿えて刃を逸らし、フェリティシアを守るように武器を構える。
そして地面に突き刺さった三日月の大剣へ、わらわらと武器用の人形たちが群がる。重しによって大剣はもう持ちあげられないだろう。武器は奪った。フェリティシアは焦りを隠しつつ、両腕を組んで不敵に告げる。
 
「惜しかったね。糸を広げて切れたところに特攻する。その博打は残念賞ってところかな?」
(あぶなっ……! 流さず受け止めてたらセリーヌごと叩き切られちゃってた。思い切り良すぎ)
 
人形を粗末に……という動機で襲い掛かってきたのだから、少しくらいはこちらの人形への攻撃に躊躇うかと予測していたのだが。まったくそんなことはなかった。
どんな思考回路をしているのやら、とそんな思考を働かせられるほどの勝利の確信をもって、さらに口を開こうとしたフェリティシアだったが、それは阻まれた。
 
「いーや。一等賞どころか特賞引いたと思うぜ」
 
背後からかけられた賢一の声によって。
 
「え?」
 
彼女が振り返るのと、大回りして背後へ回ってきていた賢一が飛び掛かるのは同時だった。
 
 
「ちょ、やめ、イタイイタイイタイ!! 関節はそっちに曲がらな、いっひゃああああああい!?」
 
 
「え、そのぶっとい糸はな、いづづづづづ、聞いただけじゃない! 何するの変態!」
 
 
数分後。両目、口、胴体、両足を縄で簀巻きにされて庭園に転がるフェリティシアの姿があった。
賢一は横たわるフェリティシアの傍に立つ。
 
「人形を手に取って動かしたり、抱きしめたりする方が俺は興奮するんでな。糸より直接 直接こっち の方が得意なんだよ」
 
 
勝利した賢一は苦虫を嚙み潰したような顔で、三日月に保護させた人形――セリーヌを眺める。
フェリティシアを捕まえた瞬間、制御を失って地に落ちようとしたセリーヌを賢一は受け止めたのだ。正確には大剣から手を離した三日月に受け止めさせたのだが。
 
「これだけ毛色が違う。結婚を申し込んで良いくらいの、マジもんの美少女だ。愛がなきゃこうはならない」
 
人形を使い捨てたフェリティシアと、後生大事にギリギリのギリギリまで、この美少女を秘めていたフェリティシア。矛盾した二つの行動に賢一は困惑していた。
 
「よくわからないな。どうしようか、三日月」
「……」
 
物言わぬ人形へ問いを飛ばす。もちろん返答があるわけではない。人形愛好家特有の奇行である。台詞を勝手にアテレコして人形遊びをする、アレだ。ロボットに掛け合いをさせて戦わせる戯れと例えてもいい。
 
「んーんー」
 
フェリティシアの呻きはスルーしつつ、賢一は険しい表情で頷いた。
 
「だよなぁ、話を聞くしかないか」
 
特に三日月が言ったわけではないが、思考の整理はできた賢一はフェリティシアの猿轡を外した。
 
「なぁ、フェリティシア。いくつか質問がある」
「……なに?」
「この子、あー。両手に剣を持ったピンクのドレスの人形は、どんな子なんだ?」
「セリーヌだよ。私の最高傑作。後、そのドレスはロココだね。仮にも人形師なら服飾の勉強は大事じゃないかなーって」
「あ? ロココ調って言えや。ロココ人形と混ざるだろうが」
 
マニアックな話題で険悪な空気になりつつも、襲ったのは己だと賢一は自戒して、次の質問をする。
 
「まぁ、じゃあ次。他の人形はなんだ?」
「話したよね? 私は意味を重視するんだ。みんな純戦闘用の人形。武器にするための人形。振るって、叩きつけて、使う。そこに誤解があると思う」
 
誤解だ。すれ違いだ。フェリティシアはそう考える。同じ人形好き同士だ。わかりあえないはずがない。賢一に伝わるように懸命に自分の考えを言葉にする。
 
「粗末にしてなんかない。それがあの子たちの用途――意味だから。むしろ人形の在り方に文句をつけるなんて愛がない行為じゃない?」
「可哀想とは?」
感じない・・・・ 。意味を全うすることが人形の輝き。究極的に言えば、自爆人形だって認めるよ、私」
「オーケーオーケー。なるほどな。理解できねぇ。だがそれがお前の愛なのはわかる。そうか。骨の髄まで 人形遣い・・・・ なんだな、アンタ」
 
フェリティシア・ルノアールにとって人形はひたすら使うものなのだ。遣い手として、用途に沿って、使う。それが人形遣いとしての誇りであり矜持であり、何より愛なのだろう。
まったく違う人形へのスタンスを持つ賢一には共感不能な考えだ。だが、理解はできる。そこはもう、そういうものと賢一は受け入れた。
 
「じゃあ最後の質問だ。どうして俺を助けた」
「え?」
 
フェリティシアは地面から顔を持ち上げた。目隠しをつけたまま目を驚きに見開く。人形に対するスタンスの違いで対立した賢一が、最後にする質問がそれ?
 
「アンタ、あの赤い女に襲われて大ピンチだったろ? 周りは敵ばっかで、あの俺の対抗者ども、変な奴らがいたことも知らなかった、よな? 孤立無援の状態だったところに俺が来て、赤い女は気が逸れていたはずだ。なのにどーして逃げずに、あまつさえ俺を助けた?」
「それは」
 
フェリティシアは一泊置いて正直に告げた。
 
二度目の機会セカンドチャンス は誰にだってあるべきじゃない?」
二度目の機会セカンドチャンス ?」
「私は二回まではチャンスをあげることにしてるんだ。あなたはいきなり襲われたから、一回目。だから助けたの」
 
賢一は眉をひそめる。
 
(なんだそれは。それではまるで)
「自分がヤバくてもか?」
「別にそこまでピンチじゃなかったかな。今の方がよっぽどピンチだよ!」
 
先ほどが人形遣いのとしての愛の表明であれば、これはフェリティシア個人の信念だった。ババを引かされたのだとしても彼女はこの考え方を変えず、霊障対策室室長、真井へ二回チャンスを与えたのだ。にべもなく扱われてしまったが、真井がチャンスを掴み取れば、フェリティシアはその全霊をかけて真井のために逃げ出す隙だけは確保しただろう。
 
「そうか、そうかぁ……」
(まるで、じゃねぇ。信じられないくらい 良い奴だ・・・・ だ。こいつ)
 
賢一は何よりも人形を優先する。意思なく、ただそこにあるヒトガタを愛おしく思う。人間などどうでもいい。フェリティシアも似たようなものだと思っていた。
だが実際は、賢一とはまったく違う。彼女は、人形遣いで、良い奴だった。
賢一は少し悩むと、指先を撫でるように動かした。フェリティシアを縛る全ての縄……実際には糸の束がはらりと解ける。
 
「あら」
 
フェリティシアは起き上がった。身体の調子を確かめて、指を動かす。三日月の手にちょこんと乗っていたセリーヌが浮かび上がり、フェリティシアの肩に乗る。操作は万全。不調なし。
 
「あーなんだ。……こういうのが正しいのかもわからないんだが……悪いな」
「今更!?」
 
フェリティシアはわかりあえると思っていたが、それはそれとして問題無用で襲い掛かってきたのは賢一だった。当の賢一は憮然とする。
 
「怒ってたのも理解できないのも確かだぜ。俺だって三日月を傍にして戦いはするが、それは一心同体だからだ。アンタとは違う。それでも……認めよう。フェリティシアは立派な人形遣いだとな。上から目線か? ならそれも謝罪する。人間のことはよくわからないんだ」
 
賢一は淡々と述べつつ三日月をカバンに仕舞い、フェリティシアに背を向ける。
 
「今夜、このホテルはかなりヤベェ。帰った方がいいぜ、フェリティシア」
 
賢一にとってフェリティシアとの戦いは前哨戦ですらない。争うべき相手は他にいる。じゃあなんで戦ったという話だが、人形師が人形の愛故に暴走するのは当然だ。なぜと問うことすら無粋である。
 
「待って」
 
人形遣いが人形への愛ゆえに、さらに危険へ深入りするように。このままはいそうでうかと立ち去れる諦めの良さがあるなら、フェリティシアはオールドローズに襲われなかった。
 
「ん?」
 
振り返った賢一に、フェリティシアはまず落ち着いて問う。
 
「私にも質問させてくれない? あなたもしたんだから」
「別に、構わないが」
 
まずは何がどうなってるのか知ってからだ。知ってから何をするか判断する。故にまず知るべきは、今夜のキーワード。
乱痴気騒ぎのキーアイテム。
 
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