決着の決塔 【カーテンコール(後半)】
〈経歴1000年 1月1日 午前〉
「…………あー」
鏡夜はパチリと目を覚ました。
呆けた表情で見慣れない、炎のような形をした無点灯の照明が垂れさがる天井を見る。
「……起きたくねぇ」
鏡夜の寝起きが悪いのもあるが何より、いろいろなことが起こり過ぎて渋滞を起こしている、この現実に立ち戻るのがひどく面倒だった。
しかし、ぐずっていてもしょうがない。鏡夜は起き上がった。どんよりとした目で枕の隣にあるリモコンを手に取り、窓のカーテンを開ける。自動で上がったカーテンから外を見下ろすと、不語桃音が上機嫌にキャンパスを立てて絵を描いていた。
「……なにしてんだ」
鏡夜は不思議に思う。国名こそ違うが、ここは鏡夜の世界で言う日本であり(塔京という都市名は東京と同じ読みだし首都であることも同じだ)、体感温度としては塔京の一月は東京の一月とほぼ同じだ。つまり、冬。外は寒いだろうに、わざわざ何を作業しているのだろう。
鏡夜は、ベッドから降りるとシャワーを浴びるために浴室へと向かった。……自動洗浄機能というか、勝手に清潔になる全身装備のくせに、シャワーを浴びる意味があるのかと聞かれれば言葉に詰まってしまうが、あえていうならそれは、ただの習慣だった。
シャワーを浴び終えた鏡夜は、濡れた服の感触が数瞬で乾いた後、ウッドハウスから外へ飛び降りて地面へ着地。桃音のところまで歩いて向かった。桃音の後ろに回り、キャンパスをのぞき込む。
キャンパスには、異様に上手に書かれた鉛筆画の灰原鏡夜がいた。
(えぇ………)
右後ろ方向からのアングルでキメた横顔をしている、絵の中の自分を見て鏡夜はその技術よりも桃音がこの絵を描く意味のわからなさに絶句した。
なぜか鏡夜の身体全体を囲うようにしてキラキラした、星空のような背景が描かれている。桃音は繊細に微細に少しずつ補正するように鉛筆を塗りあてていた。
「………あのー?」
鏡夜が後ろから声をかけると桃音はピタリと手を止め……いや、絵の鏡夜、人差し指の先端を三度チョンチョンチョンとつっつくと、鉛筆を置いて鏡夜の方を向いた。
目が合うと、にこりと微笑まれた。
「……はい、おはようございます。いや、一月一日ですしあけましておめでとうございます?」
首をかしげて鏡夜は挨拶する。
桃音は、絵と鉛筆を持って立ち上がった。そして、跳躍し、鏡夜を置いてウッドハウスへ戻る。
「あ、ちょっと!!」
鏡夜はその場に放置されたキャンパス台と椅子を抱えて、後を追うようにジャンプする。こんな超人的な機動を自然に、連続的にしている自分が未だに信じられないが、それが今朝の、鏡夜の現実だった。
玄関からリビングに戻ると、桃音の自画像らしき色鮮やかな油絵が梯子の隣にかけられており。その梯子を挟んで反対側の壁に、鏡夜の姿を描いた鉛筆画が飾られていた。もちろん二つとも、昨夜はなかったものだ。
「いや、何してんですかマジで」
鏡夜は呟く。が、そのツッコミを届けるべき桃音はリビングにいなかった。どこだろうか、と探すとキッチンから何かを焼く音がする。
……どうやら朝食を作っているらしい。行動が早い上に唐突だ。出会ったときからそうなのだから、今更ではあるけれど。
鏡夜は仕方がないので、長テーブルに座って、朝食を待つことにした。
しばらくしてから桃音が長テーブルに並べた朝食は、ベーコンエッグとバタートースト、ミニサラダとヨーグルトにバナナだった。飲み物はコーヒー。
「……桃音さんが好きな方でいいんですけどねぇ」
鏡夜はコーヒーを手に持ちながら桃音を伺ったが、もちろん桃音からの返答はなかった。どうやら昨夜の、鏡夜はコーヒー派という話に合わせたらしい。
「ところでなんですけど、私の絵、片付けません? ちょっと恥ずかしいんですけど」
それも、もちろん返答がなかった。むしろなぜか鏡夜のバナナを桃音に取り上げられた。
「ああ、はいはい、わかりましたよっ、と……まぁ、上手ですしね‥…貴女だけでこそ、芸術だとも思うんですけど……」
バナナを半分に割られて返された。なんらかの意味があるのだろうか? 鏡夜はさっぱりわからなかったので、まぁいいか、と会話もそこそこに朝食を平らげた。桃音もまた一・五本のバナナ含めて綺麗に食べる。
「では桃音さん……私はですね、これからこの世界のことを調べつつ、〈決着〉を手に入れるために何ができるかも調査したいと思っています」
朝食後のひと時、鏡夜は人差し指を立てて、おどけながら言う。
「そのためにはこの森の外に行くことは必要不可欠なのだと思いますが――その前に、ソレ」
鏡夜は伸ばした人差し指でロフトにある書斎机、その上に置いてあるラップトップPCを指さした。
「貸してくれませんか? 昨日ネットにつなげてましたよね? 検索サイトで事前調査を――」
瞬間、鏡夜の目の前にいた桃音が消失した。
「はへ?」
と、鏡夜は桃音が瞬時に跳んだ方向へ視線を向ける。
ロフトの書斎で、桃音がラップトップPCを胸に抱えて鏡夜を見ている。ものすごく困った顔をして、ものすごくオタオタしている。
「あ、あ~…………」
鏡夜はピンと来てしまった。個人情報の山。検索履歴を覗かれる忌避感。フォルダっていうかHDに入れてあるお宝の山。その全てを日本の現代っ子として理解する。それに一応男と女であるし。
「……すいません、配慮が足りませんでした」
桃音はラップトップPCを警戒するように抱えながら梯子を下りて、鏡夜の正面に再び座る。
「となるとまいったなぁ……図書館へ行く? ……いや、そもそも私が知りたいのは私の世界とこの世界のギャップだからそれを判別できるのは私だけなんですよね……常識についての本を見たところで、知りたいこととは少しズレざるおえないでしょうし。そもそも図書館、あるんでしょうか。文化さえもわからないんですよねぇ」
鏡夜が悩んでいるのをちらちら見ながら、桃音はラップトップPCを開いてなにやら操作している。
すると、ふと何かに気づいたように桃音が目をパチクリとさせた。そして、PCを回転させて鏡夜に画面を見せる。
「どうしました? 桃音さん? ……メール?」
画面の左上に白い封筒のアイコンがあり、右上には『argle mail』なる英文が書かれているため、鏡夜はそうあたりを付ける。画面中央の文章を鏡夜は読み上げる。
「『柊釘真王直下〈Q-z〉事件特別対策本部 外部特別顧問 アルガグラム所属 エージェント白百合華澄』……?」
が、送り主であるらしい。
「『不語桃音様。現在〈Q-z〉事件を解決する人員を募集中。褒賞は特上。詳細は決着の塔攻略支援ドーム受付にて。PS……ぜひ来てくださいまし、契国でもっとも恐るべき個人をお待ちしておりますわ』」
「………」
「………」
桃音と鏡夜は目と目を合わせる。
かつてない速度で鏡夜は頭を回す。連れてってください桃音様ァァァァ!! を舐められないように伝えるにはどうすればいいのか。連れてけと命じればいいのか。
……勝手な考えではあるけれど、己と彼女は対等だと鏡夜は思っていた。対等に格好よく振る舞う必要がある、とも言う。勢いでこの関係を踏みにじるのは、無様だ。それはいけない。彼女に見限られたら控えめに言って絶体絶命である。
対等とは、対等とは……鏡夜は壁に飾られた自分の絵を横目でとらえた。
「桃音さーん。あの私の絵、飾ったままでいいですよ。その代わり―――連れて行ってくれません? これに」
思いついた瞬間に、PCの画面を指差しつつ鏡夜の口からそんな言葉が漏れ出た。口走ってからイヤイヤ、と自嘲する。無理がある。しかし、桃音はその鏡夜の言葉に。
すっ、と左腕を差し出した。
「………?」
鏡夜はそれに――彼女の、左手にポンっと右手を乗せた。
「……あっ」
「……」←弱点:【喋れない】【格好良いもの】【状態異常:睡眠】
桃音はかくん、と頭を落として三秒ほど寝た後、起床して鏡夜を見た。
「………おはようございます?」
「……」
桃音はなにやってんだテメェと言わんばかりに、無表情で右拳を振り上げると鏡夜に軽く殴りかかってきた。
「おっとと」
鏡夜は左の前腕でその拳をカードした。妙に重たい音が鳴る。拳はかなり遅かったので防いでもらうつもりで振るったのだろう。痛みはないが、重いツッコミである。
「失礼失礼、うっかりでした」
いや本当に。怒って当然である。彼女は敵ではなく大恩人なのだから。状態異常にしてどうする。気をつけないとな、と鏡夜は自分を戒める。桃音は拳を戻すと席から立ちあがり、リビングの中央に立って左腕を再び差し出した。
んっ、という風に――もちろん声などまったくあげてないのだが――左腕を伸ばす。鏡夜はしばらく考えこんでから、ぽんっ、と手を叩くと納得した顔をする。
「……ああ! そういうことですか! わかりました。これは自信ありますよ!」
鏡夜もまた立ち上がり、桃音の傍へ寄った―――。
森の中を歩く。小屋のあった原っぱを通り過ぎて絢爛の森から出る。鏡夜が意外だったのはこの森の周囲には大きな塀などがなかったことだ。白いガードレールと、【ここから先立ち入り禁止 絢爛の森】という標示があるだけの簡素な囲い。観光サイトで見た、冒険者と研究者しか入れないとか、危険度:大とかを考慮すれば、もっと物々しい区域なはずと鏡夜は勝手に推測していたのだが……。
ガードレールの合間を通り抜けて塗装された小道を行く。
あっ、という間もなく、鏡夜は小道を抜けて未来都市にいた。いや、実際に未来というわけではない。
ただ、美観に括った上で、技術が発展した首都がそこにはあった。高いビルらしき……屋上付近に三角のような謎の建築物があったり遠い建物同士に細い通路が連結していたりして、ビルと呼ぶには形が独特なものが多いがともかく……未来的な、と形容すべき建物が立ち並んでいる。
そして遠くには桃音の家から、ずっと見えていた巨大な塔――〈決着の塔〉が見える。
道路に車は少ない。その少ない車も現代日本で見たことがあるかも? と思うものもあれば、鋭角のないシャープな外殻がタイヤごと包んだ光沢のある車もあり、統一感がない。本当に、鏡夜はこの世界の文化がさっぱりわからなかった。
周囲をそうやって観察していると向かい側の歩道から女学生らしき集団が歩いてきた……。普通に鏡夜がいた現代日本でも見かけそうな可愛いらしいセーラー服タイプである。その三人の少女たちは桃音――とついでに一緒にいる鏡夜に気づくと挨拶してきた。
「おおー、無事だったか桃姐……んんっ!?」
「あらあらまぁまぁ、あけましておめでとうございます! ……ふふ、お二人の式には呼んでくださいね?」
「ふーん……ねぇアンタ、桃姐さんを悲しませたら許さないから」
三人の女学生たちは、通学途中なのでこれで失礼します、とさっさと横を通り抜けて行ってしまった。
(まだ何も言ってないんだけど……?)
鏡夜は女学生たちの後ろ姿を見送りつつ、心の中で憮然とする。この世界で直接対面した、会話可能な現地人との接触が十秒程度で終わった瞬間だった。
初人外遭遇終了も同時だった。前者二人は普通の人間の少女で……最後の一人は人型のクール系美少女、ただしキリン耳、キリン尻尾付きだったのだ。
(もっと、こう、初人外さんとは、ドラマティックな初遭遇になると思ってたんだが……いや、別に期待してたわけじゃねぇけど)
その後、白と黒のツートンカラーの車……警察と書いてあったので普通にパトカーだろう……が鏡夜たちの横を通り過ぎようとして。運転席の警察官が桃音と鏡夜を二度見する。
警察官は道路の仮止め可能なところで一時停車すると、パトカーの窓を開いてそこから顔を出した。
その警察官の目には極めて機械的なバイザーがついており、黄色に光っていた。
「よぉ、久しぶりだな、不語の姉ちゃん。流石のアンタも決着の塔の事件に関心を持ったのかと思ったが……」
鏡夜は警察官へ、帽子を押さえるようにして会釈した。
「どうやら違うらしいな……おい、兄ちゃん」
「なんです?」
「その姉ちゃんはぶっ飛んだとんでもねぇ奴だが……いい子なんだ。幸せにしてやってくれ」
(ドラマの見過ぎだポリ公……そういえばドラマの文化とかあるんだろうか。番組表でも目を通しておけばよかったか?)
鏡夜は失礼かつ勝手なことを考えつつ愛想よく答える。
「ええ、微力を尽くしましょう。……勝手にご自身の力で幸せになってしまいそうですけどね」
警察官のバイザーは橙色に変化した後、緑色になる。
「はは、洒落た返事だ。姉ちゃんいい男捕まえたな」
桃音は鏡夜の腕を、さらにぎゅっ、と掴んだ。
「おっと、邪魔したな。すまない。……それじゃハッーピニューイヤー、ご両人」
警察官は窓を閉めるとパトカーを発車させてその場を去った。
(あのバイザー……なんだったんだ、おい。いや、まぁ、それよりも、だ)
鏡夜はパトカーを見送った後、自分の右肘内側に左腕を通して隣を歩く桃音に言った。
「今更言ってもしょうがないかもしれないっていうか気を逸した感じもありますがー。離れて歩きません? いや、ホント今更ですけど」
鏡夜は自分の右肘を前後に振り回した。対して、桃音の左腕は鏡夜の右腕にぴったりくっついてるように離れない。鏡夜はかなり激しく動いているのだが、桃音本人の身体はたおやかに佇んだ体勢を完全に保ち続けている。桃音の、頑なな意志を鏡夜は感じた。「これで合ってたのはうれしいんですが……なんで私よく考えなかったんでしょう。思ったより恥ずかしい……エスコートってすごい。紳士ですね紳士。あれ? 私って元から紳士だから別にいいのかな? どう思います?」
なんて道化を気取ってみるが、結局押しても引いても煽っても、鏡夜の強制エスコート状態が解除されることはなかった。
昨夜のテレビ特番で外観が映っていたし、そもそもウッドハウスからここまでくる間中、ずっと見えていた。そのことから、決着の塔に感動することはないと鏡夜は思っていたが、その予想は見事に裏切られた。
傍までくれば、巨大。ただ巨大。桃音の家がある大木と比べても太さが五十倍以上、高さはもはや、欠片も理解できないほどある。
図形、模様まみれの古めかしい石造りの塔……に時代錯誤に纏わりつく近代的なドーム。これが昨日の大騒ぎの舞台、【決着の塔攻略支援ドーム】だった。天井付近の、砲弾が突き破った穴が痛々しい。
「なんでしょうねぇ。写真でしか知らなかった観光名所に来たようなそんな心持ちです」
鏡夜と桃音はドームの入り口、自動ドアを通り抜けた。
――――――――――――――ざわっ
鏡夜は、さっそく帰りたくなった。帰る家は桃音の家を除けば、この世界に存在しないが。
人人人。人外人外人外。エントランスには大量の人と人外がいた。多種多様な者がいた。人間の戦士らしき人がいた。エルフの弓兵らしき人がいた。近代武装しているオークがいた。全身サイボーグの女がいた。清廉な修道女らしき恰好をしたドラコニアンがいた。ステレオタイプな貴族的格好をした吸血鬼がいた。地面に注目すればジェル状の、スライムらしき生命体が這って動いている。
それが、全員、鏡夜と桃音を見ていた。
「マジかよ……〈絢爛の超人〉じゃねぇか……」
「〈全力全開桃姐様〉!? 来るとは思ってなかった……!」
「え? みんなどうしたの?」
「知らねぇのかよ! 〈契国のアンタッチャブル〉だぞ!?」
(く、詳しく聞きてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、なにそのあだ名!?)
自分たちを見ながら小声で話し合う者達に鏡夜は心の中で叫ぶ。知りたいことが加速度的に増加増大して頭がくらくらした。
だがしかし、顔は微笑み、歩き姿は威風堂々、エスコートは優雅に優しく。
……舐められてはいけない。特に、ここから先は駄目だろう。実に古典的な群像だ。……どう考えても冒険者の群れだ。
鏡夜はその一員……のようなものだ。つまり、冒険者は舐められてはいけない。
「あのひっついてる男は誰だ?」
「恋人? いや、そんな情報なんか聞いたことねぇぞ?」
「嘘……あの人……〈魔人〉!?」
「おい、今すぐ調べろ、灰色の全身スーツ、手袋、帽子、宝石を胸からぶら下げた気取った男だ。年のころは十代後半から二十代前半。あ? 人間だよ!……人種的には契国人なんだが髪は灰で目は赤色だ。知らねぇよ! 俺もわかんねぇから調べろっつってんの!」
(魔人ってなに? 魔人ってなんだよぉおおおお!! どういうことですか教えてくださいお願いします!!)
……鏡夜は軽く錯乱状態になりながら、集団に向かって、空いている手を振ってみた。
―――ざわざわざわざわざわざわっ……!!
ざわめきが三倍くらいになった。あ、こりゃもう会話は無理だな、と鏡夜は結論付ける。
そして、鏡夜と桃音はぽっかり空いた人と人外の合間を通り抜け、受付についた。
受付にはゴシックロリータの少女が立っていた。少女は鏡夜たちを見てくすくすと笑っている。ボリュームのある銀髪のツインテールに青い瞳。スカートは正面から縦に区切られ、白と黒褐色に分けられている。上半身は黒を基調としたドレスで胸の部分に白いレースがあしらわれていた。よく見れば、髪を括っている二つのシュシュもスカートと反対の配色で片側が白、もう片方が黒褐色に分かれている。
受付業務に似合わない、お人形さんのようなゴシックロリータの少女は口を開いた。「くすくす、不語桃音様とアンノウン様、ようこそいらっしゃいました。依頼メールはご確認されておりますか?」
「…………」
桃音は無言で鏡夜を見ている。どうやら鏡夜が応対する流れらしい。
「ええ、はい」
鏡夜はニコニコして言った。
「くすくす。ではしばらくお待ちください……失礼ですがアンノウン様。お名前をお聞きしても?」
「灰原鏡夜です。灰色の灰に原っぱの原、鏡に夜と書いて鏡夜と読みます」
「くすくす……ありがとうございます。素敵なお名前ですね」
「わぁ、嬉しいですねー。ありがとうございます」
(妙にくすくす笑うな……?)
その二分後、受付後ろのドアからスーツ姿の若い女性が出てきた。人間だ。茶髪で長めのポニーテール。ビックリ要素は一見した限りない。
「おっまたせいたしましたー!! うおっ!? 本当に不語さんが来てる!! 来ると思ってなかったからびっくりです!!」
(うわっ、うるせぇ)
が、あまりに元気よく喋るので鏡夜は面くらった。
「はい! はじめまして灰原さん! 不語さん! 私、〈Q-z〉事件特別対策本部オペレーター、染矢 令美と申します! 受付も兼任しております!」
「ん? 受付ですか……? ではこの方は?」
というかなんで名前を知っている、ツインテ―ルの少女はなにもしていない。微笑しているだけだった。
鏡夜は受付に立っている青い瞳の少女を見た。
「ああ、この方は白百合さん……アルガグラムから出向している人の機械人形ですよ。ほら、名乗ってあげてくれませんか?」
染谷オペレーターの言葉にゴシックロリータの少女は、腰から伸びたコードを優雅に手繰りつつ、応えた。
「くすくす。音声案内型過去観測機械「Pastricia」2ndナンバー。バレッタ・パストリシアです。よろしく……くすくす」
「お、おお……」
よく見れば少女の……バレッタのコードは受付机の裏側へ伸びている。鏡夜からは見えないが、何かに接続しているのは想像に難くなかった。
オートマタとか自動人形とかアンドロイドとかいろいろ言われるアレが、しれっ、と存在することに鏡夜は感動する。
(そうか、染矢さんが名前を知っているのは、バレッタさんが通信したからなのか。すげぇ。っていかんいかん、この反応はお上りさんだ。舐められる)
懸念に反して、染矢オペレーターは感心した様子の鏡夜に、わかります!! と言わんばかりに頷いた。
「いいですよねぇ、OAI人形!! 私、契国軍から出向してきるんでわかるんですけどほんとーにすごいんですよ!! ちょっと機密上、契国保有のOAI人形の詳細については言えないんですけどすごいんです!!! なのに個人でこうやって気軽に連れて来れるんですから開発組織はズルいですよねー」
「OAI……ですか?」
鏡夜は首をひねる。OAIとはなんぞや? それにはバレッタが答えた。くすくす笑いを入れて 歌うように説明する。
「いや、それはリーズナブルではないと思いますけどね?」
鏡夜は契国の貨幣価値は知らなかったが、流石に何百万円が小銭になるハイパーインフレ状態ではないだろうとあてずっぽうで突っ込む。染谷も桃音も、え? みたいな反応がなかったので鏡夜の推測は当たっていたらしい。安心しつつ、鏡夜は続ける。
「……まぁ、はい。教えてくださりありがとうございます。流石音声案内型のロボットさん。いろいろ教えてくれますね」
鏡夜は音声案内型という言葉を拾って、その部分を褒めておく。
バレッタ・パストリシアは当たり前のように微笑み続ける。
「くすくす……知りたいことがありましたら、我が主に不都合なことか、我が主に命じられない限りはなんでも答えますので、お気軽にどうぞ」
「あー、パストリシアさんはここにずっといらっしゃる感じで?」
「それは、我が主次第ですので……くすくす」
「あ、まぁそれはそうですよね……」
ここにずっといるなら折を見て、この世界についてめっちゃ質問しようかと思った鏡夜だが、そううまいことはいかなかった。
すると、染矢オペレーターが鏡夜たちに声をかけてきた。
「さて! では白百合さんの控室へご案内したいと思いますので! どうぞ奥へ!」
ビシッと奥の扉を全身で指し示す染矢オペレーター。行っていいのだろうか、と鏡夜は桃音に目を向ける。
「……?」
桃音は鏡夜の腕を引っ張った。なんの意図かさっぱりだったが、なにか言っておけばいいだろうと鏡夜は、染矢オペレーターに口を開いた。
「あの、このロビーにいらっしゃる方々は……?」
「ああ、もちろん、説明しますよ! ……それも同時に! 不公平や特別扱いはいけませんから。ただ、ほら不語さん」
「……」
「貴女は特別顧問の白百合さんが招いた方です! ほら、〈特別〉な方を〈特別扱い〉するのは、不公平どころか適正処置でしょう?」
(いや、でしょうとか言われても)
「なるほど……? あれ? 私はいいんですか?」。
「はい! お二人とも連れてきていいといわれています!」
「ふむ……そうおっしゃるなら。では、お言葉に甘えましょうか? 桃音さん」
染矢オペレーターに連れられて鏡夜と桃音は奥へと向かうことにした。
廊下を歩いて、つきあたりの扉を開け、外部特別顧問控室に入る。
その控室は、ベッドや大きな棚を用意していることから長期滞在も可能なように見えた。
奥の大きな机に一人の少女が座っていた。
派手だった。華美だった。美麗だった。金髪縦ロールのお嬢様がそこにはいた。
茶色を基調としたロングスカートのブレザーを着こんでおり、お嬢様学校からそのままここへ来たのではないかと思うほどに、女学生然としたお嬢様だった。その少女は椅子に座ったまま桃音と鏡夜を見た。
「あら」
と一言。その少女は立ち上がって、両手でスカートを少しだけ持ち上げて挨拶をした。
「はじめまして―――そして明けましておめでとうございますわ。白百合華澄と申しますの。以後お見知りおきをお願いいたしますわ」
このお嬢様が、アルガグラムから出向してきた外部特別顧問、白百合華澄であるらしい。
「あの悪名高い、〈全力全開桃姐様〉にあえて光栄ですの」
華澄はまるで誉め言葉のように、不語桃音のあだ名の一つを謳いあげた。
「………」
桃音は右手を口元にあてて首を傾げると、左腕を鏡夜から離した。
そのまま手持無沙汰に、ぼんやりと華澄を見つめている。華澄は桃音の目を見て、きゃー! という風に笑うと次は鏡夜に顔を向けた。鏡夜は先手を取って恭しく挨拶する。相手が誰であろうと、舐められてはいけないのである。
「はじめまして、灰原鏡夜と申します――まぁ、アレですね。桃音さんの協力者です」
対等の協力者というヴェールに包まれているだけで正確に言うなら庇護者と保護者の関係ではあるのだが。あるいはヒモとダメンズウォーカーかもしれない。
「ふぅむ、大変申し訳ないのですが、わたくしは灰原さんのこと存じ上げませんの」
「そりゃ、しょうがないですよ、この世の中、知らないことに溢れてますからねぇ。私だって、貴女のことを知りませんし」
鏡夜は揶揄するように親しみを込めて、意地を張って笑う。
「それはしょうがないですわ。わたくし――というかアルガグラムの内部や構成員は、たいていは機密ですから。秘密結社ですし」
「秘密結社――ですか。にしては、普通に名乗っていらっしゃいますね」
「よく言われますわ。世界規模で多角的に商品やサービスを提供しているのだから秘密結社という名称は不適格だろうと――そして、その答えも決まっておりますの。〈浪漫〉故ですわ。全ては、〈浪漫〉故ですの。だって、浪漫とはすなわち秘密結社とも言えますでしょう? ほかに理由など必要ですの?」
お嬢様お嬢様している華澄が浪漫を語る姿に鏡夜は少し微笑む。
「いえ、わかりますよ。カッコいいのは大事です」
なにせその格好良さゆえに、鏡夜は首の皮一枚繋がって、地獄に仏ならぬ異世界に救世主に救われたのだから。
「ふふ、わかってくださってうれしいですわ。服のセンスや気風も大変よろしいですし、いつか貴方にもアルガグラムのスカウトが行くかもしれませんの。その時は、仲良くしてくださいまし」
「今、仲良くするのは駄目なのですか?」
鏡夜は打てば響くように言葉尻を捉えて、すぐさま、しまった、と思う。舐められないように気を使いすぎて、踏み込みすぎたか。加減を間違えたかもしれない。これは一歩間違えれば軟派野郎だ。どうも意地を張るという行為に慣れるのはまだ難しい。
華澄は機嫌を悪くすることなく、平静に答えた。
「それはそれ。これはこれ――。そして、仕事は仕事ですわ。貴方が有能であれば、むしろこちらから、と言ったところですの。……おっと、不語さん、お待たせして申し訳ありませんわ」
華澄は桃音に近づいていった。しげしげと観察するように桃音に顔を近づける。
「しかし、見れば見るほど普通の――お淑やかな――優しい女性に見えますわね。亭主関白に付き従う大和撫子属性までついていらっしゃるようですし」
「誰か亭主関白ですか誰が!」
鏡夜は不当な評価に憤りを見せるが、華澄は見事にスルーする。華澄は桃音に語りかける。
「ああ、あなたが本当に不語桃音さんか、は疑ってはおりませんし、試すつもりもないですわ。ただ、わたくしが会ってみたかっただけですの。候補としては貴女が一番ですから」
(候補としては一番……? なんのだ?)
鏡夜は疑問に思う。それに応じたわけでもないだろうが、華澄は言葉を続けた。
「今ここで全てを説明して差し上げたいところですが――どうせ、ホールの説明会で同じことを繰り返しますの。二度手間は面倒でしょう? ここはサクッと省略しますわ」
華澄は気さくに言った。
「では、わたくしの後に続いてどうぞ―――いい席でお聞きできるように、このわたくしが案内しますわ」
華澄は鏡夜と桃音の間を通り抜けると、扉を開けた。そしてくるりと鏡夜たちを見て、さぁ、と呼び寄せる。
「……ありがとうございます?」
「あ、私は準備しなきゃいけないんでここでお別れです!! ではまた説明会で!!」
鏡夜が華澄に返事をした後、控室の隅で控えていた染矢はそう言って華澄の横を通り、さっさと退室してしまった。先ほどまでは空気を読んで黙っていたらしい。ともかく、この場に残ったのは華澄と鏡夜と桃音の三人だけだった。
鏡夜は桃音と見つめ合って、肩をすくめると華澄についていく。
案内されたのは、テレビ中継されていた四階建てのステージホールだった。天井の一部には応急処置として簡易的に鉄板が張られている。鏡夜の天井への視線に気づいて華澄は言った。
「建物がここぐらいしかないものでして……ま、安心なさってくださいな、あれは落ちませんの」
華澄に案内されたのは二階中央最前席だった。華澄は、一番よく見えるところですわ、となんでもないことのように告げる。賓客席は一階だったのに一番眺めがいいのは二階なのか、と鏡夜は奇妙に思いつつ、鏡夜、桃音、華澄の順で座った。
すると、下の階の扉が開いて、玄関のラウンジに集まっていた人々人外が一階座席に好きなように座っていく。密集したり、前後左右三席開けて座ったり、位置の取り方に個性が見えて、少しだけ興味深い。
しばらくして、ブッー、と開演ブザーが鳴った。契国王の演説前のように、クラシックでやらないんだなぁ、と鏡夜は思った。
全身スーツの女性がステージ裾から歩いてくる。先ほど別れたばかりの染矢 令美オペレーターだった。物怖じせず、大股歩きで堂々とステージ中央までたどり着く。
染矢オペレーターは正面から客席を見据えて小さな咳払いをしてから、口を開いた。インカムを通して会場中に彼女の声が響く。
「はじめまして!!〈Q-z〉事件特別対策本部 オペレーター 染矢令美と申します!! 本日はお忙しい中、来てくださりありがとうございます!! では、さっそく説明いきまーすので、後ろモニターにご注目してください!」
染矢オペレーターが携帯端末を操作すると、ステージ後ろの白い幕に映像が出力される。どこかのテレビ局からデータを引っ張ってきたのだろうか、砲弾が天井からステージへ突き刺さり、地表を進み塔の入り口に突貫した、あの衝撃映像が音声付で上映された。というか鏡夜たちがいる今ここが現場なのだが。そういえば、と鏡夜はステージの材質が木材ではなく、真っ黒なリノリウムになっていることに気づいた。昨晩の騒ぎで完全に破砕してしまったため、入れ換えたらしい。
染谷オペレーターは動画が一通り終わったことを確認してから口を開いた。
「はい、えー、この攻撃は上空約一万メートルから突如出現し、急降下してきた不明機から発射されたものです」
スライドするように次の動画に切り替わる。
昨夜、鏡夜が窓から目撃した頭の悪い構造のプロペラ飛行機。少し遠目からではあるものの、巨大な砲台を背負って墜落するように落ちていくその姿がバッチリと写っていた。
「この飛行機は発射後、上空で爆散、部品一つ火薬一つ見つかっておりません。現在も捜索中です……もし発見できれば、手がかりになるので、心当たりがあるのなら連絡をお待ちしております。そして手がかりと言えばあの、塔入口に塗りつけられていた犯行声明ですが」
次の映像はさきほどの、砲弾が塔へ侵入した前後のコマ送りだった。コマ送りの映像には、黄色い液体が砲弾の上部から射出されているのが見て取れた。
「こちらの部分からペンキが射出され描かれているだけでした。ここから犯人を辿ることは不可能と考えられます。えー。そして、ここからが重要なのですが、こちらの画面、砲弾の横部分にご注目ください」
同じ画面内、砲弾胴体にズームアップする。そこには英語で文章が彫り込まれていた。
Quest〝curtain call〟
「以後、このロボットをクエスト『カーテンコール』と呼称します」
(ロボット……!?)と鏡夜は驚く。
他の観客席の人たちもざわついていた。
染矢はそれを抑える。
「はい! 詳しく説明いたします! 本日の午前〇時に【決着の塔】に侵入した『カーテンコール』は塔内部侵入後、変形し高速で塔内部を直進、二百メートル地点で停止しました。そして現在まで、全ての塔の侵入者を排除するために攻撃行動をとっています。皆様に依頼し、要請するのは、……この、『カーテンコール』の排除です。その対価は、【決着の塔への挑戦権】」
――――ざわざわざわざわっ!!!
「なんですと……これはまた剛毅な」
鏡夜は呟く。異世界人の鏡夜ですらわかる。なんでも願いの叶う権利を、下手な者に渡せないはずだ。契国王は――柊王は言っていた、〈彼らは代表〉だ、と。それはつまり、下手な、身勝手な、ともすれば破滅的な願いを叶えさせないための、代表者選定の結果だろう。それを、完全に無視するような暴挙だった。
流石にこれは見過ごせないのか、観客席でひときわ大きな声が上がった。呼び寄せられた冒険者の一人だろう。
「待て!! それを柊王が――いや、ちげぇ!! お偉いさんが、国が許すはずがねぇ!!」
≪いいえ、許しましたわ。許さざるおえませんの――≫
それに答えたのは染矢オペレーターではなかった。
というか聞いたことがある声だった。鏡夜が桃音の向こう側に座っている彼女を見れば。
華澄はいつのまにやらマイク付きヘッドフォンをつけて不敵に笑っている。
彼女が喋ると、マイクを通して声が会場に響いた。
≪非常に単純な話で、つまりは時間がありませんの。もし、あの『カーテンコール』に誰かが乗っていた場合……その誰かがいの一番に決着を手に入れる可能性がありますわ。どんな改造者でもあの砲弾内にいれば衝撃でバラバラになって当然だとは思いますが、そもそもこの横やりこそ、常識と当然を完膚なきまでに破壊してますの。楽観視はできませんわ≫
「……あの代表者の方はどうしたんでしょう? 私たちに頼らなくても、強そうでしたが」
鏡夜がぼそりと呟く。声が小さかったからか華澄のマイクに音が入ることはなかった。しかし、その声を華澄は聞き取ったので普通に答える。
≪本来の代表者たちは『カーテンコール』によって全滅ですわ。魔王たちは突貫して四天王が穴だらけ、聖女たちも向かいましたが全員磨りつぶされ、英雄たちはボロボロで敗走。勇者たちはそもそも手に余ると棄権しましたの。ああ、誰も死んでいませんわ。この塔の中では誰も〈死にはしにません〉から。ただその代わり、ほぼ全員が治癒ポットか治癒術師のところに缶詰になっておりますの≫
ステージホール中かシーン……となった。鏡夜は疑問符を浮かべる。〈死にはしない〉も気になったが、ここまで誰も彼もが戦々恐々となるほどの情報だったのかと。
そもそも代表者について鏡夜は、強そうとかすごそうとかそういうぼんやりした印象以外、まったく知らないから当然なのだが。
ただ、魔王だの、勇者だの、聖女だの、英雄だの、言葉はとってもファンタジーで重要人物を言い表している。あと、治癒ポットと治癒術師が連続したセリフで出てくる世界観が未だにわからなかったが、それは今どうでもよかった。
≪さてさて、わたくしども、情報なしで皆様に無茶な依頼をするほど無能ではございませんの。もちろん、クエスト『カーテンコール』の映像もございますわ――染矢さん、見せて差し上げてくださいまし≫
「え、あ、はい!」
染矢が携帯端末を操作し、新たな映像が出力される。今度の動画はかなり荒いものだった。
「……はい、緊急事態ということで、クエスト『カーテンコール』を制圧するために契国軍の部隊が塔へ侵入した時の映像です」
決着の塔の性質上、軍隊を使う計画はなかったのですが……と染矢オペレーターが呟いている間に、動画の上映が進む。ノイズが混じっているが、たしかに戦車や歩兵などと言った軍隊らしき人と人外が廊下を突き進んでいる。
赤いカーペットに石畳。そして、その一番奥に、『カーテンコール』がいた。無骨な丸みを帯びた鉄の上半身は、かつて舞台に突っ込んだ砲弾と同じ形。よく見るとその丸い頭には大きな目と小さな目の二つがついている。
そして、その下半身からは数多の車輪がうじゃうじゃと生えていた。さらに床には異常な量の薬莢が散らばっている。
指揮官らしき人物が攻撃を命じると、戦車から砲が放たれる。
その瞬間、『カーテンコール』はすさまじい速度で移動し、砲撃を回避した。下半身の車輪がうじゅるうじゅると常に駆動し、巨体に似合わず柔軟かつ高速で移動し、契国軍を翻弄する『カーテンコール』。
そして『カーテンコール』の上半身、両端の部分が持ち上がる。それは腕のようだった。両腕が、軍隊……映像を記録しているカメラのレンズ、そして、その映像を見ている冒険者たちに向けられる。
どん引きするほどの巨大な銃口が両手の先に十門ずつついていた。円形に配列された十の銃口が回転するのを視認したと同時、轟音。激しい閃光で映像が見えなくなり、映像は終わった。
≪と、まぁこのように。立地もありますが、物量をぶつけて倒す手は悪手ですわ。軍隊の肝要たる大規模展開もできませんしね……。しかし、倒さねばならない。できるだけ早く。ならば他の冒険者に来てもらえばいい―――それが各国首脳の判断ですわ。この敵を倒した冒険者には【決着の塔の挑戦権】を得られますわ。本来なら人類の代表か人外の代表にしか与えられない栄誉ですの。……比喩でもなんでもなく歴史に名が残るでしょうね。それでも命は賭けられない? 安心してよろしいですわ。勇者と魔王というのは御存じの通りジョークのわかる人たちですの≫
動画が再開される。装備もぼろぼろ、戦車も大破しているが、人間や人外、サイボーグの軍人たちは重症軽傷で――しかし、死ぬことも死に至ることもなく倒れていた。奇妙なことに、倒れている場所はあの赤いカーペットと薬莢が敷き詰められた塔一階内部ではなく。この、今鏡夜たちがいるステージホールのステージ上だった。
(ああ、なるほど死なないってこういうことか)
「おお、勇者よ、しんでしまうとはなさけない」
それがまるで往年のRPGゲームを連想させて、鏡夜は何も考えずついそのセリフを口に出してしまった。それがいけなかった。小声でも鏡夜の呟きは、華澄に聞こえるのだ。華澄はそのセリフにくすっと笑って告げた。
≪おお! 挑戦者よ! 死んでしまうとはなさけないですの! このように、必要最低限の回復の後、表に――その、舞台に! 神代のロストテクノロジー、テレポーテーションで放り出されますわ。要治療ですが、死にはしにませんの。ぜひ気軽に挑戦してくださいね≫
映像では軍人が苦しそうにうめいていた。……これで気軽は無茶だろう。鏡夜は冷や汗を垂らしつつ呆れる。
そして、ステージの脇に控えていたのか、回収の人員の足が動画にちらりと映った瞬間、プツン、と上映が終わった。
≪では、以上、白百合華澄でした≫
映像の終わりを確認すると、華澄は頭につけたヘッドフォンを外し、隣の席に引っ掛けた。
「カスミ……? 誰だ?」
「白百合家の関係者なのはわかるが……」
「政府だけじゃなくて経済界も出て来てんのか……」
(経済界? 白百合家? ……アルガグラムなる組織? いや会社? のエージェントってだけじゃねぇのか?)
鏡夜は華澄を見ようとしたが、鏡夜に視線を向けた桃音とちょうど目が合ってしまう。この状態で桃音を無視して華澄を見ても桃音に失礼だ。仕方がないので鏡夜は桃音に笑いかけ、舞台に手を向けてあちらを見ましょうと、ジェスチャーで伝える。桃音は一瞬訝しげな顔をしたが、鏡夜の言に従った。
さて、そろそろ……と鏡夜はステージの方へ向き直る。
「はい! では皆さん!! 依頼主は〈Q-z〉事件特別対策本部。依頼内容はクエスト『カーテンコール』の排除。ーーー【クエスト】を発行いたします!! 受注はこちらステージでできますので、ふるってご参加ください。参加人数に制限なし! しかし日時は先着順で決定するのでお早めにお並びください。抜かしたりどかしたりはご法度ですよ! 戦力分析資料もこちらで配布しております。もちろん、依頼を受注せずとも資料は持ち帰っていただいて結構ですし、後日受付も可です。それでは説明会を終わります!」
染谷オペレーターが説明を終えた瞬間、鏡夜は二階の手すりに足をかけた。その光景は本人にはわかっていないだろう。
灰色のスーツをはためかせ、今にも飛び上がろうと屈み、足を引っかけたその体勢。それは、そういう感性を持つ人間にはたまらないもので。
「―――……」
「―――……」
彼の後ろに座っている白百合華澄と不語桃音は完全完璧に、その感性を持っていた。二人の少女の心を、たった一瞬だけだが、奪った鏡夜は二階から飛び降りた。昨日も今朝も何度も飛び上がったし飛び降りた。感覚はもう掴めている。他の冒険者たちは動けていない――今動くことができれば、舐められることはそうそうなくなるだろう。一目置かれるというやつだ。それが何の役に立つかはさっぱりだが――かの金言しかり。桃音の例しかり。舐められないことは、きっと無駄にはならない。
(ちっ、それにしても――少し遠いな。一度通路を踏んでいくか。ショートカットできればよかったんだが)
コツッ、と着地した。ただし下の階の通路ではなく、その上にある―――一階座席のさらに上に浮いている――〈何か〉に。
(……は?)
鏡夜は疑問に思ったが、予定通りにジャンプする。今踏んだのは鏡夜の靴だ。鏡夜の靴の裏を鏡夜が踏んだ
(あれは……〈鏡〉か?)
鏡夜は、驚いた様子の染矢の前に着地する。
「では、応募してもよろしいですか?」
「えー、はい! 少々お待ちくださいね!」
染矢オペレーターが舞台袖に目を泳がせる。鏡夜もそこを見てみれば、謎の人物が台車に紙束と大きなプリンターを乗せて、ステージへ運んでいた。
彼……あるいは彼女――白い仮面で顔を隠した鷹のような翼を生やした性別不明黒スーツの人物だった―――は台車をステージ中央に届けると、飛ぶようにというより実際飛んで舞台袖に逃げ帰っていった。
(ほぼ不審人物……いや、染矢さんと同じ服着てっからここの職員なんだろうけどよ)
鏡夜は二階から突然飛び降りた自分の奇行を差し置いて、そんなことを思った。
染矢オペレーターは台車から紙束の一つ拾い上げると鏡夜に手渡す。
「こちら資料をどうぞ! いつ頃挑戦なさいますか?」
「早くに。一番早くに、お願いします!」
「では、今から二時間後に準備が完了すると思いますので、その時間にいらっしゃってください。はい、受注票です」
染矢オペレーターが携帯端末を操作して、一枚の紙を運ばれてきたプリンターから印刷した。彼女ははその紙を半分に引きちぎって、片方を鏡夜に渡した。残った片方の紙は、腰に取り付けた細いスリットのある小箱に放り込む。
「では、証明証となりますので、お時間になりましたら受付までお持ちください!」
「はい、ありがとうございます」
鏡夜は微笑むと資料を持って振り返った、冒険者たちがポカンとした顔で鏡夜を見ている。二階にいる華澄は笑い、桃音は笑っていなかった。
鏡夜は悠々と一階客席の間を通り、ステージホールから去った。
誰もいない通路を通り、エントランスへ行く。無人だった……ただ一体、受付にバレッタ・パストリシアが佇んでいることを除けば。鏡夜はバレッタがいることに気づくと笑顔を浮かべて彼女に話しかけた。
「どうも~、さっきぶりです! パストリシアさん!」
バレッタは相も変わらず、くすくす笑いつつ答えた。
「くすくす。灰原様、気が早いですよ、まだ一時間五十八分ございます」
「……ああ、クエストの話ですね! いえ、そうではなく」
鏡夜は染谷オペレーターからもらった戦力分析資料をバレッタの前に掲げた。
「こちらの資料について、いろいろ聞きたいなぁと思いまして。大丈夫ですか?」
ちなみに、この予定は元から考えていたわけではない。いつもの通りの、舐められないために咄嗟にした即興の虚勢である。
「くすくす、問題ありません……ですが、我が主と不語様が、おそらく一分以内にはいらっしゃいますので、それからでよろしいですか?」
「もちろんじゃないですか」
バレッタの言う通り、華澄と桃音が奥の扉から出て来た。鏡夜が手をふって彼女たちを呼び寄せる。
「灰原さんは、やることが外連味たっぷりですわねぇ」
華澄は開口一番、感心したように言った。
「……」
桃音はなぜか少し不満そうにしている。
「なぜかずーっとこうなんですの、困りましたわ」
鏡夜は申し訳なさそうに桃音に目をやった。
「ああ、置いて行ってしまったので怒っていらっしゃるんですよ」
鏡夜は適当に言った。読み取ろうとしても、そもそも桃音という女性は伝えるということができない。だから勝手に推察するしかないのだ。そして、その勝手な推察に基づいて鏡夜は言葉を続ける。
「けど、そうそう……許してくださいとは言いませんよ? これは大事なことでしたから。次があっても同じことをします」
鏡夜は笑う。笑う。正直、人前でなかったら素直に謝っていた。が、人前だ。それも特別顧問、白百合家なる権力者っぽい華澄の前。舐められたら終わり、という金言を信じる鏡夜は意地を張るしかないのだ。
でもフォローはしておこう、と鏡夜は口を開いた。
「だから、次もまた同じようについてきてください……まぁ、桃音さんがよければ、ですが」
桃音は鏡夜の目を見つめると、一歩だけ寄り添って隣に立った。許してくれたらしい。たぶんだが。
「やはり亭主関白……」
「くすくす……俺についてこい宣言?」
「誰が亭主関白ですか誰が!! というかそんな関係じゃないですからね!」
そもそもそんな関係になりようがない。この手袋のせいで、触れることすらできないのだから。
一段落して、他の冒険者も来ないのでバレッタ・パストリシアは先ほどの問いに答えるため、鏡夜に資料の内容を諳んじて伝えた。
「くすくす。クエスト『カーテンコール』。無骨な丸みを帯びた上半身と、柔軟性を持ち自由自在に形を変える大量の車輪の下半身を持つ機動兵器。上半身の側面がそれぞれ十口の銃口がついた重火器になっており、その鉄量は弾幕。攻撃する際に肘から薬莢をまき散らし、地形を転倒し易くさせ、戦う相手の機動力を削ぐ。そして『カーテンコール』自身は対応力の高い車輪で機動性を完全に保っている。……くすくす。一言で表現するのならば、機動力と火力特化の変態兵器です」
華澄はそれに付け足すように言った。
「それに、環境を都合のいいように作り変えるギミックも併せて、閉所戦闘特化と言えますわ。ふふ」
「何がおかしいんですか?」
鏡夜が首をかしげると華澄は感慨深そうに言った。
「いえ……実に、浪漫溢れているな、と」
「と、いうと?」
「無骨で異形なフォルム。閉所以外ではタコ足なだけの戦闘ロボット。開けた場所では、いかような戦略でも囲い込めて潰せる的でしかない……なのに、今あの場所に限り、あれはクエスト『カーテンコール』となり、歴戦の強者すらも駆逐する。ああ、浪漫ですわ。わかりませんの?」
「……なるほど?」
残念ながら鏡夜にはよくわからなかった。開けた場所なら的でしかない……という言論からして理解できない。知識がないのはもちろんのこと、軍事的戦略など、鏡夜にはさっぱりだった。なので話を変えることにする。
「……ところで、おすすめの攻略法とかあります?」
「閉所を十全に活かす機動性の高い兵器ですから……大火力で吹っ飛ばすなどいかがですの?」
「いや、戦車の砲弾を避けてませんでしたか……?」
「もっともっと、ですわ。外に漏れ出るほどの爆弾を放り込むのですの」
「くすくす、我が主、此処は歴史政治文化未来過去が焦点する最重要地ですよ? もしリカバリー不可のダメージを建築物に与えてしまった場合、起こりえるリスクは非常に巨大になるかと……くすくす。それに、『カーテンコール』の頑健性も砲弾として活用されたことを加味しますと高いと考えられます」
「……ま、攻略法がわかっているなら冒険者募集などしませんでしたわ」
「ははは、それもそうですねっと。お手数をおかけしました」
鏡夜は華澄とバレッタに解説の礼を言うと、どこか慣らしができる場所はないか尋ねた。
バレッタ曰く、ドームの裏手に訓練場があるらしいのでそこに向かう。
「ふむ、なかなかのTHE・広場」
鏡夜は自分でもよくわからないことを言うと桃音と華澄とバレッタを伴って広場中央へ向かう。広場には幾人かの冒険者がまばらに動いている。剣を振るったり、杖を降って炎を出したり、配られた資料を読みながら話し合っていたりしていたり。……鏡夜に遅れつつも早めにクエスト受注を済ませた冒険者たちのようだ。彼らは鏡夜たちが来るのを見ると驚いて、端に寄った。……なぜか避けられているような気がする。
契国のアンタッチャブルと称される桃音が理由なのだろうか? それにしては絢爛の森に来ていた冒険者や女子学生、警察官等は親しげに話しかけてきたが……。
結局、広場中央、空いたところに行くまでに話しかけられた回数は一回。
「がんばれよー!」
と良く知らないおっさん……壮年の人間の男性に言われ。
「はい、がんばりますね~」
当たり障りのない答えを鏡夜が返したっきりだった。
広場中央。慣らしのために、鏡夜と桃音が向かい合って立つ。華澄とバレッタは少し離れたところから、鏡夜たち二人の様子を眺めている。
「ま、少しだけ付き合ってくださいな」
鏡夜は手を振るった。鏡夜の前に、一枚の鏡が出現する。
(やっぱりな……鏡が出せるのか。〈灰〉原〈鏡〉夜……てか?)
もし、この服を着せた何者かがいたとして。その何者かが意図して鏡夜の名前に合わせて身体を作り変えたのならば。意図がまったく読めないし、とても悪趣味だ。
そして……とても腹立たしかった。鏡夜という名前は、鏡夜にとって間違いなく誇りであり自慢なのだから。しかし、勝手に意図を想像して、勝手に憤るのは精神的労力の無駄遣いなので、鏡夜は一度深呼吸をして気持ちを切り替える。
まず鏡夜は自分が映り、そして宙に浮かぶ鏡の表面をコンコンと叩くことにした。浮いている以外は、普通の鏡のように感じられる。次に沈め、と念じてみつつ鏡の表面を叩いた。手は沈まなかった。
(……? これは沈まねぇのか)
昨日、ウッドハウスの鏡に手を突っ込んだ時は、手が沈んだのだが。今度は強めにガンガン叩いてみた。まるでびくともしない……。
「ふぅん?」
鏡夜は鏡の裏に回ってみた。鏡の裏はプラスチックのような無機質で脆そうな材質で出来ている。鏡夜は、その裏面を叩いてみた。
割れた。鏡は割れ散って、落ちて、風に消えるようになくなった。
鏡夜はそれを確認すると、もう一度新たに鏡を出現させた。これまで何度か鏡を出しているが、疲れは特に感じない。
今度は向かい側に立つ桃音へ鏡の面を向けて浮かせる。
「では、桃音さん、この鏡にー、攻撃してくれます? 鏡の面ですよ?」
「……」
桃音は一歩下がると。全力で鏡へ回し蹴りを放った。
野暮ったい格好をした女性が放つあまりにも華麗な蹴りはとんでもない速度で鏡の面にぶち当たる。衝撃が周囲に広がる。肌にびりびりと空気の震えが伝わり、遠くからこちらを伺っていた冒険者たちは顔を青くしている。
対して、鏡は無傷だった。表面は相も変わらず、曇りなく、茫洋とした無表情の桃音を映している。鏡の後ろに立っていた鏡夜は、ダメージ一つ負っていない。
「なるほど……ありがとうございます。これはすごいですねぇ。役に立ちますよ、とっても」
鏡夜は鏡の裏側に手を添えて撫でるように割った。
「なるほどなるほど……すさまじいですわね。さすが不語さん。ところで灰原さん? その鏡、どれくらい出せますの?」
華澄が感心したように頷いて、鏡夜に顔を向ける。
鏡夜は(ああ、それも大事だな)と思い、できるだけ鏡を出すことにした。六枚出現させると、力を入れても鏡が出なくなる。どうやらこの枚数が限界らしい。
「六枚が限度ですよ」(今知ったが)
「大きさは?」
鏡夜は念じて六枚を消した後、一番大きくなれと鏡を出す。
ドン!! と大きな鏡が出た。
「これが限界ですかねぇ」
「……くすくす。2・00メートル四方の正方形です」
「柔軟性」
鏡夜は少し頭を捻る。まず剣の形。どこかのRPGで見たような簡素なものを思い浮かべ、巨大な鏡の折り紙を織り込むように形作る。持ち手の部分を筒にして―――。生成。
もう片方の手には斧の形になるように鏡を織り込んだものを持つ。
「これぐらいなら余裕ですね」(今知った)
鏡夜は右手に持った剣と左手に持った斧を軽く振り回した。浮かせるだけでなく、手に持つことも可能だった。
「……ずっこいですわ!! チートですわ!!」
「いや、そういわれましても……」
「それで空間固定もできて、さらに身体能力も高いのでしょう? 近年まれにみるチートっぷりですわ!!」
そう言われても鏡夜はこの世界の近年など知りはしないのだが。
「まぁ、恵まれてるのは同意ですね……でもほら、この運が良いのが私ですので?」
果たして全身わけのわからないことになって服が脱げず、身体一つ異世界に放り込まれることを、運がいいの範疇に入れていいのか、鏡夜自身も疑問だったが、これくらいは意地を張って嘯いてもいいだろう。
というか、なんでまだついてきてるのだろうこの二人……いや、一人と一体か? と、鏡夜は華澄と機械従者を見やる。
正直バレッタ・パストリシアは一目見た限りでは浮世離れした人形的な美貌以外まるで機械感がない。
この世界に慣れていない鏡夜としてはこんがらがってしまう。腰から伸びるコードも、今は収納しているのか外側からは見えないし。これならまだ塔に来る途中に遭遇した警察官の方がロボっぽかった。
違いと言えば、警察官は呼吸していたが、OAI人形は呼吸していないぐらいのものだ。
さて、正直な話、クエストを受注してなお、全てを桃音に任せたいのが鏡夜の本音だった―――それはできないのだが。不語桃音が格好良いものに弱いからこそ、この関係は成立している。格好良さを放り投げれば、鏡夜は現状維持すらできないのだ。服を脱ぐなど夢のまた夢になる。
それでも、ここまで戦えるかどうかの確認をしてもなお。鏡夜には精神的にも技術的にも、戦闘などさっぱりだった。……喧嘩などしたことはない。
さりとて前のめりであり続けるしかないのだから、鏡夜は自分のことながら苦笑いした。結局、諦めるには奪われたものが多すぎる。
「さて……桃音さん」
鏡夜はいつか映画だか写真だかでみた武道家を見様見真似して構える。右手のひらを前に、左手を胸の前に構える。
「身体の慣らしです――私に合わせてください。お手柔らかに」
桃音は、両手を小さく広げて仁王立ちした。
表情はいつもの通りの虚ろ。
「…………」
「かかってこい―――と? では胸を借りるつもりで、いかせてもらいますね」
鏡夜は後ろへ片足を踏み込み、勢いをつけて前へ跳んだ。あっ、という間もなく桃音の眼前に迫る。鏡夜は彼女の顔を掴もうと手を伸ばした。
……今更だが、この手は状態異常を引き起こす。対生物に絶対的に有利な能力だ。しかし、残念ながら、桃音はそれを知っていた。鏡夜の右腕は桃音の左腕で軽くいなされる。次は空いた右拳で攻撃してくるだろうから――と、鏡夜が彼女の右腕を見ると。
右腕がなかった。
「――……」
ズドンッ、と鏡夜は腹部を撃ち抜かれた。桃音の右拳による衝撃が背中から広がる。
「あらあら、とっても素敵な不意打ちですわねぇ。バレッタ、今のはどういう術理ですの?」
「くすくす、ゆったりした服の活用ですわ、我が主。腕を曲げて袖の内側に入れて、右肘を高く上げ、腕の姿勢を誤認させたのです。なので、今のアクションは〈フック〉ではなく〈打ち下ろし突き〉。頭部ではなく腹部への全力アタックです」
「となるとー、灰原さんの攻撃をいなした動きに連動して足、腰、肩、腕、重心を綺麗に打ち込みましたから。良くて内蔵破裂ですわねぇ……入っていればですが」
「……慣らしだと、言いましたよねぇ……?」
鏡夜は地を這うような声で言った。桃音の右拳を、鏡夜は左前腕で防いでいた。
「合わせてくださいと、言いましたよねぇ……?」
いなされた右腕をひねって、鏡夜は服から露出した桃音の左腕を掴んでいた。
「チェックメイトです……そしてェ……」
「……」←弱点:【喋れない】【格好良いもの】【状態異常:魅了】
顔を真っ赤にして、桃音は鏡夜の顔を見つめていた。
「おしおきです」
鏡夜は右腕で桃音を抱き寄せた。
「……!!」
桃音は身体をかちんこちんにして固まっている。
そして鏡夜は……。
(いっっっってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!)
折れた左腕を桃音と自分の間に挟んで隠していた。
(クソがぁ!! めちゃくちゃいてぇ!!! つーかマジかこの女ァ!! なんのためらいなくテメェが惚れた男に殺す気の不意打ちかましたぞ!!!!)
腕の中でモジモジとする陰気で地味な文学女性に鏡夜は脳内で叫ぶ。
あと、しまった。意図して心の中でも言っていなかったのに、過度な激痛のせいで、彼女が自分に好感を抱いているだろうと自意識過剰な考えを鏡夜は脳内で明言してしまった。が、それに恥ずかしさを覚える余裕すらない。いたい。
(ふーふー……!! なんか痛くなくなってきたぞ? やべぇ、感覚が死んだか!? クソッ!!)
鏡夜は右手を桃音の頭にバシバシバシバシ、とあてた。そして離れる。
(………なんとか、なるかなぁ、あと一時間以内に直せるか? いやいけるいける。未来感すごいし治療できるって骨折くらい超技術で。治療ポットとか治療術師とかあるんだろ?)
英雄やら魔王やらが現在も治療中であるぐらいには時間がかかるらしいが、腕一本だ。いけるはず。というかいかねばならぬ。
鏡夜は【状態異常:麻痺 魅了 混乱 毒 恐怖】を発動して、ぶっ倒れた桃音を右腕で庇いつつ地面に降ろした。そして自分の左腕を見た。治っていた。
(はっ?)
よく見る。綺麗な腕だ。指をぐーぱーとうごかす、肩ごとぐるぐると振り回す。なんの支障も痛みもない。折れたはずなのに……。
鏡夜はびくびくと地面でのたうつ桃音を見下ろしながら内心困惑しつつ、外面はあきれ笑いで言った。
「これで許し上げますよ。まったく……」
「なにをしたんですの?」
「ほんの少しばかりー、状態異常になっていただきました」
びくつく桃音を見て華澄はつぶやいた。
「うわぁ………灰原さん、鬼畜ですわねぇ」
「まさか、私ほど紳士な人間はいませんよ~?」
なにせ服が脱げないわけであるし。
「紳士服を着ているだけでしょうに。しかし、よく防げましたわね」
「……なに、簡単なことですよ……なーんてちょっとカッコつけちゃいましたね?」
鏡夜自身も防げたのは驚きだった。身体が勝手に動いたのだ。……もういまさら驚きもしない。
次はどんな驚きびっくり能力が自分の身体が飛び出るのか楽しみに……なんて思えはしなかった。他人事ならまだしも、なにせ自分の身体である。
「しかし、桃音さんには困ったものです」
「まぁ、それも当然ですわ。彼女は悪名高き〈全力全開桃姐様〉、疲れないという呪いを誰よりも発揮し、何事にも、常に全力全開な人ですもの」
「あー、そういう……」
心当たりは、ありまくる。ともかく加減をしない人だった。出会ったときから突貫して飛び出して突飛なことに暴走する。なるほど、〈全力全開桃姐様〉とは、うまいあだ名だ。
「? ……そういう? ……知りませんでしたの?」
「おっと、まぁ、そうですね、知ってましたよ。なにせ同居してるわけですし?」
「……あら、思ったより進んでいますのねぇ」
(うん?)
レスポンスが妙だったような……? 鏡夜が内心で首をひねっていると、ひときわ大きくびくついた桃音が、むくりと起き上がった。そして、立ち上がり、背中についた埃を払う。ふー、と桃音は一息つくと、自然に鏡夜へ近づき、隣に立った。
「むっ」
と、華澄は不満そうな顔をすると、即座にふふんと不敵な笑顔を浮かべて髪をかき上げた。
「灰原さん、〈決着〉がほしいんですの?」
「? ……そりゃぁもう! 喉から手が出るほど!」
鏡夜は唇に拳を添えてグーパーした。……そういえば、この手袋で自分に触れても状態異常は起こらない。
便利なものだ。服が脱げないという圧倒的な不便さを除けば。
「そうですの。実はわたくし――〈決着〉そのものには興味がありませんの」
「へぇ? そりゃまたなぜです?」
鏡夜もそれに合わせるように含みがある感じで応答を返す。ちなみに、含みも何も、いつもの通り鏡夜は何もわかっていない。
「それよりも大事なことがありますの。―――わたくしは〈Q-z〉事件を解決しなければならない。これがわたくしの任務であり、責務であり、義務であり、浪漫なのですわ。なぜかと申し上げれば……この事件の犯人は、犯人の一人は、十中八九アルガグラムの〈魔術師」なのです」
「……と、それはどういう?」
「あんなずば抜けた〈人形〉を開発し、運用できる技術者は―――わたくしの知る中では現在失踪中のアルガグラムの〈人形使い〉だけですわ。ええ、だからこそ、特別顧問、なんて浪漫の足りない看板まで下げてわたくしはここにいるんですの」
「つまりは?」
「協力しましょう、灰原さん、不語さん」
「なぜ私たちなんです? 貴女――たちだけでもできるのでは?」
鏡夜はくすくすと笑っているバレッタを見ながら言った。
華澄は首を振った。
「そんなイージーミッションじゃありませんわ。きっと」
「根拠は?」
「〈きな臭さ〉、ですの――感じませんか? 今、この塔にはありとあらゆる策謀と意思が入り乱れておりますわ。曖昧な癖に強固で、適当な癖に譲らず、間違ってる癖に押し通す。種族と個人の意図が入り乱れ……その中で、貴方たちだけが、まっすぐでしたの。不語さんはもちろん――灰原さん、貴方も、協力するには最適な方だと、わたくしは判断しましたの。アルガグラムの人形使い捕獲に協力してくだされば―――、貴方たちが〈決着〉を手に入れられる手伝いをしますわ。いかがです?」
鏡夜は頭を深く下げて帽子で視線を隠した。唐突な提案。
(さて―――考えどころだ)
鏡夜は黙考する。心の奥底まで意識を沈ませ、思いを巡らす。
(直感としては引き受けてもいいと思う。頼れるのは一人でも多い方がいい――二重拘束も特に起きない。無口な方は格好つけていればいいだけで、お嬢様な方は捕り物に協力すればいいだけだ。が、理性だと疑わしいに限りない。〈なんでも願いが叶う〉んだぞ―――興味がないわけがない。願いがない人間などいない。そこが嘘で、だからこそ、その嘘がこの女の評価を下げる。注目すべきは嘘の〈理由〉――さて)
鏡夜は華澄に注目する。その傍に浮かぶ弱点に注視する。
今にもおーほっほっと笑いだしそうな金髪ドリルお嬢様の弱点は。
「……」←弱点:【なし】
(……えっ)
馬鹿な、と鏡夜は思う。いや、ありえない。不語桃音は【格好良いもの】に弱い。灰原鏡夜には【自縄自縛癖】がある。それを鏡夜がわかるということは、性格の弱みすらもわかるはずなのだ。それが――ない? 鏡夜はてっきり【浪漫】と出てくると思ったのだ。何度も繰り返し言っていたし、浪漫あふれるものに感銘している場面も多々あった。なのに、【なし】。いや、そもそも、弱点のない生き物などいるのか?
いや、いやいやいや―――そうか――――。
「そうですか。――――貴女は己にも、世界にも不満がないんですね」
鏡夜は気づいた瞬間、口に出していた。
「ええ、貴女は、何一つ嘘をついていない。貴女が望むのは、何にも侵されることなく、貴女が貴女でいることだ。貴女の人生、貴女の夢、貴女の生活――それが、ただ続けばいいと貴女はそう願っている。それはとても……素晴らしいことです。ええ、それ以上に大切なことなどない。それはとても素晴らしくて美しくて麗しくて輝いて――羨ましい」
人生も生活もすっかりなくなって変わってしまった鏡夜からすれば、それは何より尊い至宝だった。
「―――――…………………ふふ……ふふふ。おーほっほっほっほっ!!!」
華澄は高笑いした。
「ええ、当然ですわ!! なぜならわたくしは、白百合華澄ですもの!」
「では華澄さん……私は誓いましょう。私は決して貴女を侵さない。己であることの尊さを、人間的な生活のすばらしさを体現する貴女を。私は決して、侵害しない。〈決着〉で叶える願いは、果てしなく貴女に無害にしましょう。さて―――この条件でどうです? 契約、しませんか?」
(うっし、完璧……!)
鏡夜は心の中でガッツポーズをとる。なにせ元から〈決着〉は服を脱ぐために使うつもりだったのだ。侵害もクソもありはしない。こちらが払う対価はゼロで、メリットだけをゲットする。桃音の時も使った手だ。それに、契約を受けさせて頂く側ではなく、契約する側として自らの意思と条件で対等に提案した。……舐められない動きとしては、パーフェクトに近い。
鏡夜はほくそ笑む。……その虚勢がもたらすものも知らないままに。
「提案したのはわたくしなのですが―――」
華澄は頬を赤く染めて照れたような顔をしていた。
「ええ、願ってもいませんわ。それでいきましょう」
華澄は握手を求めるように片手を出した。
「あっ……」
「……ふふっ」
「握手は、そのぉ……桃音さん! お願いしてもいいですか!!」
鏡夜は桃音の顔を見た。桃音は薄く微笑んだいたが、なぜか口の端から血を流していた。
「ってどうしたんです? それ」
それに答えたのはバレッタ・パストリシアだった。
「くすくす……先ほど軽度の毒物反応が出ていましたから……そのせいかと……」
「あー、そういえば私、毒状態にしてましたねぇ……」
何度も触ってわかったが、この手袋が起こす状態異常は完全ランダムである。容易く使えない。……というか女の子に何をしているんだ自分は、と鏡夜はへこんだ。腕を折られたせいで完全にキレていた……今度から気を付けよう。
「ふむ、ダメージ、受けていらっしゃるようですの。ポーション使います?」
華澄はどこからか青い液体の入ったビーカーを取り出した。
(世界観ぐちゃぐちゃかよ……)
SF、SFしてたのにいきなりポーションなる代物が出て来て鏡夜は目を白黒させる。
そんな鏡夜を後目に――というか戸惑っていることは意地を張って隠しているため気づきようがないのだが―――桃音はポーションを受け取ると一気に飲み干した。パリンッとビーカーが割れて消える。
桃音が口元から垂れる血を拭うと、それはもう、いつもの茫洋とした不語桃音だった。治ったらしい。
「華澄さん、華澄さん」
「なんですの? 灰原さん」
「私にもポーションくださいよー、桃音さんばかりズルいと思いません?」
「……なんでそこで駄々っ子ですの……」
華澄は呆れたようにふふっ、と笑うと懐から先ほどと同じポーションを取り出し、鏡夜へ手渡した。
(うーん、ただの水が入ったビーカーにしか見えねぇ)
「華澄さん……協力するということはー? バレッタさんに質問しても?」
「ああ、もちろんいいですわよ。わたくしへの了解は必要ありませんわ。バレッタ、秘匿事項レベルBまではオープンでいいですの」
「くすくす、了解です。我が主」
「では、ポーションについてお願いします、バレッタさん」
「くすくす……。ポーションとは祝福によって製造される生体回復薬です。極小の微生物が身体のダメージを治療します。祝福のレベルによって効果は上下いたしますが一般的なものは治療の加護を得た術師が量産しております。いま灰原様が持っているポーションも、その方法で製造されました」
「なるほど……」
(またニューワードが出てきたぞ? 祝福、微生物、加護。術師……はちょっと聞いたことがあるか)
「ありがとうございます、バレッタさん」
「くすくす……いいのですよ。案内するのが私の製造理由ですしね……」
「なるほど~(……これ、アイテムだよなぁ……?)」
鏡夜は自分の弱点を確認する。
「……」←弱点:【脱衣不能】【装備不可】【アイテム使用不可】【自縄自縛癖】
鏡夜は空いた手に鏡で使ったナイフを握ってみた。
普通に持てる。装備不可……? なら、【アイテム使用不可】もいけるのでは?
鏡夜はポーションをぐいっと飲んでみた。ビーカーがパリンと消える。ぞわりと、身体から何か漏れ出た。真っ黒な塵だ。ぞわぞわと。ぞわぞわと散って、消える。
「……」
「……」
「……バレッタ」
「くすくす……検索、ヒット。今のは呪詛反応ですわ。治癒不可、あるいは道具使用不可の呪いの持ち主がポーションを使うと微生物が全て粉砕され体外に排出されます。……灰原様は呪い持ちなのですね」
(……やっぱりそうなのか。そうか、呪われているのか。まぁ、これが呪いじゃなかったらなんだって話ではある)
今まで散々、服が脱げないことを呪いと表現してきた鏡夜だ。驚きはない。桃音の呪いを知ってから、薄々感づいていた面もある。
「あー……そうですね。【脱衣不可】【装備不可】【アイテム使用不可】です」
鏡夜は、呪いの効果と思われる弱点を彼女たちへ正直に伝えた。彼女たちが敵である、もしくは敵になる可能性があるのならば弱点を教えるのは暴挙に他ならないが……。組むと決めたのだ。弱点を理解してもらわないと協力するときに不都合が起こるかもしれない。これくらいのリスクは必要経費と割り切るべきだ。
「なるほど……いえ、わかりやすく教えてくださり助かりましたわ灰原さん。能力の理由もわかりましたの……その服、呪われておりますのね」
(そうか。この服は、呪いの装備なのか)
「ええ。手袋一つに至るまで、ね。まぁ、装備不能と言いましても――」
鏡夜は片手に持ったままだった鏡のナイフを振るった。
「これは持てますし、使えますので。特に問題ありませんね」
鏡夜の推測だが。この鏡で作った武器防具は装備・アイテム扱いではないのだろう。もし鏡が装備・アイテム扱いだったら、鏡を作る能力は使用不可のはずだ。
華澄が、鏡のナイフを消している鏡夜にうーん、と唸る。
「それは素晴らしいのですが、回復できないのが致命的ですわねぇ」
「それは―――……そうですね」
勝手に治ることは言わないでおいた。正直、これはまだ検証できていない。鏡を出す能力のように確かめてからではないと安心して信頼できないし、何より痛いのは嫌だ。
(それはとても重要だぜ)
弱点は教えたのだからセーフ、と鏡夜は心の中で言い訳をする。自動回復については、おそらくよっぽどのきっかけがない限り、鏡夜から話すことはないだろう。鏡夜の悪癖である、自分で勝手にルールを作って自分を縛る【自縄自縛癖】が炸裂していた。
華澄は思案した後、ひらめいた顔をすると楽しげに提案した。
「ではこうしましょう! 不語さんが前衛! 灰原さんが中衛、そして私とバレッタが後衛! この布陣で挑むんですの」
「あー……」と鏡夜は声にならない声を出すと桃音に顔を向けた。布陣とか、鏡夜はよくわからない。
桃音は鏡夜の視線に気づく。それが理由かはわからないが、桃音は不思議そうな顔で華澄に近づいた。じ~~~~~……っ、と華澄を見つめる。華澄は桃音の瞳から目を逸らさない。桃音は片手を上げると、小指薬指中指を織り込んで、人差し指と親指を九十度開きながら伸ばして、桃音の額に向けて構えた。
……ジェスチャーのように見えるが、桃音は身体言語もできないはずだ。これは一体……? と鏡夜が首を傾げていると、華澄は桃音を見て嬉しそうに笑った。
「……ああ、わかりますの? その通りですわ、わたくしの武器は」
華澄は一歩下がって両腕を振るった。
まるで手品のように両手に拳銃が出現する。
「銃火器ですわ。ええ――ナチュラルな人間に扱える全ての銃火器が、わたくしの武器です。そして、バレッタ」
「くすくす……。我が主に扱えず、かつ重火器制御パッチをあてた〈Pastricia〉が扱える全ての銃火器が、私の武装アタッチメントとなっております……」
「全て?」
鏡夜がオウム返しに言う。
「ええ」
華澄が優雅にくるりと回転すると、手に持っていた拳銃が小銃に変わり、腕を華麗に振り上げると小銃がショットガンに変わった。
「全て、ですわ。銃火器は浪漫なのですから」
桃音は華澄のショットガンに手を伸ばした。華澄はそれをあっけなく離す。次の瞬間。
二人はほぼ同時に互いの頭に銃を突きつけた。
桃音はショットガン。華澄は拳銃。
桃音は、華澄の頭からショットガンを離すと、まるで見当違いのところに撃った。レバー・アクションを繰り返して三発。合わせるように華澄もまったく同じような場所に拳銃を三発撃つ。
「……」
「……」
桃音は肩をすくめるとショットガンを華澄に返して微笑み、鏡夜の隣に戻る。
「あー……つまり、良いということで?」
鏡夜の問いに、桃音は何も言わなかった。
「これはどっちなんですの?」
「いやぁ、いいってことですよ。だめなら殴ってくるんで」
「蛮族ですわね!!」
「桃音さんとはそういう女性です」
いろいろありつつも協力体制ができたらしい。華澄とバレッタが後衛な理由はわかったし、桃音が前衛なのは当然の配置だが……。
(中衛ってなにすりゃいいんだろうなぁ……)
鏡夜が広場に建てられた時計台を見ると十分前。どうやら行かなければいかないようだ。
決着の塔の前提、あるいは前哨戦……クエスト『カーテンコール』を倒しに。
決着の塔攻略支援ドームのエントランスに戻ると、最初に来た時と同じように人や人外の冒険者がごった返していた。やはりというか、ガヤガヤと資料を読みながら、顔を突き合わせて相談している者が多い。そんな群衆の間を通り抜けて、受付に行くと、染矢オペレーターが作業をしていた。鏡夜たちが戻ったのに気づくと彼女は顔を上げた。鏡夜は染矢オペレーターに声をかけようとするが―――。
「おい、てめぇら」と声をかけられた。
「……?」
鏡夜が振り向くと――剣を持った犬耳の男がいた。
「俺を連れていけ。腕には自信がある」
「……はぁ、なるほど……」
鏡夜はじーっと見る。弱点は――【脆い】【避けられない】
「あー……………大変申し訳ないのですが、今回はご縁がなかったということで」
「“あ? いいから連れてけよ、なにをごちゃごちゃ言ってやがる」
「それはですねぇ……」
弱点の組み合わせがひどい。脆い上に遅い――。非戦闘員の精神しか持ちあわせていない鏡夜が言うことでもないが。彼は戦うべき人間ではないと、わかる。少なくとも今は。
しかし、それをはっきり言うとこういう手合いは怒る。舐められないように意地の張り合いをして小競り合いになった場合、無闇に強靭になった自分は相手を殺してしまうかもしれない。
それは、なかなかに悍ましい。
「これ、たとえ話なんですけど。いま思いっきり私に襲われたとして貴方どうします?」
「返り討ちに決まってんだろ」
「どうやって?」
「避けて、カウンターだ。もし万一喰らったとしても効かねぇよ、俺は頑丈なんだ」
(お、おおおう………)
もしかしたら〈避ける〉〈耐える〉以外の――防ぐとか桃音がやったように技量でさばくとか騙すとか――あるいは異能とか。
そのような別の術理や特性による強さがあるのか確かめたが、ないようだ。
「ではだめですね、答えは変わりません。貴方のご協力は遠慮させていただきます」
そもそも一度言ったことをそう簡単に覆すのは舐められてしまう。それが正しいのならばなおさらだ。
「口じゃラチがあかねぇな」
「そう思ってるのは貴方だけかと」
空気が悪くなる。……と、桃音が鏡夜の前に立った。
「………」
「ああ、なんだお前?」
「……剣が欲しいんですか?」
鏡夜はふとそう口に出した。桃音は犬耳男の背負っている大剣を凝視している。
「……」
彼女は大剣から目を離さないまま、なんの意思も感じさせずに微笑んでいる。
「ほぉ、わかってるじゃねぇか女。あとで俺のとこに来てもいいぜ」
「あ、いや、剣が欲しいというのは戦力としての剣が欲しいということではなく――」
鏡夜は剣――というか刀の形に整形した鏡の武器を作った。持ち手は丸くして筒状にしておく。……うっかり限界まで大きく作ってしまったが、大丈夫だろうか。
桃音はポケットから取り出した長いリボンを頭に巻いて、鉢巻きにした。鏡夜が刀――鏡の大刀を投げ渡すと桃音はそれを肩に背負った。
「こういうことかと」
「おい!! 逃げろ兄ちゃん!!」
群衆の中から声がした。多くの冒険者連中が飛びのくように逃げる。
「やっべぇ!! こんなとこでやられたらどこがぶっ潰れるかわかったもんじゃねぇぞ!!」
「ひえっ……」
「え? ちょっ……」
なにもわからない顔で腕を引っ張られる魔導士風の少女やら何やらもいて、一瞬にしてぽっかりと空白地帯ができていた。
鏡夜も恐る恐ると言った様子で後ろに下がる。華澄とバレッタは、いつのまにか避難を済ませており、受付の近くで観戦のためにくつろいでいた。鏡夜も彼女たちに合流する。
「え、いや、ちょ!! なに!? なんですか!? 受注するんじゃないですか?! どういうことです!?」
受付に座っていた染矢オペレーターは立ち上がって右往左往している。
「ああ、染矢さんは軍からの出向でしたわねぇ。……まぁ、わたくしも数えるほどしか経験ありませんが。冒険者というものは、こういうノリですわ」
「あのっ、一応! 国家の一大事っていうか世界スケールの問題なんですけど!?」
「それこそ今更ですわ、冒険者を呼びまくったのは契国でしょうに」
「決めたのは私じゃなくて陛下ですけどね!!」
「……心配する必要はありませんわ、どうせ一瞬でしょうし」
「それは、ええ。私も同感ですね……」
鏡夜はテンション低く華澄に同意する。……強さに胡坐をかいた展開は好きではない。
これは結局、呪われてるだけの弱い人間だからこその感想だろうか。
桃音は肩に異常に長い大刀を持って待ち構えるように君臨している。犬耳男は背中から剣を抜いて構えた。
「くだらねぇ! そんな長さじゃまともに使えないだろうよ! 見掛け倒しだ」
「……」
桃音が巻いたリボンの鉢巻き。その長い長い余った部分がたなびく。
「……だんまりかよ! 舐めやがって!!」
しかし互いに動かない。というか、なるほど、彼は不語桃音が〈契国のアンタッチャブル〉だの〈全力全開桃姐様〉だのと呼ばれている人物であると知らないらしい。外国人外なのだろう。それはそれとして。
「ふむ? にらみ合いってやつですかねぇ。なんで動かないんでしょう」
答えたのは隣にいる華澄だった。
「避けてカウンターとおっしゃってましたし、あの犬人さんのスタイルなのか……それとも単純に怯えているかですわ」
(いや、弱点に避けられないってがっつり書いてあったんだが……となると後者でしかなくなる。……はん、気持ちはわかるな。正直、俺もちょっと怖い。背負い投げされたし、骨折られたし)
「しかし、こういうケースの不語さんはいったいどうなさるのか、興味が尽きませんわ」
桃音は微動だにしない。感情を伺わせない、なんの意図も感じられない両目が真っ直ぐに犬耳男を見据え続ける。ぐっ、と犬耳男は大剣を強く握り、斬りかかるために駆けた。
桃音はようやっと向かってきた犬耳男に鏡の大刀を振り下ろす。犬耳男はそれを走りながら右に身体を逸らして避けた。
「素人が!!」
犬耳男が剣を――何かする前に。桃音がブンッと大刀を振りあげた。犬耳男は天井まで跳ね上げられる。
どかぁぁぁん!! と大きな音を立ててパラパラと瓦礫にも満たない塵が落ちる。
犬耳男は落ちてこなかった。天井に埋まって気絶している。
桃音はホームランを飛ばした野球選手のように鷹揚に鏡夜へ近づくと、鏡の大刀を返した。
「はぁ。ありがとうございます?」
鏡夜は手の中で大刀を消しつつ思う――。なにしてんだこいつ、と。
避けられるような速度で振るい、犬耳男が避け、突っこんで来た時に、桃音は大刀を構えなおすのではなく、降りおろし続けた。斜め上から下へ、降り下げられた刀は地面に刺さり。
地面を斬り進み、そこからひねって、地面ごと犬耳男を振り上げたのだ。鏡夜は小さな鏡を出して手の中で眺めた。横から見ると、見えない。見えないほど細い。
脆い裏側の部分を隠すように、二つに畳んだ状態で小さな鏡を作ってみても、横から見れば影も形もない。それほどまでに〈薄い〉。
極限なまで〈薄い〉にもかかわらず、折れない刃。それは柔軟性がないということで、駄目な使い方をするとあっけなく突っ掛かるものだが、もしうまく使うことができるのならば、すさまじい切れ味の武器となる。この鏡の特性は、彼女がやらねば気づかなかった。
「桃音さんには助けられてばかりですねぇ。……この修繕費用も払ってもらうんですから」
「……」
桃音は静かに華澄を見たが、華澄は目を逸らした。バレッタを見た。
「くすくす……見積もりにはご協力できるかと……」
「……」
桃音は陰気かつ茫洋と受付に立った。鏡夜も受付へ振り返る。
「はい、あとで請求書おくりますね……いやぁ、冒険者って野蛮ですねぇ」
「今更ですよ、というかはっきり言いますねぇ」
舐められたら終わり、など野蛮でしかないというのは鏡夜も同感だった。
鏡夜は受注票を受付の染矢オペレーターに渡した。
「えー、では、クエスト『カーテンコール』討伐ということで何名様のご参加ですか?」
「灰原鏡夜と不語桃音と白百合華澄とバレッタ・バストリシアで。四名ですね」
染矢オペレーターはカタカタと端末で何かを入力して、エンターキーを押した。
「はい、灰原鏡夜、不語桃音、白百合華澄―――の三名になります!」
「うん?」
「灰原さん、実はですね、機械人形は人員扱いされないのです!」
「あれ? そうなんですか?」
「ええ、OAI人形だろうと例外ではありません! もちろん、挑戦してはいけない、というわけではないですよ!! 単純に備品扱いです!」
「へー」
それは、いいのだろうか? たしかに人間でも生きた人外でもないのだから扱いとしては間違っていないと言えるが……。
「くすくす……わたくしどもは人形ですから……むしろ生き物扱いされる方が異常かと……。それに、灰原様、備品扱いだからこそできることもあるのですよ……」
「なるほど? ま、バレッタさんが良いのだったらいいのですが」
「はい! 納得して頂けたのでしたら、さっそくご案内させていただきます!」
染矢オペレーターは、白い仮面をつけた鷹の翼が生えている不審者にしか見えない黒スーツの同僚に何か指示すると、先導するように歩き始めた。
染矢オペレーターについていって、ステージホール一階にたどり着く。客席間の通路を通り、ステージに上がる。
「では、そのままでお待ちください、幕を開きます。がんばってください!」
染矢オペレーターはそう言うと出口から去って行った。そしてブーという開演ブザーの音が鳴ると赤い幕が上がり、白い幕も上がる。
歪んだ鉄板が未だ残る塔の入り口。
if you want to change the world, exceed me! Q-z
≪世界を変えたきゃ、私を超えろ! ――Q-z≫
の黄色文字が未だに門の上に残っている。
「くすくす……あの地点から危険なので、あの文字を消すことはできていないとのことです……」
バレッタの解説を聞きつつ、鏡夜は、緊張していた。
死なない――のはわかる。それは安心材料だ。しかし、死にそうなほどの目に合うこともある。――覚悟を決めなければ。敵は機械なれど、負けるなんて舐められてはいけない。―――冒険者というのは野蛮なものだ。
結局のところは意地と、虚勢だ。鏡夜が頼れるものは、それしかない。
「では、行きましょうか!」
鏡夜が宣言するように言って、三人と一体はついに決着の塔の中へ侵入した。
広い空間、赤いカーペットに石畳。一番奥にいる巨大機動兵器。
うじゅるうじゅると蠢く車輪まみれの下半身。丸っこい頭には大きな目と小さな目がついており、両目のレンズは鏡夜たちを映す。
太い胴体から腕がガシャンと広がり、丸く並べられた銃口が回る。地面には薬莢が巻き散っていて、その上を流れるように『カーテンコール』が移動する。
―――【ZERO STAGE】 Quest『curtaincall』
戦 闘 開 始
鏡夜がまず選択したのは、クエスト『カーテンコール』の弱点を探ることだった。紅い両目を全開で見開き、巨大機動兵器の弱点を〈観る〉。
鏡夜は、『カーテンコール』の弱点を大声で言った。
「あの装甲は【20ミリ以上の弾】が効くと思います! あとは【関節】と【両目】―――を狙ってください!!」
もう一つ【非戦闘員攻撃不可】という弱点が見えたが、ここにいる三人と一体は非戦闘員と認識されないだろう、と鏡夜は省略した。
華澄は瞬時に頷いた。バレッタもコンマ数秒考えて頷く。桃音は意思表示ができないので無反応。ここで、なぜ? もなんで? も挟まないのが戦闘者か、と鏡夜が感心する間もなく、状況は急激に変化する。
『カーテンコール』が銃口を鏡夜たちへ向ける。鏡夜は、全力で鏡を出して防御した。
六枚の鏡を縦二横三で並べる。―――向こう側から着弾音が聞こえる。縦四メートル横六メートルの絶対前方防御……どう考えても過剰だった。鏡夜の横では桃音が身体を大きく屈めている……。そして、跳んだ。
縦四メートルの鏡の壁を飛び越えて、向こう側へ――。
(なっ、正気か―――!?)
「華澄さん!! 盾は残しておきます!!」
「ラジャー。援護は任せてくださいまし――」
鏡夜は縦一横二枚に鏡の壁を縮小すると、桃音の後を追って地を這うように飛び出した。
鏡夜が地面を低く跳びながら確認すると『カーテンコール』は鏡の壁から、空の桃音へ片手の射線を移動しようとしている。
桃音は、身動きが取れないまま重力に従って落ちている。
(あそこに鏡を生成――できねぇ!! 遠すぎる!!)
射線が移動する――あと一秒で桃音がその線に重なる。
(仕方ねぇ!! いちかばちかー!!)
「桃音さん!!」
鏡夜は持ち手がある鏡の盾を作ると、桃音の方へぶん投げた。
その直後、彼の鋭い知覚は判断する。
(間に合わねぇ―――!!)
……しかし、桃音が穴だらけになることはなかった。撃つ前に、『カーテンコール』が回避行動を取った。直後、『カーテンコール』がいた場所が大爆発を起こす。
鏡夜は咄嗟に、手の中に出した鏡を通して後方を確認する。
バレッタ・パストリシアがとんでもない口径の機関砲を抱えてぶっ放していた。太く、そして長い長いロングバレルを振り回すバレッタに、隣では耳栓をして口をぽかんとあけている華澄が口頭で指示をしている。それに頷きながらバレッタは機関砲に弾を装填していた。
バレッタは鏡夜が手に持っている手鏡を通して、彼と目が合っていることを感知するとウィンクをした。その後、鏡の壁に引っ込む。助けられたらしい。いや、援護すると言っていたか。それと、まだ撃つつもりのようだ。
タイミングを測る必要があるだろう。回避行動をとった『カーテンコール』は車輪で移動しながら両腕を構えた。
片方を地面にいる鏡夜に、もう片方を落ちている桃音に弾幕を張る。
鏡夜は『カーテンコール』の鉄の雨を、鏡を出すことで防ぎつつ、速度を落とすことなく突貫する。空をちらりと見てみれば桃音は鏡夜が先ほど投げた鏡の盾を受け取って弾を防いでいた。
(物理法則どこ行った!? あんだけぶつけられたら吹っ飛ばされるだろ!?)
鏡に弾がぶつかるぶつかるぶつかる。にもかかわらずまるで衝撃のないように、桃音は軽やかに落ちていく。
(そういや俺も抵抗全然感じねぇ!! この鏡すげぇな!)
鏡夜は脳内で叫ぶ。桃音は鏡夜の後ろで着地した。そして即座に駆け出す。
鏡夜が『カーテンコール』に追いつきそうになると、『カーテンコール』は速度を上げた。機動力特化は伊達ではなく、迅い。
「逃げてんじゃないですよ!!」
『カーテンコール』は超高速で華澄とバレッタを守る鏡の壁に近づくと、それを跳び越えて裏側に両腕を向けた。横から回り込めば、あの機関砲で出会い頭に撃ち抜かれる可能性がある。ならば、上からいけばいい。上空では身動きを取れないから跳ばないはずだ、あの陰気な女を見ただろう―――という思い込みを逆手に取る。
鏡の盾という奇妙な現象を逆手に取り、と熟練者特有の思い込みを即座に突く――。これこそが、クエスト『カーテーンコール』。
〈Q-z〉が差し向けた、終幕の挨拶を意味する巨大ロボットだった。
しかし……『カーテンコール』が跳んで銃口を向けた鏡の裏側に、華澄たちはいなかった。
『カーテンコール』の両目カメラは捉える
鏡の直角側、横に華澄が佇むのを。反対側の横にはバレッタがいるのを。バレッタは機関砲を構え、華澄は拳銃の照準を合わせていた。
「一発必中」
「JACKPOT!……ですわっ!」
機関砲の弾が『カーテンコール』の掲げた片腕に当たって大爆発を起こし、拳銃はダブルタップで『カーテンコール』の巨大なカメラを撃ち抜く。残る目は小さなカメラだけだ。
それでも『カーテンコール』は着地して、無事な方の腕で弾幕を横一文字に薙ぎ払った。裏側から撃たれたことによって鏡が砕け散るが、射程内にいた華澄とバレッタは影も形もなかった。逃げた? どこに?
いや、『カーテンコール』の視界には『カーテンコール自身』が三体に写っている。これは――。
「ひとつ質問なのですが――――」
そして、中央の『鏡のカーテンコール』が巨大になり、砕け散り、そこから灰原鏡夜が飛び出した。
彼の蹴りが『カーテンコール』の顔面、小さい目に突き刺さり、カメラが砕け、頭部に内蔵された制御盤ごと貫く。
「――灰色の鏡に何が映りましたか?」
そのままぐらりと―――倒れない。
『カーテンコール』はキュイーンと苦悶のごとく機械音を立てて、空いた手を持ち上げようとして。その肩関節部分を桃音の踵落としで引きちぎられた。
鏡夜は足を引き抜くと、くるりと一回転して地面に着地した。
「さて、お疲れさまでした、『オープニングコール』さん」
鏡夜が呟くと同時、『カーテンコール』は後ろから地面に倒れた。小さな部品と車輪をまき散らしながら轟音を響かせ、鉄片が舞う。―――そして、無音。
そこにはもう、沈黙ばかりが満ちていた。
鏡夜はすたすたと近づき、『カーテンコール』の足部分――車輪の山――を自分の足で小突いてみたが、身動き一つなし。
「くすくす……エネルギー反応なし、完全沈黙……破壊完了です」
「ふー………」
(行き当たりばったり過ぎたな……)
「なかなかの連携でしたわ!」
「くすくす……バランスとフォローに高評価と言えるでしょう。ただできることなら前衛1・中衛1・後衛2なので、前衛か中衛に後一人いれば良い連合になるかと」
「少しくらいは勝利に酔いましょうよ……」
(つーかそういう戦略的思考とかよくわからん。いや、理解する必要はあるんだろうけど……後でいいや、疲れた……)
鏡夜は桃音と目を合わせた。桃音は息すら乱していない。……【疲れない】以上、乱すわけもないのだが。鏡夜自身も呼吸の苦しさを感じていない。
桃音は片腕を上げるとゆっくり動かした。ゆっくり、ゆっくり……。
「あー、なるほど?」
鏡夜は右腕を上げて桃音と――ハイタッチした。
「あっ」
「……」←弱点:【格好良いもの】【状態異常:麻痺】
桃音はハイタッチをするための片腕を上げた状態のまま、硬直して後ろに倒れた。
「………」
「………」
「あらあら」
「くすくす……」
(アホだなぁ、………)
鏡夜がアチャー、とため息を吐く。桃音は数秒後、ぴくんと動いて、茫洋とした様子で普通に立ち上がった。視線を横にしながら、納得したように頷いた。
……ハイタッチがうまくできた体で進めたいらしい。いや、なにも伝わっていないので本当にそうなのかはわからないのだが。
「……ええ、ありがとうございます。大成功、ですね。ですが、まだチケットを手に入れただけなんですよねぇ」
鏡夜は呟くと、『カーテンコール』が守っていた扉を見た。
入り口の反対側、紅いカーペットの先にある奥の扉。当然だが、〈先〉がある。ここはまだエントランスでしかなく、玄関すらまだまともにくぐれていないのだ。
(そう、結局は参加権を手に入れたにすぎねぇ。大進歩ではあるが、完成でも完遂でもない……塔の高さを思えばわかる。まだかかるだろう。もしかしたら、今のロボットよりもひどい難物が相手になるかもしれない。が、まぁ、なんだ――呪いはひどいが、人には恵まれているし、出来事の運がいい。きっとなんとかなんだろ……たぶん)
鏡夜は自嘲だか嘲りだか自信だか、自分でもよくわからない笑みを浮かべると踵を返した。
(しっかし……まずは……報告だな)
取り越し苦労させてしまった大量の冒険者たちへのお悔やみと桃音や華澄への謝礼をどうするか考えながら、鏡夜は少女たちを引き連れて、塔の出口からホールへと戻っていった。
――――【ZERO STAGE】 Quest『curtaincall』――――
Clear!
「…………あー」
鏡夜はパチリと目を覚ました。
呆けた表情で見慣れない、炎のような形をした無点灯の照明が垂れさがる天井を見る。
「……起きたくねぇ」
鏡夜の寝起きが悪いのもあるが何より、いろいろなことが起こり過ぎて渋滞を起こしている、この現実に立ち戻るのがひどく面倒だった。
しかし、ぐずっていてもしょうがない。鏡夜は起き上がった。どんよりとした目で枕の隣にあるリモコンを手に取り、窓のカーテンを開ける。自動で上がったカーテンから外を見下ろすと、不語桃音が上機嫌にキャンパスを立てて絵を描いていた。
「……なにしてんだ」
鏡夜は不思議に思う。国名こそ違うが、ここは鏡夜の世界で言う日本であり(塔京という都市名は東京と同じ読みだし首都であることも同じだ)、体感温度としては塔京の一月は東京の一月とほぼ同じだ。つまり、冬。外は寒いだろうに、わざわざ何を作業しているのだろう。
鏡夜は、ベッドから降りるとシャワーを浴びるために浴室へと向かった。……自動洗浄機能というか、勝手に清潔になる全身装備のくせに、シャワーを浴びる意味があるのかと聞かれれば言葉に詰まってしまうが、あえていうならそれは、ただの習慣だった。
シャワーを浴び終えた鏡夜は、濡れた服の感触が数瞬で乾いた後、ウッドハウスから外へ飛び降りて地面へ着地。桃音のところまで歩いて向かった。桃音の後ろに回り、キャンパスをのぞき込む。
キャンパスには、異様に上手に書かれた鉛筆画の灰原鏡夜がいた。
(えぇ………)
右後ろ方向からのアングルでキメた横顔をしている、絵の中の自分を見て鏡夜はその技術よりも桃音がこの絵を描く意味のわからなさに絶句した。
なぜか鏡夜の身体全体を囲うようにしてキラキラした、星空のような背景が描かれている。桃音は繊細に微細に少しずつ補正するように鉛筆を塗りあてていた。
「………あのー?」
鏡夜が後ろから声をかけると桃音はピタリと手を止め……いや、絵の鏡夜、人差し指の先端を三度チョンチョンチョンとつっつくと、鉛筆を置いて鏡夜の方を向いた。
目が合うと、にこりと微笑まれた。
「……はい、おはようございます。いや、一月一日ですしあけましておめでとうございます?」
首をかしげて鏡夜は挨拶する。
桃音は、絵と鉛筆を持って立ち上がった。そして、跳躍し、鏡夜を置いてウッドハウスへ戻る。
「あ、ちょっと!!」
鏡夜はその場に放置されたキャンパス台と椅子を抱えて、後を追うようにジャンプする。こんな超人的な機動を自然に、連続的にしている自分が未だに信じられないが、それが今朝の、鏡夜の現実だった。
玄関からリビングに戻ると、桃音の自画像らしき色鮮やかな油絵が梯子の隣にかけられており。その梯子を挟んで反対側の壁に、鏡夜の姿を描いた鉛筆画が飾られていた。もちろん二つとも、昨夜はなかったものだ。
「いや、何してんですかマジで」
鏡夜は呟く。が、そのツッコミを届けるべき桃音はリビングにいなかった。どこだろうか、と探すとキッチンから何かを焼く音がする。
……どうやら朝食を作っているらしい。行動が早い上に唐突だ。出会ったときからそうなのだから、今更ではあるけれど。
鏡夜は仕方がないので、長テーブルに座って、朝食を待つことにした。
しばらくしてから桃音が長テーブルに並べた朝食は、ベーコンエッグとバタートースト、ミニサラダとヨーグルトにバナナだった。飲み物はコーヒー。
「……桃音さんが好きな方でいいんですけどねぇ」
鏡夜はコーヒーを手に持ちながら桃音を伺ったが、もちろん桃音からの返答はなかった。どうやら昨夜の、鏡夜はコーヒー派という話に合わせたらしい。
「ところでなんですけど、私の絵、片付けません? ちょっと恥ずかしいんですけど」
それも、もちろん返答がなかった。むしろなぜか鏡夜のバナナを桃音に取り上げられた。
「ああ、はいはい、わかりましたよっ、と……まぁ、上手ですしね‥…貴女だけでこそ、芸術だとも思うんですけど……」
バナナを半分に割られて返された。なんらかの意味があるのだろうか? 鏡夜はさっぱりわからなかったので、まぁいいか、と会話もそこそこに朝食を平らげた。桃音もまた一・五本のバナナ含めて綺麗に食べる。
「では桃音さん……私はですね、これからこの世界のことを調べつつ、〈決着〉を手に入れるために何ができるかも調査したいと思っています」
朝食後のひと時、鏡夜は人差し指を立てて、おどけながら言う。
「そのためにはこの森の外に行くことは必要不可欠なのだと思いますが――その前に、ソレ」
鏡夜は伸ばした人差し指でロフトにある書斎机、その上に置いてあるラップトップPCを指さした。
「貸してくれませんか? 昨日ネットにつなげてましたよね? 検索サイトで事前調査を――」
瞬間、鏡夜の目の前にいた桃音が消失した。
「はへ?」
と、鏡夜は桃音が瞬時に跳んだ方向へ視線を向ける。
ロフトの書斎で、桃音がラップトップPCを胸に抱えて鏡夜を見ている。ものすごく困った顔をして、ものすごくオタオタしている。
「あ、あ~…………」
鏡夜はピンと来てしまった。個人情報の山。検索履歴を覗かれる忌避感。フォルダっていうかHDに入れてあるお宝の山。その全てを日本の現代っ子として理解する。それに一応男と女であるし。
「……すいません、配慮が足りませんでした」
桃音はラップトップPCを警戒するように抱えながら梯子を下りて、鏡夜の正面に再び座る。
「となるとまいったなぁ……図書館へ行く? ……いや、そもそも私が知りたいのは私の世界とこの世界のギャップだからそれを判別できるのは私だけなんですよね……常識についての本を見たところで、知りたいこととは少しズレざるおえないでしょうし。そもそも図書館、あるんでしょうか。文化さえもわからないんですよねぇ」
鏡夜が悩んでいるのをちらちら見ながら、桃音はラップトップPCを開いてなにやら操作している。
すると、ふと何かに気づいたように桃音が目をパチクリとさせた。そして、PCを回転させて鏡夜に画面を見せる。
「どうしました? 桃音さん? ……メール?」
画面の左上に白い封筒のアイコンがあり、右上には『argle mail』なる英文が書かれているため、鏡夜はそうあたりを付ける。画面中央の文章を鏡夜は読み上げる。
「『柊釘真王直下〈Q-z〉事件特別対策本部 外部特別顧問 アルガグラム所属 エージェント白百合華澄』……?」
が、送り主であるらしい。
「『不語桃音様。現在〈Q-z〉事件を解決する人員を募集中。褒賞は特上。詳細は決着の塔攻略支援ドーム受付にて。PS……ぜひ来てくださいまし、契国でもっとも恐るべき個人をお待ちしておりますわ』」
「………」
「………」
桃音と鏡夜は目と目を合わせる。
かつてない速度で鏡夜は頭を回す。連れてってください桃音様ァァァァ!! を舐められないように伝えるにはどうすればいいのか。連れてけと命じればいいのか。
……勝手な考えではあるけれど、己と彼女は対等だと鏡夜は思っていた。対等に格好よく振る舞う必要がある、とも言う。勢いでこの関係を踏みにじるのは、無様だ。それはいけない。彼女に見限られたら控えめに言って絶体絶命である。
対等とは、対等とは……鏡夜は壁に飾られた自分の絵を横目でとらえた。
「桃音さーん。あの私の絵、飾ったままでいいですよ。その代わり―――連れて行ってくれません? これに」
思いついた瞬間に、PCの画面を指差しつつ鏡夜の口からそんな言葉が漏れ出た。口走ってからイヤイヤ、と自嘲する。無理がある。しかし、桃音はその鏡夜の言葉に。
すっ、と左腕を差し出した。
「………?」
鏡夜はそれに――彼女の、左手にポンっと右手を乗せた。
「……あっ」
「……」←弱点:【喋れない】【格好良いもの】【状態異常:睡眠】
桃音はかくん、と頭を落として三秒ほど寝た後、起床して鏡夜を見た。
「………おはようございます?」
「……」
桃音はなにやってんだテメェと言わんばかりに、無表情で右拳を振り上げると鏡夜に軽く殴りかかってきた。
「おっとと」
鏡夜は左の前腕でその拳をカードした。妙に重たい音が鳴る。拳はかなり遅かったので防いでもらうつもりで振るったのだろう。痛みはないが、重いツッコミである。
「失礼失礼、うっかりでした」
いや本当に。怒って当然である。彼女は敵ではなく大恩人なのだから。状態異常にしてどうする。気をつけないとな、と鏡夜は自分を戒める。桃音は拳を戻すと席から立ちあがり、リビングの中央に立って左腕を再び差し出した。
んっ、という風に――もちろん声などまったくあげてないのだが――左腕を伸ばす。鏡夜はしばらく考えこんでから、ぽんっ、と手を叩くと納得した顔をする。
「……ああ! そういうことですか! わかりました。これは自信ありますよ!」
鏡夜もまた立ち上がり、桃音の傍へ寄った―――。
森の中を歩く。小屋のあった原っぱを通り過ぎて絢爛の森から出る。鏡夜が意外だったのはこの森の周囲には大きな塀などがなかったことだ。白いガードレールと、【ここから先立ち入り禁止 絢爛の森】という標示があるだけの簡素な囲い。観光サイトで見た、冒険者と研究者しか入れないとか、危険度:大とかを考慮すれば、もっと物々しい区域なはずと鏡夜は勝手に推測していたのだが……。
ガードレールの合間を通り抜けて塗装された小道を行く。
あっ、という間もなく、鏡夜は小道を抜けて未来都市にいた。いや、実際に未来というわけではない。
ただ、美観に括った上で、技術が発展した首都がそこにはあった。高いビルらしき……屋上付近に三角のような謎の建築物があったり遠い建物同士に細い通路が連結していたりして、ビルと呼ぶには形が独特なものが多いがともかく……未来的な、と形容すべき建物が立ち並んでいる。
そして遠くには桃音の家から、ずっと見えていた巨大な塔――〈決着の塔〉が見える。
道路に車は少ない。その少ない車も現代日本で見たことがあるかも? と思うものもあれば、鋭角のないシャープな外殻がタイヤごと包んだ光沢のある車もあり、統一感がない。本当に、鏡夜はこの世界の文化がさっぱりわからなかった。
周囲をそうやって観察していると向かい側の歩道から女学生らしき集団が歩いてきた……。普通に鏡夜がいた現代日本でも見かけそうな可愛いらしいセーラー服タイプである。その三人の少女たちは桃音――とついでに一緒にいる鏡夜に気づくと挨拶してきた。
「おおー、無事だったか桃姐……んんっ!?」
「あらあらまぁまぁ、あけましておめでとうございます! ……ふふ、お二人の式には呼んでくださいね?」
「ふーん……ねぇアンタ、桃姐さんを悲しませたら許さないから」
三人の女学生たちは、通学途中なのでこれで失礼します、とさっさと横を通り抜けて行ってしまった。
(まだ何も言ってないんだけど……?)
鏡夜は女学生たちの後ろ姿を見送りつつ、心の中で憮然とする。この世界で直接対面した、会話可能な現地人との接触が十秒程度で終わった瞬間だった。
初人外遭遇終了も同時だった。前者二人は普通の人間の少女で……最後の一人は人型のクール系美少女、ただしキリン耳、キリン尻尾付きだったのだ。
(もっと、こう、初人外さんとは、ドラマティックな初遭遇になると思ってたんだが……いや、別に期待してたわけじゃねぇけど)
その後、白と黒のツートンカラーの車……警察と書いてあったので普通にパトカーだろう……が鏡夜たちの横を通り過ぎようとして。運転席の警察官が桃音と鏡夜を二度見する。
警察官は道路の仮止め可能なところで一時停車すると、パトカーの窓を開いてそこから顔を出した。
その警察官の目には極めて機械的なバイザーがついており、黄色に光っていた。
「よぉ、久しぶりだな、不語の姉ちゃん。流石のアンタも決着の塔の事件に関心を持ったのかと思ったが……」
鏡夜は警察官へ、帽子を押さえるようにして会釈した。
「どうやら違うらしいな……おい、兄ちゃん」
「なんです?」
「その姉ちゃんはぶっ飛んだとんでもねぇ奴だが……いい子なんだ。幸せにしてやってくれ」
(ドラマの見過ぎだポリ公……そういえばドラマの文化とかあるんだろうか。番組表でも目を通しておけばよかったか?)
鏡夜は失礼かつ勝手なことを考えつつ愛想よく答える。
「ええ、微力を尽くしましょう。……勝手にご自身の力で幸せになってしまいそうですけどね」
警察官のバイザーは橙色に変化した後、緑色になる。
「はは、洒落た返事だ。姉ちゃんいい男捕まえたな」
桃音は鏡夜の腕を、さらにぎゅっ、と掴んだ。
「おっと、邪魔したな。すまない。……それじゃハッーピニューイヤー、ご両人」
警察官は窓を閉めるとパトカーを発車させてその場を去った。
(あのバイザー……なんだったんだ、おい。いや、まぁ、それよりも、だ)
鏡夜はパトカーを見送った後、自分の右肘内側に左腕を通して隣を歩く桃音に言った。
「今更言ってもしょうがないかもしれないっていうか気を逸した感じもありますがー。離れて歩きません? いや、ホント今更ですけど」
鏡夜は自分の右肘を前後に振り回した。対して、桃音の左腕は鏡夜の右腕にぴったりくっついてるように離れない。鏡夜はかなり激しく動いているのだが、桃音本人の身体はたおやかに佇んだ体勢を完全に保ち続けている。桃音の、頑なな意志を鏡夜は感じた。「これで合ってたのはうれしいんですが……なんで私よく考えなかったんでしょう。思ったより恥ずかしい……エスコートってすごい。紳士ですね紳士。あれ? 私って元から紳士だから別にいいのかな? どう思います?」
なんて道化を気取ってみるが、結局押しても引いても煽っても、鏡夜の強制エスコート状態が解除されることはなかった。
昨夜のテレビ特番で外観が映っていたし、そもそもウッドハウスからここまでくる間中、ずっと見えていた。そのことから、決着の塔に感動することはないと鏡夜は思っていたが、その予想は見事に裏切られた。
傍までくれば、巨大。ただ巨大。桃音の家がある大木と比べても太さが五十倍以上、高さはもはや、欠片も理解できないほどある。
図形、模様まみれの古めかしい石造りの塔……に時代錯誤に纏わりつく近代的なドーム。これが昨日の大騒ぎの舞台、【決着の塔攻略支援ドーム】だった。天井付近の、砲弾が突き破った穴が痛々しい。
「なんでしょうねぇ。写真でしか知らなかった観光名所に来たようなそんな心持ちです」
鏡夜と桃音はドームの入り口、自動ドアを通り抜けた。
――――――――――――――ざわっ
鏡夜は、さっそく帰りたくなった。帰る家は桃音の家を除けば、この世界に存在しないが。
人人人。人外人外人外。エントランスには大量の人と人外がいた。多種多様な者がいた。人間の戦士らしき人がいた。エルフの弓兵らしき人がいた。近代武装しているオークがいた。全身サイボーグの女がいた。清廉な修道女らしき恰好をしたドラコニアンがいた。ステレオタイプな貴族的格好をした吸血鬼がいた。地面に注目すればジェル状の、スライムらしき生命体が這って動いている。
それが、全員、鏡夜と桃音を見ていた。
「マジかよ……〈絢爛の超人〉じゃねぇか……」
「〈全力全開桃姐様〉!? 来るとは思ってなかった……!」
「え? みんなどうしたの?」
「知らねぇのかよ! 〈契国のアンタッチャブル〉だぞ!?」
(く、詳しく聞きてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、なにそのあだ名!?)
自分たちを見ながら小声で話し合う者達に鏡夜は心の中で叫ぶ。知りたいことが加速度的に増加増大して頭がくらくらした。
だがしかし、顔は微笑み、歩き姿は威風堂々、エスコートは優雅に優しく。
……舐められてはいけない。特に、ここから先は駄目だろう。実に古典的な群像だ。……どう考えても冒険者の群れだ。
鏡夜はその一員……のようなものだ。つまり、冒険者は舐められてはいけない。
「あのひっついてる男は誰だ?」
「恋人? いや、そんな情報なんか聞いたことねぇぞ?」
「嘘……あの人……〈魔人〉!?」
「おい、今すぐ調べろ、灰色の全身スーツ、手袋、帽子、宝石を胸からぶら下げた気取った男だ。年のころは十代後半から二十代前半。あ? 人間だよ!……人種的には契国人なんだが髪は灰で目は赤色だ。知らねぇよ! 俺もわかんねぇから調べろっつってんの!」
(魔人ってなに? 魔人ってなんだよぉおおおお!! どういうことですか教えてくださいお願いします!!)
……鏡夜は軽く錯乱状態になりながら、集団に向かって、空いている手を振ってみた。
―――ざわざわざわざわざわざわっ……!!
ざわめきが三倍くらいになった。あ、こりゃもう会話は無理だな、と鏡夜は結論付ける。
そして、鏡夜と桃音はぽっかり空いた人と人外の合間を通り抜け、受付についた。
受付にはゴシックロリータの少女が立っていた。少女は鏡夜たちを見てくすくすと笑っている。ボリュームのある銀髪のツインテールに青い瞳。スカートは正面から縦に区切られ、白と黒褐色に分けられている。上半身は黒を基調としたドレスで胸の部分に白いレースがあしらわれていた。よく見れば、髪を括っている二つのシュシュもスカートと反対の配色で片側が白、もう片方が黒褐色に分かれている。
受付業務に似合わない、お人形さんのようなゴシックロリータの少女は口を開いた。「くすくす、不語桃音様とアンノウン様、ようこそいらっしゃいました。依頼メールはご確認されておりますか?」
「…………」
桃音は無言で鏡夜を見ている。どうやら鏡夜が応対する流れらしい。
「ええ、はい」
鏡夜はニコニコして言った。
「くすくす。ではしばらくお待ちください……失礼ですがアンノウン様。お名前をお聞きしても?」
「灰原鏡夜です。灰色の灰に原っぱの原、鏡に夜と書いて鏡夜と読みます」
「くすくす……ありがとうございます。素敵なお名前ですね」
「わぁ、嬉しいですねー。ありがとうございます」
(妙にくすくす笑うな……?)
その二分後、受付後ろのドアからスーツ姿の若い女性が出てきた。人間だ。茶髪で長めのポニーテール。ビックリ要素は一見した限りない。
「おっまたせいたしましたー!! うおっ!? 本当に不語さんが来てる!! 来ると思ってなかったからびっくりです!!」
(うわっ、うるせぇ)
が、あまりに元気よく喋るので鏡夜は面くらった。
「はい! はじめまして灰原さん! 不語さん! 私、〈Q-z〉事件特別対策本部オペレーター、染矢 令美と申します! 受付も兼任しております!」
「ん? 受付ですか……? ではこの方は?」
というかなんで名前を知っている、ツインテ―ルの少女はなにもしていない。微笑しているだけだった。
鏡夜は受付に立っている青い瞳の少女を見た。
「ああ、この方は白百合さん……アルガグラムから出向している人の機械人形ですよ。ほら、名乗ってあげてくれませんか?」
染谷オペレーターの言葉にゴシックロリータの少女は、腰から伸びたコードを優雅に手繰りつつ、応えた。
「くすくす。音声案内型過去観測機械「Pastricia」2ndナンバー。バレッタ・パストリシアです。よろしく……くすくす」
「お、おお……」
よく見れば少女の……バレッタのコードは受付机の裏側へ伸びている。鏡夜からは見えないが、何かに接続しているのは想像に難くなかった。
オートマタとか自動人形とかアンドロイドとかいろいろ言われるアレが、しれっ、と存在することに鏡夜は感動する。
(そうか、染矢さんが名前を知っているのは、バレッタさんが通信したからなのか。すげぇ。っていかんいかん、この反応はお上りさんだ。舐められる)
懸念に反して、染矢オペレーターは感心した様子の鏡夜に、わかります!! と言わんばかりに頷いた。
「いいですよねぇ、OAI人形!! 私、契国軍から出向してきるんでわかるんですけどほんとーにすごいんですよ!! ちょっと機密上、契国保有のOAI人形の詳細については言えないんですけどすごいんです!!! なのに個人でこうやって気軽に連れて来れるんですから開発組織はズルいですよねー」
「OAI……ですか?」
鏡夜は首をひねる。OAIとはなんぞや? それにはバレッタが答えた。くすくす笑いを入れて 歌うように説明する。
「いや、それはリーズナブルではないと思いますけどね?」
鏡夜は契国の貨幣価値は知らなかったが、流石に何百万円が小銭になるハイパーインフレ状態ではないだろうとあてずっぽうで突っ込む。染谷も桃音も、え? みたいな反応がなかったので鏡夜の推測は当たっていたらしい。安心しつつ、鏡夜は続ける。
「……まぁ、はい。教えてくださりありがとうございます。流石音声案内型のロボットさん。いろいろ教えてくれますね」
鏡夜は音声案内型という言葉を拾って、その部分を褒めておく。
バレッタ・パストリシアは当たり前のように微笑み続ける。
「くすくす……知りたいことがありましたら、我が主に不都合なことか、我が主に命じられない限りはなんでも答えますので、お気軽にどうぞ」
「あー、パストリシアさんはここにずっといらっしゃる感じで?」
「それは、我が主次第ですので……くすくす」
「あ、まぁそれはそうですよね……」
ここにずっといるなら折を見て、この世界についてめっちゃ質問しようかと思った鏡夜だが、そううまいことはいかなかった。
すると、染矢オペレーターが鏡夜たちに声をかけてきた。
「さて! では白百合さんの控室へご案内したいと思いますので! どうぞ奥へ!」
ビシッと奥の扉を全身で指し示す染矢オペレーター。行っていいのだろうか、と鏡夜は桃音に目を向ける。
「……?」
桃音は鏡夜の腕を引っ張った。なんの意図かさっぱりだったが、なにか言っておけばいいだろうと鏡夜は、染矢オペレーターに口を開いた。
「あの、このロビーにいらっしゃる方々は……?」
「ああ、もちろん、説明しますよ! ……それも同時に! 不公平や特別扱いはいけませんから。ただ、ほら不語さん」
「……」
「貴女は特別顧問の白百合さんが招いた方です! ほら、〈特別〉な方を〈特別扱い〉するのは、不公平どころか適正処置でしょう?」
(いや、でしょうとか言われても)
「なるほど……? あれ? 私はいいんですか?」。
「はい! お二人とも連れてきていいといわれています!」
「ふむ……そうおっしゃるなら。では、お言葉に甘えましょうか? 桃音さん」
染矢オペレーターに連れられて鏡夜と桃音は奥へと向かうことにした。
廊下を歩いて、つきあたりの扉を開け、外部特別顧問控室に入る。
その控室は、ベッドや大きな棚を用意していることから長期滞在も可能なように見えた。
奥の大きな机に一人の少女が座っていた。
派手だった。華美だった。美麗だった。金髪縦ロールのお嬢様がそこにはいた。
茶色を基調としたロングスカートのブレザーを着こんでおり、お嬢様学校からそのままここへ来たのではないかと思うほどに、女学生然としたお嬢様だった。その少女は椅子に座ったまま桃音と鏡夜を見た。
「あら」
と一言。その少女は立ち上がって、両手でスカートを少しだけ持ち上げて挨拶をした。
「はじめまして―――そして明けましておめでとうございますわ。白百合華澄と申しますの。以後お見知りおきをお願いいたしますわ」
このお嬢様が、アルガグラムから出向してきた外部特別顧問、白百合華澄であるらしい。
「あの悪名高い、〈全力全開桃姐様〉にあえて光栄ですの」
華澄はまるで誉め言葉のように、不語桃音のあだ名の一つを謳いあげた。
「………」
桃音は右手を口元にあてて首を傾げると、左腕を鏡夜から離した。
そのまま手持無沙汰に、ぼんやりと華澄を見つめている。華澄は桃音の目を見て、きゃー! という風に笑うと次は鏡夜に顔を向けた。鏡夜は先手を取って恭しく挨拶する。相手が誰であろうと、舐められてはいけないのである。
「はじめまして、灰原鏡夜と申します――まぁ、アレですね。桃音さんの協力者です」
対等の協力者というヴェールに包まれているだけで正確に言うなら庇護者と保護者の関係ではあるのだが。あるいはヒモとダメンズウォーカーかもしれない。
「ふぅむ、大変申し訳ないのですが、わたくしは灰原さんのこと存じ上げませんの」
「そりゃ、しょうがないですよ、この世の中、知らないことに溢れてますからねぇ。私だって、貴女のことを知りませんし」
鏡夜は揶揄するように親しみを込めて、意地を張って笑う。
「それはしょうがないですわ。わたくし――というかアルガグラムの内部や構成員は、たいていは機密ですから。秘密結社ですし」
「秘密結社――ですか。にしては、普通に名乗っていらっしゃいますね」
「よく言われますわ。世界規模で多角的に商品やサービスを提供しているのだから秘密結社という名称は不適格だろうと――そして、その答えも決まっておりますの。〈浪漫〉故ですわ。全ては、〈浪漫〉故ですの。だって、浪漫とはすなわち秘密結社とも言えますでしょう? ほかに理由など必要ですの?」
お嬢様お嬢様している華澄が浪漫を語る姿に鏡夜は少し微笑む。
「いえ、わかりますよ。カッコいいのは大事です」
なにせその格好良さゆえに、鏡夜は首の皮一枚繋がって、地獄に仏ならぬ異世界に救世主に救われたのだから。
「ふふ、わかってくださってうれしいですわ。服のセンスや気風も大変よろしいですし、いつか貴方にもアルガグラムのスカウトが行くかもしれませんの。その時は、仲良くしてくださいまし」
「今、仲良くするのは駄目なのですか?」
鏡夜は打てば響くように言葉尻を捉えて、すぐさま、しまった、と思う。舐められないように気を使いすぎて、踏み込みすぎたか。加減を間違えたかもしれない。これは一歩間違えれば軟派野郎だ。どうも意地を張るという行為に慣れるのはまだ難しい。
華澄は機嫌を悪くすることなく、平静に答えた。
「それはそれ。これはこれ――。そして、仕事は仕事ですわ。貴方が有能であれば、むしろこちらから、と言ったところですの。……おっと、不語さん、お待たせして申し訳ありませんわ」
華澄は桃音に近づいていった。しげしげと観察するように桃音に顔を近づける。
「しかし、見れば見るほど普通の――お淑やかな――優しい女性に見えますわね。亭主関白に付き従う大和撫子属性までついていらっしゃるようですし」
「誰か亭主関白ですか誰が!」
鏡夜は不当な評価に憤りを見せるが、華澄は見事にスルーする。華澄は桃音に語りかける。
「ああ、あなたが本当に不語桃音さんか、は疑ってはおりませんし、試すつもりもないですわ。ただ、わたくしが会ってみたかっただけですの。候補としては貴女が一番ですから」
(候補としては一番……? なんのだ?)
鏡夜は疑問に思う。それに応じたわけでもないだろうが、華澄は言葉を続けた。
「今ここで全てを説明して差し上げたいところですが――どうせ、ホールの説明会で同じことを繰り返しますの。二度手間は面倒でしょう? ここはサクッと省略しますわ」
華澄は気さくに言った。
「では、わたくしの後に続いてどうぞ―――いい席でお聞きできるように、このわたくしが案内しますわ」
華澄は鏡夜と桃音の間を通り抜けると、扉を開けた。そしてくるりと鏡夜たちを見て、さぁ、と呼び寄せる。
「……ありがとうございます?」
「あ、私は準備しなきゃいけないんでここでお別れです!! ではまた説明会で!!」
鏡夜が華澄に返事をした後、控室の隅で控えていた染矢はそう言って華澄の横を通り、さっさと退室してしまった。先ほどまでは空気を読んで黙っていたらしい。ともかく、この場に残ったのは華澄と鏡夜と桃音の三人だけだった。
鏡夜は桃音と見つめ合って、肩をすくめると華澄についていく。
案内されたのは、テレビ中継されていた四階建てのステージホールだった。天井の一部には応急処置として簡易的に鉄板が張られている。鏡夜の天井への視線に気づいて華澄は言った。
「建物がここぐらいしかないものでして……ま、安心なさってくださいな、あれは落ちませんの」
華澄に案内されたのは二階中央最前席だった。華澄は、一番よく見えるところですわ、となんでもないことのように告げる。賓客席は一階だったのに一番眺めがいいのは二階なのか、と鏡夜は奇妙に思いつつ、鏡夜、桃音、華澄の順で座った。
すると、下の階の扉が開いて、玄関のラウンジに集まっていた人々人外が一階座席に好きなように座っていく。密集したり、前後左右三席開けて座ったり、位置の取り方に個性が見えて、少しだけ興味深い。
しばらくして、ブッー、と開演ブザーが鳴った。契国王の演説前のように、クラシックでやらないんだなぁ、と鏡夜は思った。
全身スーツの女性がステージ裾から歩いてくる。先ほど別れたばかりの染矢 令美オペレーターだった。物怖じせず、大股歩きで堂々とステージ中央までたどり着く。
染矢オペレーターは正面から客席を見据えて小さな咳払いをしてから、口を開いた。インカムを通して会場中に彼女の声が響く。
「はじめまして!!〈Q-z〉事件特別対策本部 オペレーター 染矢令美と申します!! 本日はお忙しい中、来てくださりありがとうございます!! では、さっそく説明いきまーすので、後ろモニターにご注目してください!」
染矢オペレーターが携帯端末を操作すると、ステージ後ろの白い幕に映像が出力される。どこかのテレビ局からデータを引っ張ってきたのだろうか、砲弾が天井からステージへ突き刺さり、地表を進み塔の入り口に突貫した、あの衝撃映像が音声付で上映された。というか鏡夜たちがいる今ここが現場なのだが。そういえば、と鏡夜はステージの材質が木材ではなく、真っ黒なリノリウムになっていることに気づいた。昨晩の騒ぎで完全に破砕してしまったため、入れ換えたらしい。
染谷オペレーターは動画が一通り終わったことを確認してから口を開いた。
「はい、えー、この攻撃は上空約一万メートルから突如出現し、急降下してきた不明機から発射されたものです」
スライドするように次の動画に切り替わる。
昨夜、鏡夜が窓から目撃した頭の悪い構造のプロペラ飛行機。少し遠目からではあるものの、巨大な砲台を背負って墜落するように落ちていくその姿がバッチリと写っていた。
「この飛行機は発射後、上空で爆散、部品一つ火薬一つ見つかっておりません。現在も捜索中です……もし発見できれば、手がかりになるので、心当たりがあるのなら連絡をお待ちしております。そして手がかりと言えばあの、塔入口に塗りつけられていた犯行声明ですが」
次の映像はさきほどの、砲弾が塔へ侵入した前後のコマ送りだった。コマ送りの映像には、黄色い液体が砲弾の上部から射出されているのが見て取れた。
「こちらの部分からペンキが射出され描かれているだけでした。ここから犯人を辿ることは不可能と考えられます。えー。そして、ここからが重要なのですが、こちらの画面、砲弾の横部分にご注目ください」
同じ画面内、砲弾胴体にズームアップする。そこには英語で文章が彫り込まれていた。
Quest〝curtain call〟
「以後、このロボットをクエスト『カーテンコール』と呼称します」
(ロボット……!?)と鏡夜は驚く。
他の観客席の人たちもざわついていた。
染矢はそれを抑える。
「はい! 詳しく説明いたします! 本日の午前〇時に【決着の塔】に侵入した『カーテンコール』は塔内部侵入後、変形し高速で塔内部を直進、二百メートル地点で停止しました。そして現在まで、全ての塔の侵入者を排除するために攻撃行動をとっています。皆様に依頼し、要請するのは、……この、『カーテンコール』の排除です。その対価は、【決着の塔への挑戦権】」
――――ざわざわざわざわっ!!!
「なんですと……これはまた剛毅な」
鏡夜は呟く。異世界人の鏡夜ですらわかる。なんでも願いの叶う権利を、下手な者に渡せないはずだ。契国王は――柊王は言っていた、〈彼らは代表〉だ、と。それはつまり、下手な、身勝手な、ともすれば破滅的な願いを叶えさせないための、代表者選定の結果だろう。それを、完全に無視するような暴挙だった。
流石にこれは見過ごせないのか、観客席でひときわ大きな声が上がった。呼び寄せられた冒険者の一人だろう。
「待て!! それを柊王が――いや、ちげぇ!! お偉いさんが、国が許すはずがねぇ!!」
≪いいえ、許しましたわ。許さざるおえませんの――≫
それに答えたのは染矢オペレーターではなかった。
というか聞いたことがある声だった。鏡夜が桃音の向こう側に座っている彼女を見れば。
華澄はいつのまにやらマイク付きヘッドフォンをつけて不敵に笑っている。
彼女が喋ると、マイクを通して声が会場に響いた。
≪非常に単純な話で、つまりは時間がありませんの。もし、あの『カーテンコール』に誰かが乗っていた場合……その誰かがいの一番に決着を手に入れる可能性がありますわ。どんな改造者でもあの砲弾内にいれば衝撃でバラバラになって当然だとは思いますが、そもそもこの横やりこそ、常識と当然を完膚なきまでに破壊してますの。楽観視はできませんわ≫
「……あの代表者の方はどうしたんでしょう? 私たちに頼らなくても、強そうでしたが」
鏡夜がぼそりと呟く。声が小さかったからか華澄のマイクに音が入ることはなかった。しかし、その声を華澄は聞き取ったので普通に答える。
≪本来の代表者たちは『カーテンコール』によって全滅ですわ。魔王たちは突貫して四天王が穴だらけ、聖女たちも向かいましたが全員磨りつぶされ、英雄たちはボロボロで敗走。勇者たちはそもそも手に余ると棄権しましたの。ああ、誰も死んでいませんわ。この塔の中では誰も〈死にはしにません〉から。ただその代わり、ほぼ全員が治癒ポットか治癒術師のところに缶詰になっておりますの≫
ステージホール中かシーン……となった。鏡夜は疑問符を浮かべる。〈死にはしない〉も気になったが、ここまで誰も彼もが戦々恐々となるほどの情報だったのかと。
そもそも代表者について鏡夜は、強そうとかすごそうとかそういうぼんやりした印象以外、まったく知らないから当然なのだが。
ただ、魔王だの、勇者だの、聖女だの、英雄だの、言葉はとってもファンタジーで重要人物を言い表している。あと、治癒ポットと治癒術師が連続したセリフで出てくる世界観が未だにわからなかったが、それは今どうでもよかった。
≪さてさて、わたくしども、情報なしで皆様に無茶な依頼をするほど無能ではございませんの。もちろん、クエスト『カーテンコール』の映像もございますわ――染矢さん、見せて差し上げてくださいまし≫
「え、あ、はい!」
染矢が携帯端末を操作し、新たな映像が出力される。今度の動画はかなり荒いものだった。
「……はい、緊急事態ということで、クエスト『カーテンコール』を制圧するために契国軍の部隊が塔へ侵入した時の映像です」
決着の塔の性質上、軍隊を使う計画はなかったのですが……と染矢オペレーターが呟いている間に、動画の上映が進む。ノイズが混じっているが、たしかに戦車や歩兵などと言った軍隊らしき人と人外が廊下を突き進んでいる。
赤いカーペットに石畳。そして、その一番奥に、『カーテンコール』がいた。無骨な丸みを帯びた鉄の上半身は、かつて舞台に突っ込んだ砲弾と同じ形。よく見るとその丸い頭には大きな目と小さな目の二つがついている。
そして、その下半身からは数多の車輪がうじゃうじゃと生えていた。さらに床には異常な量の薬莢が散らばっている。
指揮官らしき人物が攻撃を命じると、戦車から砲が放たれる。
その瞬間、『カーテンコール』はすさまじい速度で移動し、砲撃を回避した。下半身の車輪がうじゅるうじゅると常に駆動し、巨体に似合わず柔軟かつ高速で移動し、契国軍を翻弄する『カーテンコール』。
そして『カーテンコール』の上半身、両端の部分が持ち上がる。それは腕のようだった。両腕が、軍隊……映像を記録しているカメラのレンズ、そして、その映像を見ている冒険者たちに向けられる。
どん引きするほどの巨大な銃口が両手の先に十門ずつついていた。円形に配列された十の銃口が回転するのを視認したと同時、轟音。激しい閃光で映像が見えなくなり、映像は終わった。
≪と、まぁこのように。立地もありますが、物量をぶつけて倒す手は悪手ですわ。軍隊の肝要たる大規模展開もできませんしね……。しかし、倒さねばならない。できるだけ早く。ならば他の冒険者に来てもらえばいい―――それが各国首脳の判断ですわ。この敵を倒した冒険者には【決着の塔の挑戦権】を得られますわ。本来なら人類の代表か人外の代表にしか与えられない栄誉ですの。……比喩でもなんでもなく歴史に名が残るでしょうね。それでも命は賭けられない? 安心してよろしいですわ。勇者と魔王というのは御存じの通りジョークのわかる人たちですの≫
動画が再開される。装備もぼろぼろ、戦車も大破しているが、人間や人外、サイボーグの軍人たちは重症軽傷で――しかし、死ぬことも死に至ることもなく倒れていた。奇妙なことに、倒れている場所はあの赤いカーペットと薬莢が敷き詰められた塔一階内部ではなく。この、今鏡夜たちがいるステージホールのステージ上だった。
(ああ、なるほど死なないってこういうことか)
「おお、勇者よ、しんでしまうとはなさけない」
それがまるで往年のRPGゲームを連想させて、鏡夜は何も考えずついそのセリフを口に出してしまった。それがいけなかった。小声でも鏡夜の呟きは、華澄に聞こえるのだ。華澄はそのセリフにくすっと笑って告げた。
≪おお! 挑戦者よ! 死んでしまうとはなさけないですの! このように、必要最低限の回復の後、表に――その、舞台に! 神代のロストテクノロジー、テレポーテーションで放り出されますわ。要治療ですが、死にはしにませんの。ぜひ気軽に挑戦してくださいね≫
映像では軍人が苦しそうにうめいていた。……これで気軽は無茶だろう。鏡夜は冷や汗を垂らしつつ呆れる。
そして、ステージの脇に控えていたのか、回収の人員の足が動画にちらりと映った瞬間、プツン、と上映が終わった。
≪では、以上、白百合華澄でした≫
映像の終わりを確認すると、華澄は頭につけたヘッドフォンを外し、隣の席に引っ掛けた。
「カスミ……? 誰だ?」
「白百合家の関係者なのはわかるが……」
「政府だけじゃなくて経済界も出て来てんのか……」
(経済界? 白百合家? ……アルガグラムなる組織? いや会社? のエージェントってだけじゃねぇのか?)
鏡夜は華澄を見ようとしたが、鏡夜に視線を向けた桃音とちょうど目が合ってしまう。この状態で桃音を無視して華澄を見ても桃音に失礼だ。仕方がないので鏡夜は桃音に笑いかけ、舞台に手を向けてあちらを見ましょうと、ジェスチャーで伝える。桃音は一瞬訝しげな顔をしたが、鏡夜の言に従った。
さて、そろそろ……と鏡夜はステージの方へ向き直る。
「はい! では皆さん!! 依頼主は〈Q-z〉事件特別対策本部。依頼内容はクエスト『カーテンコール』の排除。ーーー【クエスト】を発行いたします!! 受注はこちらステージでできますので、ふるってご参加ください。参加人数に制限なし! しかし日時は先着順で決定するのでお早めにお並びください。抜かしたりどかしたりはご法度ですよ! 戦力分析資料もこちらで配布しております。もちろん、依頼を受注せずとも資料は持ち帰っていただいて結構ですし、後日受付も可です。それでは説明会を終わります!」
染谷オペレーターが説明を終えた瞬間、鏡夜は二階の手すりに足をかけた。その光景は本人にはわかっていないだろう。
灰色のスーツをはためかせ、今にも飛び上がろうと屈み、足を引っかけたその体勢。それは、そういう感性を持つ人間にはたまらないもので。
「―――……」
「―――……」
彼の後ろに座っている白百合華澄と不語桃音は完全完璧に、その感性を持っていた。二人の少女の心を、たった一瞬だけだが、奪った鏡夜は二階から飛び降りた。昨日も今朝も何度も飛び上がったし飛び降りた。感覚はもう掴めている。他の冒険者たちは動けていない――今動くことができれば、舐められることはそうそうなくなるだろう。一目置かれるというやつだ。それが何の役に立つかはさっぱりだが――かの金言しかり。桃音の例しかり。舐められないことは、きっと無駄にはならない。
(ちっ、それにしても――少し遠いな。一度通路を踏んでいくか。ショートカットできればよかったんだが)
コツッ、と着地した。ただし下の階の通路ではなく、その上にある―――一階座席のさらに上に浮いている――〈何か〉に。
(……は?)
鏡夜は疑問に思ったが、予定通りにジャンプする。今踏んだのは鏡夜の靴だ。鏡夜の靴の裏を鏡夜が踏んだ
(あれは……〈鏡〉か?)
鏡夜は、驚いた様子の染矢の前に着地する。
「では、応募してもよろしいですか?」
「えー、はい! 少々お待ちくださいね!」
染矢オペレーターが舞台袖に目を泳がせる。鏡夜もそこを見てみれば、謎の人物が台車に紙束と大きなプリンターを乗せて、ステージへ運んでいた。
彼……あるいは彼女――白い仮面で顔を隠した鷹のような翼を生やした性別不明黒スーツの人物だった―――は台車をステージ中央に届けると、飛ぶようにというより実際飛んで舞台袖に逃げ帰っていった。
(ほぼ不審人物……いや、染矢さんと同じ服着てっからここの職員なんだろうけどよ)
鏡夜は二階から突然飛び降りた自分の奇行を差し置いて、そんなことを思った。
染矢オペレーターは台車から紙束の一つ拾い上げると鏡夜に手渡す。
「こちら資料をどうぞ! いつ頃挑戦なさいますか?」
「早くに。一番早くに、お願いします!」
「では、今から二時間後に準備が完了すると思いますので、その時間にいらっしゃってください。はい、受注票です」
染矢オペレーターが携帯端末を操作して、一枚の紙を運ばれてきたプリンターから印刷した。彼女ははその紙を半分に引きちぎって、片方を鏡夜に渡した。残った片方の紙は、腰に取り付けた細いスリットのある小箱に放り込む。
「では、証明証となりますので、お時間になりましたら受付までお持ちください!」
「はい、ありがとうございます」
鏡夜は微笑むと資料を持って振り返った、冒険者たちがポカンとした顔で鏡夜を見ている。二階にいる華澄は笑い、桃音は笑っていなかった。
鏡夜は悠々と一階客席の間を通り、ステージホールから去った。
誰もいない通路を通り、エントランスへ行く。無人だった……ただ一体、受付にバレッタ・パストリシアが佇んでいることを除けば。鏡夜はバレッタがいることに気づくと笑顔を浮かべて彼女に話しかけた。
「どうも~、さっきぶりです! パストリシアさん!」
バレッタは相も変わらず、くすくす笑いつつ答えた。
「くすくす。灰原様、気が早いですよ、まだ一時間五十八分ございます」
「……ああ、クエストの話ですね! いえ、そうではなく」
鏡夜は染谷オペレーターからもらった戦力分析資料をバレッタの前に掲げた。
「こちらの資料について、いろいろ聞きたいなぁと思いまして。大丈夫ですか?」
ちなみに、この予定は元から考えていたわけではない。いつもの通りの、舐められないために咄嗟にした即興の虚勢である。
「くすくす、問題ありません……ですが、我が主と不語様が、おそらく一分以内にはいらっしゃいますので、それからでよろしいですか?」
「もちろんじゃないですか」
バレッタの言う通り、華澄と桃音が奥の扉から出て来た。鏡夜が手をふって彼女たちを呼び寄せる。
「灰原さんは、やることが外連味たっぷりですわねぇ」
華澄は開口一番、感心したように言った。
「……」
桃音はなぜか少し不満そうにしている。
「なぜかずーっとこうなんですの、困りましたわ」
鏡夜は申し訳なさそうに桃音に目をやった。
「ああ、置いて行ってしまったので怒っていらっしゃるんですよ」
鏡夜は適当に言った。読み取ろうとしても、そもそも桃音という女性は伝えるということができない。だから勝手に推察するしかないのだ。そして、その勝手な推察に基づいて鏡夜は言葉を続ける。
「けど、そうそう……許してくださいとは言いませんよ? これは大事なことでしたから。次があっても同じことをします」
鏡夜は笑う。笑う。正直、人前でなかったら素直に謝っていた。が、人前だ。それも特別顧問、白百合家なる権力者っぽい華澄の前。舐められたら終わり、という金言を信じる鏡夜は意地を張るしかないのだ。
でもフォローはしておこう、と鏡夜は口を開いた。
「だから、次もまた同じようについてきてください……まぁ、桃音さんがよければ、ですが」
桃音は鏡夜の目を見つめると、一歩だけ寄り添って隣に立った。許してくれたらしい。たぶんだが。
「やはり亭主関白……」
「くすくす……俺についてこい宣言?」
「誰が亭主関白ですか誰が!! というかそんな関係じゃないですからね!」
そもそもそんな関係になりようがない。この手袋のせいで、触れることすらできないのだから。
一段落して、他の冒険者も来ないのでバレッタ・パストリシアは先ほどの問いに答えるため、鏡夜に資料の内容を諳んじて伝えた。
「くすくす。クエスト『カーテンコール』。無骨な丸みを帯びた上半身と、柔軟性を持ち自由自在に形を変える大量の車輪の下半身を持つ機動兵器。上半身の側面がそれぞれ十口の銃口がついた重火器になっており、その鉄量は弾幕。攻撃する際に肘から薬莢をまき散らし、地形を転倒し易くさせ、戦う相手の機動力を削ぐ。そして『カーテンコール』自身は対応力の高い車輪で機動性を完全に保っている。……くすくす。一言で表現するのならば、機動力と火力特化の変態兵器です」
華澄はそれに付け足すように言った。
「それに、環境を都合のいいように作り変えるギミックも併せて、閉所戦闘特化と言えますわ。ふふ」
「何がおかしいんですか?」
鏡夜が首をかしげると華澄は感慨深そうに言った。
「いえ……実に、浪漫溢れているな、と」
「と、いうと?」
「無骨で異形なフォルム。閉所以外ではタコ足なだけの戦闘ロボット。開けた場所では、いかような戦略でも囲い込めて潰せる的でしかない……なのに、今あの場所に限り、あれはクエスト『カーテンコール』となり、歴戦の強者すらも駆逐する。ああ、浪漫ですわ。わかりませんの?」
「……なるほど?」
残念ながら鏡夜にはよくわからなかった。開けた場所なら的でしかない……という言論からして理解できない。知識がないのはもちろんのこと、軍事的戦略など、鏡夜にはさっぱりだった。なので話を変えることにする。
「……ところで、おすすめの攻略法とかあります?」
「閉所を十全に活かす機動性の高い兵器ですから……大火力で吹っ飛ばすなどいかがですの?」
「いや、戦車の砲弾を避けてませんでしたか……?」
「もっともっと、ですわ。外に漏れ出るほどの爆弾を放り込むのですの」
「くすくす、我が主、此処は歴史政治文化未来過去が焦点する最重要地ですよ? もしリカバリー不可のダメージを建築物に与えてしまった場合、起こりえるリスクは非常に巨大になるかと……くすくす。それに、『カーテンコール』の頑健性も砲弾として活用されたことを加味しますと高いと考えられます」
「……ま、攻略法がわかっているなら冒険者募集などしませんでしたわ」
「ははは、それもそうですねっと。お手数をおかけしました」
鏡夜は華澄とバレッタに解説の礼を言うと、どこか慣らしができる場所はないか尋ねた。
バレッタ曰く、ドームの裏手に訓練場があるらしいのでそこに向かう。
「ふむ、なかなかのTHE・広場」
鏡夜は自分でもよくわからないことを言うと桃音と華澄とバレッタを伴って広場中央へ向かう。広場には幾人かの冒険者がまばらに動いている。剣を振るったり、杖を降って炎を出したり、配られた資料を読みながら話し合っていたりしていたり。……鏡夜に遅れつつも早めにクエスト受注を済ませた冒険者たちのようだ。彼らは鏡夜たちが来るのを見ると驚いて、端に寄った。……なぜか避けられているような気がする。
契国のアンタッチャブルと称される桃音が理由なのだろうか? それにしては絢爛の森に来ていた冒険者や女子学生、警察官等は親しげに話しかけてきたが……。
結局、広場中央、空いたところに行くまでに話しかけられた回数は一回。
「がんばれよー!」
と良く知らないおっさん……壮年の人間の男性に言われ。
「はい、がんばりますね~」
当たり障りのない答えを鏡夜が返したっきりだった。
広場中央。慣らしのために、鏡夜と桃音が向かい合って立つ。華澄とバレッタは少し離れたところから、鏡夜たち二人の様子を眺めている。
「ま、少しだけ付き合ってくださいな」
鏡夜は手を振るった。鏡夜の前に、一枚の鏡が出現する。
(やっぱりな……鏡が出せるのか。〈灰〉原〈鏡〉夜……てか?)
もし、この服を着せた何者かがいたとして。その何者かが意図して鏡夜の名前に合わせて身体を作り変えたのならば。意図がまったく読めないし、とても悪趣味だ。
そして……とても腹立たしかった。鏡夜という名前は、鏡夜にとって間違いなく誇りであり自慢なのだから。しかし、勝手に意図を想像して、勝手に憤るのは精神的労力の無駄遣いなので、鏡夜は一度深呼吸をして気持ちを切り替える。
まず鏡夜は自分が映り、そして宙に浮かぶ鏡の表面をコンコンと叩くことにした。浮いている以外は、普通の鏡のように感じられる。次に沈め、と念じてみつつ鏡の表面を叩いた。手は沈まなかった。
(……? これは沈まねぇのか)
昨日、ウッドハウスの鏡に手を突っ込んだ時は、手が沈んだのだが。今度は強めにガンガン叩いてみた。まるでびくともしない……。
「ふぅん?」
鏡夜は鏡の裏に回ってみた。鏡の裏はプラスチックのような無機質で脆そうな材質で出来ている。鏡夜は、その裏面を叩いてみた。
割れた。鏡は割れ散って、落ちて、風に消えるようになくなった。
鏡夜はそれを確認すると、もう一度新たに鏡を出現させた。これまで何度か鏡を出しているが、疲れは特に感じない。
今度は向かい側に立つ桃音へ鏡の面を向けて浮かせる。
「では、桃音さん、この鏡にー、攻撃してくれます? 鏡の面ですよ?」
「……」
桃音は一歩下がると。全力で鏡へ回し蹴りを放った。
野暮ったい格好をした女性が放つあまりにも華麗な蹴りはとんでもない速度で鏡の面にぶち当たる。衝撃が周囲に広がる。肌にびりびりと空気の震えが伝わり、遠くからこちらを伺っていた冒険者たちは顔を青くしている。
対して、鏡は無傷だった。表面は相も変わらず、曇りなく、茫洋とした無表情の桃音を映している。鏡の後ろに立っていた鏡夜は、ダメージ一つ負っていない。
「なるほど……ありがとうございます。これはすごいですねぇ。役に立ちますよ、とっても」
鏡夜は鏡の裏側に手を添えて撫でるように割った。
「なるほどなるほど……すさまじいですわね。さすが不語さん。ところで灰原さん? その鏡、どれくらい出せますの?」
華澄が感心したように頷いて、鏡夜に顔を向ける。
鏡夜は(ああ、それも大事だな)と思い、できるだけ鏡を出すことにした。六枚出現させると、力を入れても鏡が出なくなる。どうやらこの枚数が限界らしい。
「六枚が限度ですよ」(今知ったが)
「大きさは?」
鏡夜は念じて六枚を消した後、一番大きくなれと鏡を出す。
ドン!! と大きな鏡が出た。
「これが限界ですかねぇ」
「……くすくす。2・00メートル四方の正方形です」
「柔軟性」
鏡夜は少し頭を捻る。まず剣の形。どこかのRPGで見たような簡素なものを思い浮かべ、巨大な鏡の折り紙を織り込むように形作る。持ち手の部分を筒にして―――。生成。
もう片方の手には斧の形になるように鏡を織り込んだものを持つ。
「これぐらいなら余裕ですね」(今知った)
鏡夜は右手に持った剣と左手に持った斧を軽く振り回した。浮かせるだけでなく、手に持つことも可能だった。
「……ずっこいですわ!! チートですわ!!」
「いや、そういわれましても……」
「それで空間固定もできて、さらに身体能力も高いのでしょう? 近年まれにみるチートっぷりですわ!!」
そう言われても鏡夜はこの世界の近年など知りはしないのだが。
「まぁ、恵まれてるのは同意ですね……でもほら、この運が良いのが私ですので?」
果たして全身わけのわからないことになって服が脱げず、身体一つ異世界に放り込まれることを、運がいいの範疇に入れていいのか、鏡夜自身も疑問だったが、これくらいは意地を張って嘯いてもいいだろう。
というか、なんでまだついてきてるのだろうこの二人……いや、一人と一体か? と、鏡夜は華澄と機械従者を見やる。
正直バレッタ・パストリシアは一目見た限りでは浮世離れした人形的な美貌以外まるで機械感がない。
この世界に慣れていない鏡夜としてはこんがらがってしまう。腰から伸びるコードも、今は収納しているのか外側からは見えないし。これならまだ塔に来る途中に遭遇した警察官の方がロボっぽかった。
違いと言えば、警察官は呼吸していたが、OAI人形は呼吸していないぐらいのものだ。
さて、正直な話、クエストを受注してなお、全てを桃音に任せたいのが鏡夜の本音だった―――それはできないのだが。不語桃音が格好良いものに弱いからこそ、この関係は成立している。格好良さを放り投げれば、鏡夜は現状維持すらできないのだ。服を脱ぐなど夢のまた夢になる。
それでも、ここまで戦えるかどうかの確認をしてもなお。鏡夜には精神的にも技術的にも、戦闘などさっぱりだった。……喧嘩などしたことはない。
さりとて前のめりであり続けるしかないのだから、鏡夜は自分のことながら苦笑いした。結局、諦めるには奪われたものが多すぎる。
「さて……桃音さん」
鏡夜はいつか映画だか写真だかでみた武道家を見様見真似して構える。右手のひらを前に、左手を胸の前に構える。
「身体の慣らしです――私に合わせてください。お手柔らかに」
桃音は、両手を小さく広げて仁王立ちした。
表情はいつもの通りの虚ろ。
「…………」
「かかってこい―――と? では胸を借りるつもりで、いかせてもらいますね」
鏡夜は後ろへ片足を踏み込み、勢いをつけて前へ跳んだ。あっ、という間もなく桃音の眼前に迫る。鏡夜は彼女の顔を掴もうと手を伸ばした。
……今更だが、この手は状態異常を引き起こす。対生物に絶対的に有利な能力だ。しかし、残念ながら、桃音はそれを知っていた。鏡夜の右腕は桃音の左腕で軽くいなされる。次は空いた右拳で攻撃してくるだろうから――と、鏡夜が彼女の右腕を見ると。
右腕がなかった。
「――……」
ズドンッ、と鏡夜は腹部を撃ち抜かれた。桃音の右拳による衝撃が背中から広がる。
「あらあら、とっても素敵な不意打ちですわねぇ。バレッタ、今のはどういう術理ですの?」
「くすくす、ゆったりした服の活用ですわ、我が主。腕を曲げて袖の内側に入れて、右肘を高く上げ、腕の姿勢を誤認させたのです。なので、今のアクションは〈フック〉ではなく〈打ち下ろし突き〉。頭部ではなく腹部への全力アタックです」
「となるとー、灰原さんの攻撃をいなした動きに連動して足、腰、肩、腕、重心を綺麗に打ち込みましたから。良くて内蔵破裂ですわねぇ……入っていればですが」
「……慣らしだと、言いましたよねぇ……?」
鏡夜は地を這うような声で言った。桃音の右拳を、鏡夜は左前腕で防いでいた。
「合わせてくださいと、言いましたよねぇ……?」
いなされた右腕をひねって、鏡夜は服から露出した桃音の左腕を掴んでいた。
「チェックメイトです……そしてェ……」
「……」←弱点:【喋れない】【格好良いもの】【状態異常:魅了】
顔を真っ赤にして、桃音は鏡夜の顔を見つめていた。
「おしおきです」
鏡夜は右腕で桃音を抱き寄せた。
「……!!」
桃音は身体をかちんこちんにして固まっている。
そして鏡夜は……。
(いっっっってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!)
折れた左腕を桃音と自分の間に挟んで隠していた。
(クソがぁ!! めちゃくちゃいてぇ!!! つーかマジかこの女ァ!! なんのためらいなくテメェが惚れた男に殺す気の不意打ちかましたぞ!!!!)
腕の中でモジモジとする陰気で地味な文学女性に鏡夜は脳内で叫ぶ。
あと、しまった。意図して心の中でも言っていなかったのに、過度な激痛のせいで、彼女が自分に好感を抱いているだろうと自意識過剰な考えを鏡夜は脳内で明言してしまった。が、それに恥ずかしさを覚える余裕すらない。いたい。
(ふーふー……!! なんか痛くなくなってきたぞ? やべぇ、感覚が死んだか!? クソッ!!)
鏡夜は右手を桃音の頭にバシバシバシバシ、とあてた。そして離れる。
(………なんとか、なるかなぁ、あと一時間以内に直せるか? いやいけるいける。未来感すごいし治療できるって骨折くらい超技術で。治療ポットとか治療術師とかあるんだろ?)
英雄やら魔王やらが現在も治療中であるぐらいには時間がかかるらしいが、腕一本だ。いけるはず。というかいかねばならぬ。
鏡夜は【状態異常:麻痺 魅了 混乱 毒 恐怖】を発動して、ぶっ倒れた桃音を右腕で庇いつつ地面に降ろした。そして自分の左腕を見た。治っていた。
(はっ?)
よく見る。綺麗な腕だ。指をぐーぱーとうごかす、肩ごとぐるぐると振り回す。なんの支障も痛みもない。折れたはずなのに……。
鏡夜はびくびくと地面でのたうつ桃音を見下ろしながら内心困惑しつつ、外面はあきれ笑いで言った。
「これで許し上げますよ。まったく……」
「なにをしたんですの?」
「ほんの少しばかりー、状態異常になっていただきました」
びくつく桃音を見て華澄はつぶやいた。
「うわぁ………灰原さん、鬼畜ですわねぇ」
「まさか、私ほど紳士な人間はいませんよ~?」
なにせ服が脱げないわけであるし。
「紳士服を着ているだけでしょうに。しかし、よく防げましたわね」
「……なに、簡単なことですよ……なーんてちょっとカッコつけちゃいましたね?」
鏡夜自身も防げたのは驚きだった。身体が勝手に動いたのだ。……もういまさら驚きもしない。
次はどんな驚きびっくり能力が自分の身体が飛び出るのか楽しみに……なんて思えはしなかった。他人事ならまだしも、なにせ自分の身体である。
「しかし、桃音さんには困ったものです」
「まぁ、それも当然ですわ。彼女は悪名高き〈全力全開桃姐様〉、疲れないという呪いを誰よりも発揮し、何事にも、常に全力全開な人ですもの」
「あー、そういう……」
心当たりは、ありまくる。ともかく加減をしない人だった。出会ったときから突貫して飛び出して突飛なことに暴走する。なるほど、〈全力全開桃姐様〉とは、うまいあだ名だ。
「? ……そういう? ……知りませんでしたの?」
「おっと、まぁ、そうですね、知ってましたよ。なにせ同居してるわけですし?」
「……あら、思ったより進んでいますのねぇ」
(うん?)
レスポンスが妙だったような……? 鏡夜が内心で首をひねっていると、ひときわ大きくびくついた桃音が、むくりと起き上がった。そして、立ち上がり、背中についた埃を払う。ふー、と桃音は一息つくと、自然に鏡夜へ近づき、隣に立った。
「むっ」
と、華澄は不満そうな顔をすると、即座にふふんと不敵な笑顔を浮かべて髪をかき上げた。
「灰原さん、〈決着〉がほしいんですの?」
「? ……そりゃぁもう! 喉から手が出るほど!」
鏡夜は唇に拳を添えてグーパーした。……そういえば、この手袋で自分に触れても状態異常は起こらない。
便利なものだ。服が脱げないという圧倒的な不便さを除けば。
「そうですの。実はわたくし――〈決着〉そのものには興味がありませんの」
「へぇ? そりゃまたなぜです?」
鏡夜もそれに合わせるように含みがある感じで応答を返す。ちなみに、含みも何も、いつもの通り鏡夜は何もわかっていない。
「それよりも大事なことがありますの。―――わたくしは〈Q-z〉事件を解決しなければならない。これがわたくしの任務であり、責務であり、義務であり、浪漫なのですわ。なぜかと申し上げれば……この事件の犯人は、犯人の一人は、十中八九アルガグラムの〈魔術師」なのです」
「……と、それはどういう?」
「あんなずば抜けた〈人形〉を開発し、運用できる技術者は―――わたくしの知る中では現在失踪中のアルガグラムの〈人形使い〉だけですわ。ええ、だからこそ、特別顧問、なんて浪漫の足りない看板まで下げてわたくしはここにいるんですの」
「つまりは?」
「協力しましょう、灰原さん、不語さん」
「なぜ私たちなんです? 貴女――たちだけでもできるのでは?」
鏡夜はくすくすと笑っているバレッタを見ながら言った。
華澄は首を振った。
「そんなイージーミッションじゃありませんわ。きっと」
「根拠は?」
「〈きな臭さ〉、ですの――感じませんか? 今、この塔にはありとあらゆる策謀と意思が入り乱れておりますわ。曖昧な癖に強固で、適当な癖に譲らず、間違ってる癖に押し通す。種族と個人の意図が入り乱れ……その中で、貴方たちだけが、まっすぐでしたの。不語さんはもちろん――灰原さん、貴方も、協力するには最適な方だと、わたくしは判断しましたの。アルガグラムの人形使い捕獲に協力してくだされば―――、貴方たちが〈決着〉を手に入れられる手伝いをしますわ。いかがです?」
鏡夜は頭を深く下げて帽子で視線を隠した。唐突な提案。
(さて―――考えどころだ)
鏡夜は黙考する。心の奥底まで意識を沈ませ、思いを巡らす。
(直感としては引き受けてもいいと思う。頼れるのは一人でも多い方がいい――二重拘束も特に起きない。無口な方は格好つけていればいいだけで、お嬢様な方は捕り物に協力すればいいだけだ。が、理性だと疑わしいに限りない。〈なんでも願いが叶う〉んだぞ―――興味がないわけがない。願いがない人間などいない。そこが嘘で、だからこそ、その嘘がこの女の評価を下げる。注目すべきは嘘の〈理由〉――さて)
鏡夜は華澄に注目する。その傍に浮かぶ弱点に注視する。
今にもおーほっほっと笑いだしそうな金髪ドリルお嬢様の弱点は。
「……」←弱点:【なし】
(……えっ)
馬鹿な、と鏡夜は思う。いや、ありえない。不語桃音は【格好良いもの】に弱い。灰原鏡夜には【自縄自縛癖】がある。それを鏡夜がわかるということは、性格の弱みすらもわかるはずなのだ。それが――ない? 鏡夜はてっきり【浪漫】と出てくると思ったのだ。何度も繰り返し言っていたし、浪漫あふれるものに感銘している場面も多々あった。なのに、【なし】。いや、そもそも、弱点のない生き物などいるのか?
いや、いやいやいや―――そうか――――。
「そうですか。――――貴女は己にも、世界にも不満がないんですね」
鏡夜は気づいた瞬間、口に出していた。
「ええ、貴女は、何一つ嘘をついていない。貴女が望むのは、何にも侵されることなく、貴女が貴女でいることだ。貴女の人生、貴女の夢、貴女の生活――それが、ただ続けばいいと貴女はそう願っている。それはとても……素晴らしいことです。ええ、それ以上に大切なことなどない。それはとても素晴らしくて美しくて麗しくて輝いて――羨ましい」
人生も生活もすっかりなくなって変わってしまった鏡夜からすれば、それは何より尊い至宝だった。
「―――――…………………ふふ……ふふふ。おーほっほっほっほっ!!!」
華澄は高笑いした。
「ええ、当然ですわ!! なぜならわたくしは、白百合華澄ですもの!」
「では華澄さん……私は誓いましょう。私は決して貴女を侵さない。己であることの尊さを、人間的な生活のすばらしさを体現する貴女を。私は決して、侵害しない。〈決着〉で叶える願いは、果てしなく貴女に無害にしましょう。さて―――この条件でどうです? 契約、しませんか?」
(うっし、完璧……!)
鏡夜は心の中でガッツポーズをとる。なにせ元から〈決着〉は服を脱ぐために使うつもりだったのだ。侵害もクソもありはしない。こちらが払う対価はゼロで、メリットだけをゲットする。桃音の時も使った手だ。それに、契約を受けさせて頂く側ではなく、契約する側として自らの意思と条件で対等に提案した。……舐められない動きとしては、パーフェクトに近い。
鏡夜はほくそ笑む。……その虚勢がもたらすものも知らないままに。
「提案したのはわたくしなのですが―――」
華澄は頬を赤く染めて照れたような顔をしていた。
「ええ、願ってもいませんわ。それでいきましょう」
華澄は握手を求めるように片手を出した。
「あっ……」
「……ふふっ」
「握手は、そのぉ……桃音さん! お願いしてもいいですか!!」
鏡夜は桃音の顔を見た。桃音は薄く微笑んだいたが、なぜか口の端から血を流していた。
「ってどうしたんです? それ」
それに答えたのはバレッタ・パストリシアだった。
「くすくす……先ほど軽度の毒物反応が出ていましたから……そのせいかと……」
「あー、そういえば私、毒状態にしてましたねぇ……」
何度も触ってわかったが、この手袋が起こす状態異常は完全ランダムである。容易く使えない。……というか女の子に何をしているんだ自分は、と鏡夜はへこんだ。腕を折られたせいで完全にキレていた……今度から気を付けよう。
「ふむ、ダメージ、受けていらっしゃるようですの。ポーション使います?」
華澄はどこからか青い液体の入ったビーカーを取り出した。
(世界観ぐちゃぐちゃかよ……)
SF、SFしてたのにいきなりポーションなる代物が出て来て鏡夜は目を白黒させる。
そんな鏡夜を後目に――というか戸惑っていることは意地を張って隠しているため気づきようがないのだが―――桃音はポーションを受け取ると一気に飲み干した。パリンッとビーカーが割れて消える。
桃音が口元から垂れる血を拭うと、それはもう、いつもの茫洋とした不語桃音だった。治ったらしい。
「華澄さん、華澄さん」
「なんですの? 灰原さん」
「私にもポーションくださいよー、桃音さんばかりズルいと思いません?」
「……なんでそこで駄々っ子ですの……」
華澄は呆れたようにふふっ、と笑うと懐から先ほどと同じポーションを取り出し、鏡夜へ手渡した。
(うーん、ただの水が入ったビーカーにしか見えねぇ)
「華澄さん……協力するということはー? バレッタさんに質問しても?」
「ああ、もちろんいいですわよ。わたくしへの了解は必要ありませんわ。バレッタ、秘匿事項レベルBまではオープンでいいですの」
「くすくす、了解です。我が主」
「では、ポーションについてお願いします、バレッタさん」
「くすくす……。ポーションとは祝福によって製造される生体回復薬です。極小の微生物が身体のダメージを治療します。祝福のレベルによって効果は上下いたしますが一般的なものは治療の加護を得た術師が量産しております。いま灰原様が持っているポーションも、その方法で製造されました」
「なるほど……」
(またニューワードが出てきたぞ? 祝福、微生物、加護。術師……はちょっと聞いたことがあるか)
「ありがとうございます、バレッタさん」
「くすくす……いいのですよ。案内するのが私の製造理由ですしね……」
「なるほど~(……これ、アイテムだよなぁ……?)」
鏡夜は自分の弱点を確認する。
「……」←弱点:【脱衣不能】【装備不可】【アイテム使用不可】【自縄自縛癖】
鏡夜は空いた手に鏡で使ったナイフを握ってみた。
普通に持てる。装備不可……? なら、【アイテム使用不可】もいけるのでは?
鏡夜はポーションをぐいっと飲んでみた。ビーカーがパリンと消える。ぞわりと、身体から何か漏れ出た。真っ黒な塵だ。ぞわぞわと。ぞわぞわと散って、消える。
「……」
「……」
「……バレッタ」
「くすくす……検索、ヒット。今のは呪詛反応ですわ。治癒不可、あるいは道具使用不可の呪いの持ち主がポーションを使うと微生物が全て粉砕され体外に排出されます。……灰原様は呪い持ちなのですね」
(……やっぱりそうなのか。そうか、呪われているのか。まぁ、これが呪いじゃなかったらなんだって話ではある)
今まで散々、服が脱げないことを呪いと表現してきた鏡夜だ。驚きはない。桃音の呪いを知ってから、薄々感づいていた面もある。
「あー……そうですね。【脱衣不可】【装備不可】【アイテム使用不可】です」
鏡夜は、呪いの効果と思われる弱点を彼女たちへ正直に伝えた。彼女たちが敵である、もしくは敵になる可能性があるのならば弱点を教えるのは暴挙に他ならないが……。組むと決めたのだ。弱点を理解してもらわないと協力するときに不都合が起こるかもしれない。これくらいのリスクは必要経費と割り切るべきだ。
「なるほど……いえ、わかりやすく教えてくださり助かりましたわ灰原さん。能力の理由もわかりましたの……その服、呪われておりますのね」
(そうか。この服は、呪いの装備なのか)
「ええ。手袋一つに至るまで、ね。まぁ、装備不能と言いましても――」
鏡夜は片手に持ったままだった鏡のナイフを振るった。
「これは持てますし、使えますので。特に問題ありませんね」
鏡夜の推測だが。この鏡で作った武器防具は装備・アイテム扱いではないのだろう。もし鏡が装備・アイテム扱いだったら、鏡を作る能力は使用不可のはずだ。
華澄が、鏡のナイフを消している鏡夜にうーん、と唸る。
「それは素晴らしいのですが、回復できないのが致命的ですわねぇ」
「それは―――……そうですね」
勝手に治ることは言わないでおいた。正直、これはまだ検証できていない。鏡を出す能力のように確かめてからではないと安心して信頼できないし、何より痛いのは嫌だ。
(それはとても重要だぜ)
弱点は教えたのだからセーフ、と鏡夜は心の中で言い訳をする。自動回復については、おそらくよっぽどのきっかけがない限り、鏡夜から話すことはないだろう。鏡夜の悪癖である、自分で勝手にルールを作って自分を縛る【自縄自縛癖】が炸裂していた。
華澄は思案した後、ひらめいた顔をすると楽しげに提案した。
「ではこうしましょう! 不語さんが前衛! 灰原さんが中衛、そして私とバレッタが後衛! この布陣で挑むんですの」
「あー……」と鏡夜は声にならない声を出すと桃音に顔を向けた。布陣とか、鏡夜はよくわからない。
桃音は鏡夜の視線に気づく。それが理由かはわからないが、桃音は不思議そうな顔で華澄に近づいた。じ~~~~~……っ、と華澄を見つめる。華澄は桃音の瞳から目を逸らさない。桃音は片手を上げると、小指薬指中指を織り込んで、人差し指と親指を九十度開きながら伸ばして、桃音の額に向けて構えた。
……ジェスチャーのように見えるが、桃音は身体言語もできないはずだ。これは一体……? と鏡夜が首を傾げていると、華澄は桃音を見て嬉しそうに笑った。
「……ああ、わかりますの? その通りですわ、わたくしの武器は」
華澄は一歩下がって両腕を振るった。
まるで手品のように両手に拳銃が出現する。
「銃火器ですわ。ええ――ナチュラルな人間に扱える全ての銃火器が、わたくしの武器です。そして、バレッタ」
「くすくす……。我が主に扱えず、かつ重火器制御パッチをあてた〈Pastricia〉が扱える全ての銃火器が、私の武装アタッチメントとなっております……」
「全て?」
鏡夜がオウム返しに言う。
「ええ」
華澄が優雅にくるりと回転すると、手に持っていた拳銃が小銃に変わり、腕を華麗に振り上げると小銃がショットガンに変わった。
「全て、ですわ。銃火器は浪漫なのですから」
桃音は華澄のショットガンに手を伸ばした。華澄はそれをあっけなく離す。次の瞬間。
二人はほぼ同時に互いの頭に銃を突きつけた。
桃音はショットガン。華澄は拳銃。
桃音は、華澄の頭からショットガンを離すと、まるで見当違いのところに撃った。レバー・アクションを繰り返して三発。合わせるように華澄もまったく同じような場所に拳銃を三発撃つ。
「……」
「……」
桃音は肩をすくめるとショットガンを華澄に返して微笑み、鏡夜の隣に戻る。
「あー……つまり、良いということで?」
鏡夜の問いに、桃音は何も言わなかった。
「これはどっちなんですの?」
「いやぁ、いいってことですよ。だめなら殴ってくるんで」
「蛮族ですわね!!」
「桃音さんとはそういう女性です」
いろいろありつつも協力体制ができたらしい。華澄とバレッタが後衛な理由はわかったし、桃音が前衛なのは当然の配置だが……。
(中衛ってなにすりゃいいんだろうなぁ……)
鏡夜が広場に建てられた時計台を見ると十分前。どうやら行かなければいかないようだ。
決着の塔の前提、あるいは前哨戦……クエスト『カーテンコール』を倒しに。
決着の塔攻略支援ドームのエントランスに戻ると、最初に来た時と同じように人や人外の冒険者がごった返していた。やはりというか、ガヤガヤと資料を読みながら、顔を突き合わせて相談している者が多い。そんな群衆の間を通り抜けて、受付に行くと、染矢オペレーターが作業をしていた。鏡夜たちが戻ったのに気づくと彼女は顔を上げた。鏡夜は染矢オペレーターに声をかけようとするが―――。
「おい、てめぇら」と声をかけられた。
「……?」
鏡夜が振り向くと――剣を持った犬耳の男がいた。
「俺を連れていけ。腕には自信がある」
「……はぁ、なるほど……」
鏡夜はじーっと見る。弱点は――【脆い】【避けられない】
「あー……………大変申し訳ないのですが、今回はご縁がなかったということで」
「“あ? いいから連れてけよ、なにをごちゃごちゃ言ってやがる」
「それはですねぇ……」
弱点の組み合わせがひどい。脆い上に遅い――。非戦闘員の精神しか持ちあわせていない鏡夜が言うことでもないが。彼は戦うべき人間ではないと、わかる。少なくとも今は。
しかし、それをはっきり言うとこういう手合いは怒る。舐められないように意地の張り合いをして小競り合いになった場合、無闇に強靭になった自分は相手を殺してしまうかもしれない。
それは、なかなかに悍ましい。
「これ、たとえ話なんですけど。いま思いっきり私に襲われたとして貴方どうします?」
「返り討ちに決まってんだろ」
「どうやって?」
「避けて、カウンターだ。もし万一喰らったとしても効かねぇよ、俺は頑丈なんだ」
(お、おおおう………)
もしかしたら〈避ける〉〈耐える〉以外の――防ぐとか桃音がやったように技量でさばくとか騙すとか――あるいは異能とか。
そのような別の術理や特性による強さがあるのか確かめたが、ないようだ。
「ではだめですね、答えは変わりません。貴方のご協力は遠慮させていただきます」
そもそも一度言ったことをそう簡単に覆すのは舐められてしまう。それが正しいのならばなおさらだ。
「口じゃラチがあかねぇな」
「そう思ってるのは貴方だけかと」
空気が悪くなる。……と、桃音が鏡夜の前に立った。
「………」
「ああ、なんだお前?」
「……剣が欲しいんですか?」
鏡夜はふとそう口に出した。桃音は犬耳男の背負っている大剣を凝視している。
「……」
彼女は大剣から目を離さないまま、なんの意思も感じさせずに微笑んでいる。
「ほぉ、わかってるじゃねぇか女。あとで俺のとこに来てもいいぜ」
「あ、いや、剣が欲しいというのは戦力としての剣が欲しいということではなく――」
鏡夜は剣――というか刀の形に整形した鏡の武器を作った。持ち手は丸くして筒状にしておく。……うっかり限界まで大きく作ってしまったが、大丈夫だろうか。
桃音はポケットから取り出した長いリボンを頭に巻いて、鉢巻きにした。鏡夜が刀――鏡の大刀を投げ渡すと桃音はそれを肩に背負った。
「こういうことかと」
「おい!! 逃げろ兄ちゃん!!」
群衆の中から声がした。多くの冒険者連中が飛びのくように逃げる。
「やっべぇ!! こんなとこでやられたらどこがぶっ潰れるかわかったもんじゃねぇぞ!!」
「ひえっ……」
「え? ちょっ……」
なにもわからない顔で腕を引っ張られる魔導士風の少女やら何やらもいて、一瞬にしてぽっかりと空白地帯ができていた。
鏡夜も恐る恐ると言った様子で後ろに下がる。華澄とバレッタは、いつのまにか避難を済ませており、受付の近くで観戦のためにくつろいでいた。鏡夜も彼女たちに合流する。
「え、いや、ちょ!! なに!? なんですか!? 受注するんじゃないですか?! どういうことです!?」
受付に座っていた染矢オペレーターは立ち上がって右往左往している。
「ああ、染矢さんは軍からの出向でしたわねぇ。……まぁ、わたくしも数えるほどしか経験ありませんが。冒険者というものは、こういうノリですわ」
「あのっ、一応! 国家の一大事っていうか世界スケールの問題なんですけど!?」
「それこそ今更ですわ、冒険者を呼びまくったのは契国でしょうに」
「決めたのは私じゃなくて陛下ですけどね!!」
「……心配する必要はありませんわ、どうせ一瞬でしょうし」
「それは、ええ。私も同感ですね……」
鏡夜はテンション低く華澄に同意する。……強さに胡坐をかいた展開は好きではない。
これは結局、呪われてるだけの弱い人間だからこその感想だろうか。
桃音は肩に異常に長い大刀を持って待ち構えるように君臨している。犬耳男は背中から剣を抜いて構えた。
「くだらねぇ! そんな長さじゃまともに使えないだろうよ! 見掛け倒しだ」
「……」
桃音が巻いたリボンの鉢巻き。その長い長い余った部分がたなびく。
「……だんまりかよ! 舐めやがって!!」
しかし互いに動かない。というか、なるほど、彼は不語桃音が〈契国のアンタッチャブル〉だの〈全力全開桃姐様〉だのと呼ばれている人物であると知らないらしい。外国人外なのだろう。それはそれとして。
「ふむ? にらみ合いってやつですかねぇ。なんで動かないんでしょう」
答えたのは隣にいる華澄だった。
「避けてカウンターとおっしゃってましたし、あの犬人さんのスタイルなのか……それとも単純に怯えているかですわ」
(いや、弱点に避けられないってがっつり書いてあったんだが……となると後者でしかなくなる。……はん、気持ちはわかるな。正直、俺もちょっと怖い。背負い投げされたし、骨折られたし)
「しかし、こういうケースの不語さんはいったいどうなさるのか、興味が尽きませんわ」
桃音は微動だにしない。感情を伺わせない、なんの意図も感じられない両目が真っ直ぐに犬耳男を見据え続ける。ぐっ、と犬耳男は大剣を強く握り、斬りかかるために駆けた。
桃音はようやっと向かってきた犬耳男に鏡の大刀を振り下ろす。犬耳男はそれを走りながら右に身体を逸らして避けた。
「素人が!!」
犬耳男が剣を――何かする前に。桃音がブンッと大刀を振りあげた。犬耳男は天井まで跳ね上げられる。
どかぁぁぁん!! と大きな音を立ててパラパラと瓦礫にも満たない塵が落ちる。
犬耳男は落ちてこなかった。天井に埋まって気絶している。
桃音はホームランを飛ばした野球選手のように鷹揚に鏡夜へ近づくと、鏡の大刀を返した。
「はぁ。ありがとうございます?」
鏡夜は手の中で大刀を消しつつ思う――。なにしてんだこいつ、と。
避けられるような速度で振るい、犬耳男が避け、突っこんで来た時に、桃音は大刀を構えなおすのではなく、降りおろし続けた。斜め上から下へ、降り下げられた刀は地面に刺さり。
地面を斬り進み、そこからひねって、地面ごと犬耳男を振り上げたのだ。鏡夜は小さな鏡を出して手の中で眺めた。横から見ると、見えない。見えないほど細い。
脆い裏側の部分を隠すように、二つに畳んだ状態で小さな鏡を作ってみても、横から見れば影も形もない。それほどまでに〈薄い〉。
極限なまで〈薄い〉にもかかわらず、折れない刃。それは柔軟性がないということで、駄目な使い方をするとあっけなく突っ掛かるものだが、もしうまく使うことができるのならば、すさまじい切れ味の武器となる。この鏡の特性は、彼女がやらねば気づかなかった。
「桃音さんには助けられてばかりですねぇ。……この修繕費用も払ってもらうんですから」
「……」
桃音は静かに華澄を見たが、華澄は目を逸らした。バレッタを見た。
「くすくす……見積もりにはご協力できるかと……」
「……」
桃音は陰気かつ茫洋と受付に立った。鏡夜も受付へ振り返る。
「はい、あとで請求書おくりますね……いやぁ、冒険者って野蛮ですねぇ」
「今更ですよ、というかはっきり言いますねぇ」
舐められたら終わり、など野蛮でしかないというのは鏡夜も同感だった。
鏡夜は受注票を受付の染矢オペレーターに渡した。
「えー、では、クエスト『カーテンコール』討伐ということで何名様のご参加ですか?」
「灰原鏡夜と不語桃音と白百合華澄とバレッタ・バストリシアで。四名ですね」
染矢オペレーターはカタカタと端末で何かを入力して、エンターキーを押した。
「はい、灰原鏡夜、不語桃音、白百合華澄―――の三名になります!」
「うん?」
「灰原さん、実はですね、機械人形は人員扱いされないのです!」
「あれ? そうなんですか?」
「ええ、OAI人形だろうと例外ではありません! もちろん、挑戦してはいけない、というわけではないですよ!! 単純に備品扱いです!」
「へー」
それは、いいのだろうか? たしかに人間でも生きた人外でもないのだから扱いとしては間違っていないと言えるが……。
「くすくす……わたくしどもは人形ですから……むしろ生き物扱いされる方が異常かと……。それに、灰原様、備品扱いだからこそできることもあるのですよ……」
「なるほど? ま、バレッタさんが良いのだったらいいのですが」
「はい! 納得して頂けたのでしたら、さっそくご案内させていただきます!」
染矢オペレーターは、白い仮面をつけた鷹の翼が生えている不審者にしか見えない黒スーツの同僚に何か指示すると、先導するように歩き始めた。
染矢オペレーターについていって、ステージホール一階にたどり着く。客席間の通路を通り、ステージに上がる。
「では、そのままでお待ちください、幕を開きます。がんばってください!」
染矢オペレーターはそう言うと出口から去って行った。そしてブーという開演ブザーの音が鳴ると赤い幕が上がり、白い幕も上がる。
歪んだ鉄板が未だ残る塔の入り口。
if you want to change the world, exceed me! Q-z
≪世界を変えたきゃ、私を超えろ! ――Q-z≫
の黄色文字が未だに門の上に残っている。
「くすくす……あの地点から危険なので、あの文字を消すことはできていないとのことです……」
バレッタの解説を聞きつつ、鏡夜は、緊張していた。
死なない――のはわかる。それは安心材料だ。しかし、死にそうなほどの目に合うこともある。――覚悟を決めなければ。敵は機械なれど、負けるなんて舐められてはいけない。―――冒険者というのは野蛮なものだ。
結局のところは意地と、虚勢だ。鏡夜が頼れるものは、それしかない。
「では、行きましょうか!」
鏡夜が宣言するように言って、三人と一体はついに決着の塔の中へ侵入した。
広い空間、赤いカーペットに石畳。一番奥にいる巨大機動兵器。
うじゅるうじゅると蠢く車輪まみれの下半身。丸っこい頭には大きな目と小さな目がついており、両目のレンズは鏡夜たちを映す。
太い胴体から腕がガシャンと広がり、丸く並べられた銃口が回る。地面には薬莢が巻き散っていて、その上を流れるように『カーテンコール』が移動する。
―――【ZERO STAGE】 Quest『curtaincall』
戦 闘 開 始
鏡夜がまず選択したのは、クエスト『カーテンコール』の弱点を探ることだった。紅い両目を全開で見開き、巨大機動兵器の弱点を〈観る〉。
鏡夜は、『カーテンコール』の弱点を大声で言った。
「あの装甲は【20ミリ以上の弾】が効くと思います! あとは【関節】と【両目】―――を狙ってください!!」
もう一つ【非戦闘員攻撃不可】という弱点が見えたが、ここにいる三人と一体は非戦闘員と認識されないだろう、と鏡夜は省略した。
華澄は瞬時に頷いた。バレッタもコンマ数秒考えて頷く。桃音は意思表示ができないので無反応。ここで、なぜ? もなんで? も挟まないのが戦闘者か、と鏡夜が感心する間もなく、状況は急激に変化する。
『カーテンコール』が銃口を鏡夜たちへ向ける。鏡夜は、全力で鏡を出して防御した。
六枚の鏡を縦二横三で並べる。―――向こう側から着弾音が聞こえる。縦四メートル横六メートルの絶対前方防御……どう考えても過剰だった。鏡夜の横では桃音が身体を大きく屈めている……。そして、跳んだ。
縦四メートルの鏡の壁を飛び越えて、向こう側へ――。
(なっ、正気か―――!?)
「華澄さん!! 盾は残しておきます!!」
「ラジャー。援護は任せてくださいまし――」
鏡夜は縦一横二枚に鏡の壁を縮小すると、桃音の後を追って地を這うように飛び出した。
鏡夜が地面を低く跳びながら確認すると『カーテンコール』は鏡の壁から、空の桃音へ片手の射線を移動しようとしている。
桃音は、身動きが取れないまま重力に従って落ちている。
(あそこに鏡を生成――できねぇ!! 遠すぎる!!)
射線が移動する――あと一秒で桃音がその線に重なる。
(仕方ねぇ!! いちかばちかー!!)
「桃音さん!!」
鏡夜は持ち手がある鏡の盾を作ると、桃音の方へぶん投げた。
その直後、彼の鋭い知覚は判断する。
(間に合わねぇ―――!!)
……しかし、桃音が穴だらけになることはなかった。撃つ前に、『カーテンコール』が回避行動を取った。直後、『カーテンコール』がいた場所が大爆発を起こす。
鏡夜は咄嗟に、手の中に出した鏡を通して後方を確認する。
バレッタ・パストリシアがとんでもない口径の機関砲を抱えてぶっ放していた。太く、そして長い長いロングバレルを振り回すバレッタに、隣では耳栓をして口をぽかんとあけている華澄が口頭で指示をしている。それに頷きながらバレッタは機関砲に弾を装填していた。
バレッタは鏡夜が手に持っている手鏡を通して、彼と目が合っていることを感知するとウィンクをした。その後、鏡の壁に引っ込む。助けられたらしい。いや、援護すると言っていたか。それと、まだ撃つつもりのようだ。
タイミングを測る必要があるだろう。回避行動をとった『カーテンコール』は車輪で移動しながら両腕を構えた。
片方を地面にいる鏡夜に、もう片方を落ちている桃音に弾幕を張る。
鏡夜は『カーテンコール』の鉄の雨を、鏡を出すことで防ぎつつ、速度を落とすことなく突貫する。空をちらりと見てみれば桃音は鏡夜が先ほど投げた鏡の盾を受け取って弾を防いでいた。
(物理法則どこ行った!? あんだけぶつけられたら吹っ飛ばされるだろ!?)
鏡に弾がぶつかるぶつかるぶつかる。にもかかわらずまるで衝撃のないように、桃音は軽やかに落ちていく。
(そういや俺も抵抗全然感じねぇ!! この鏡すげぇな!)
鏡夜は脳内で叫ぶ。桃音は鏡夜の後ろで着地した。そして即座に駆け出す。
鏡夜が『カーテンコール』に追いつきそうになると、『カーテンコール』は速度を上げた。機動力特化は伊達ではなく、迅い。
「逃げてんじゃないですよ!!」
『カーテンコール』は超高速で華澄とバレッタを守る鏡の壁に近づくと、それを跳び越えて裏側に両腕を向けた。横から回り込めば、あの機関砲で出会い頭に撃ち抜かれる可能性がある。ならば、上からいけばいい。上空では身動きを取れないから跳ばないはずだ、あの陰気な女を見ただろう―――という思い込みを逆手に取る。
鏡の盾という奇妙な現象を逆手に取り、と熟練者特有の思い込みを即座に突く――。これこそが、クエスト『カーテーンコール』。
〈Q-z〉が差し向けた、終幕の挨拶を意味する巨大ロボットだった。
しかし……『カーテンコール』が跳んで銃口を向けた鏡の裏側に、華澄たちはいなかった。
『カーテンコール』の両目カメラは捉える
鏡の直角側、横に華澄が佇むのを。反対側の横にはバレッタがいるのを。バレッタは機関砲を構え、華澄は拳銃の照準を合わせていた。
「一発必中」
「JACKPOT!……ですわっ!」
機関砲の弾が『カーテンコール』の掲げた片腕に当たって大爆発を起こし、拳銃はダブルタップで『カーテンコール』の巨大なカメラを撃ち抜く。残る目は小さなカメラだけだ。
それでも『カーテンコール』は着地して、無事な方の腕で弾幕を横一文字に薙ぎ払った。裏側から撃たれたことによって鏡が砕け散るが、射程内にいた華澄とバレッタは影も形もなかった。逃げた? どこに?
いや、『カーテンコール』の視界には『カーテンコール自身』が三体に写っている。これは――。
「ひとつ質問なのですが――――」
そして、中央の『鏡のカーテンコール』が巨大になり、砕け散り、そこから灰原鏡夜が飛び出した。
彼の蹴りが『カーテンコール』の顔面、小さい目に突き刺さり、カメラが砕け、頭部に内蔵された制御盤ごと貫く。
「――灰色の鏡に何が映りましたか?」
そのままぐらりと―――倒れない。
『カーテンコール』はキュイーンと苦悶のごとく機械音を立てて、空いた手を持ち上げようとして。その肩関節部分を桃音の踵落としで引きちぎられた。
鏡夜は足を引き抜くと、くるりと一回転して地面に着地した。
「さて、お疲れさまでした、『オープニングコール』さん」
鏡夜が呟くと同時、『カーテンコール』は後ろから地面に倒れた。小さな部品と車輪をまき散らしながら轟音を響かせ、鉄片が舞う。―――そして、無音。
そこにはもう、沈黙ばかりが満ちていた。
鏡夜はすたすたと近づき、『カーテンコール』の足部分――車輪の山――を自分の足で小突いてみたが、身動き一つなし。
「くすくす……エネルギー反応なし、完全沈黙……破壊完了です」
「ふー………」
(行き当たりばったり過ぎたな……)
「なかなかの連携でしたわ!」
「くすくす……バランスとフォローに高評価と言えるでしょう。ただできることなら前衛1・中衛1・後衛2なので、前衛か中衛に後一人いれば良い連合になるかと」
「少しくらいは勝利に酔いましょうよ……」
(つーかそういう戦略的思考とかよくわからん。いや、理解する必要はあるんだろうけど……後でいいや、疲れた……)
鏡夜は桃音と目を合わせた。桃音は息すら乱していない。……【疲れない】以上、乱すわけもないのだが。鏡夜自身も呼吸の苦しさを感じていない。
桃音は片腕を上げるとゆっくり動かした。ゆっくり、ゆっくり……。
「あー、なるほど?」
鏡夜は右腕を上げて桃音と――ハイタッチした。
「あっ」
「……」←弱点:【格好良いもの】【状態異常:麻痺】
桃音はハイタッチをするための片腕を上げた状態のまま、硬直して後ろに倒れた。
「………」
「………」
「あらあら」
「くすくす……」
(アホだなぁ、………)
鏡夜がアチャー、とため息を吐く。桃音は数秒後、ぴくんと動いて、茫洋とした様子で普通に立ち上がった。視線を横にしながら、納得したように頷いた。
……ハイタッチがうまくできた体で進めたいらしい。いや、なにも伝わっていないので本当にそうなのかはわからないのだが。
「……ええ、ありがとうございます。大成功、ですね。ですが、まだチケットを手に入れただけなんですよねぇ」
鏡夜は呟くと、『カーテンコール』が守っていた扉を見た。
入り口の反対側、紅いカーペットの先にある奥の扉。当然だが、〈先〉がある。ここはまだエントランスでしかなく、玄関すらまだまともにくぐれていないのだ。
(そう、結局は参加権を手に入れたにすぎねぇ。大進歩ではあるが、完成でも完遂でもない……塔の高さを思えばわかる。まだかかるだろう。もしかしたら、今のロボットよりもひどい難物が相手になるかもしれない。が、まぁ、なんだ――呪いはひどいが、人には恵まれているし、出来事の運がいい。きっとなんとかなんだろ……たぶん)
鏡夜は自嘲だか嘲りだか自信だか、自分でもよくわからない笑みを浮かべると踵を返した。
(しっかし……まずは……報告だな)
取り越し苦労させてしまった大量の冒険者たちへのお悔やみと桃音や華澄への謝礼をどうするか考えながら、鏡夜は少女たちを引き連れて、塔の出口からホールへと戻っていった。
――――【ZERO STAGE】 Quest『curtaincall』――――
Clear!