固ゆで卵と変な奴ら ミクロコスモス・スクランブル! 【愛】

 賢一とフェリティシアは庭園の奥も奥へ逃げて、その場に腰を下ろした。庭園と言ってもパーティ会場に使われていた部分ではなく、離れた場所だった。

 ショコラガーデンの名の通り、このホテルの自慢は庭である……庭園は建物を囲うように大きく広がっていた。


「はぁ、はぁ。展開がジェットコースター過ぎる……」


 フェリティシアは冷や汗を流しつつ地面へ腕をつく。魑魅魍魎が蠢くホテルだ。予測不能は当然だが、それにしたって勢いが過ぎるとフェリティシアは肩を落とした。

 賢一は……唖然とした表情でフェリティシアを見ていた。


「フェ、フェリティシア……?」

「なに? 賢一?」

「お前それ……身体……」

「身体?」


 フェリティシアは不思議そうに自分の肉体を見下ろした。

 腹に複数の大穴が開き、肩がえぐれていた。


「あら?」


 フェリティシアは自分の顔を触ってみる。右目から顎にかけても盛大に吹き飛んでいた。


「あー………私だけ集中攻撃喰らってた……みた……い……」


 フェリティシアはバタリと棒のように倒れた。賢一は焦ってフェリティシアの傍による。


「なんで生きているんだお前?」

「掛ける言、葉ひどくない……?」

「いやジョークじゃなくてだ。血も出てねぇし、喋れてるし」

「……私の身体はね、人形で出来ているのさ」

「にんぎょぉ?」


 賢一はフェリティシアの手を取って匂いを嗅いだ。


「嘘吐けよ、人間の匂いしかしねぇぞ」

「少しは、ためらいなよ……そうじゃなくて……私は人形の人間のハーフなんだよ」

「………???」


 賢一がわけがわからないと顔面いっぱいに表現した。


「私はハートさえあれば……補修できる……ルノアールなのさ」



 フェリティシア・ルノアールの出身であるルノアール一族は、人形制作者の里であると共に人形の里だった。なぜならばルノアールの始祖は、人形だったからだ。

 何かの比喩というわけではない。正真正銘の人形だ。創造者に作られた始祖は人と交わることのできる人形だった。創造者と人形の間に子が生まれ、その子がまた人間と交わり、人形と人間のハーフ同士が婚姻したり……そんなことを繰り返し、イタリアの秘境にある人形の里は形となった。


「子供が作れて、自分の意思で生きてて、社会を構成する? それ人間だろ。絶対人形じゃねぇ。ハーフもクソもない」

「私もそう思うよ。くくっ……」

「んで、どーすりゃいいんだ? 病院に連れていく?」

「いらないよ。さっきも言ったけど補修すればいいのさ」


 フェリティシアは懐から白い木彫りの人形を取り出した。その人形がポンと弾けるとフェリティシアとまったく同じ姿の女性が出現した。


「うわ……」


 賢一は絶句する。これは人形だ。人形の匂いがする。


「ちょっと待っててね……すぐ終わるから」


 フェリティシアが糸を操るとセリーヌが人形遣いの懐から飛び出して、穴だらけのフェリティシアの胸を切り裂いた。

 賢一は目を見開いてその姿を見る。セリーヌはフェリティシアの心臓の部分からソレを取り出した。

 青い色をした木製のハートだった。デフォルメされた三次元のハートマークはセリーヌに運ばれて、人形のフェリティシアの胸の中に収められる。

 セリーヌはあっという間に人形のフェリティシアの胸を縫合した。賢一の感覚はその変化を捉える。人形のフェリティシアの手足肉体に生命力が廻る。

 ぱちりと無傷のフェリティシアは青い目を見開いた。


「よし、復活!」


 フェリティシアは起き上がるとぐるぐると肩を回した。賢一はしげしげとフェリティシアを眺めた。


「驚いた。本当に人形が人間になったな。便利な身体だ」

「そうでもないよ。私は始祖様からかなーり血が遠いからね。普通に歳を取るし、死ぬ時は死ぬし……血がないから表社会だと結構生きづらかったりする」

「ふーん……? しかし容赦ねぇな。マジで殺しにきたってことだろあいつ。兄だ妹だ………そうか、奴は兄か」


 賢一は呟く。フェリティシアは賢一へ視線を向けた。


「兄?」

「妹を……支配? いや。違うな……強化してるんだと、思う」


 妹を支配する兄には見えなかった。それにしては言葉に妹への情愛がこもり過ぎていた。


「妹?? 強化?? いや妹だの兄だのは言ってたけど……え、変能?」

「変能以外の何物でもねぇだろ、あの野郎」


 ルカジャン・ゲイリーはどう見ても変質者だった。扉越しの会話は理性的に進められたが、ドアを開けて一皮むけば、である。

 能力のスケールもデカすぎる。この世界では、神様だってあんな真似はできない。ならば当然の帰結として、ルカジャンもまた変能だった。


「いやいや、おかしいでしょ、妹の強化? それならあんなふうに物が浮いて突撃してくる理由がわからないわ」


 フェリティシアは常識的に疑問を呈した。賢一の分析と起こってる現象が対応していない。だが、賢一は絞り出すような声で疑問に答えた。


「………ショコラだ」

「え?」

「奴は呼びかけてただろ。と……俺は良く知らんが……このホテルは、施工からそんなに経ってないはずだ」


 ホテル中を回っていれば嫌でもわかる。新築というほどでもないが、ショコラガーデンは真新しいホテルだ。壁にも床にも綻びは少なく、色は鮮やかで……恐らく築十年も経っていない。


「……いやいやいや、ちょっと待って」


 フェリティシアは恐ろしい予測に身を震わせる。


「あいつは歳喰ってるようには見えないが、それでもショコラガーデンの方が年下だろうよ」

「だから待ってって!!」


 先ほど起こった騒乱の原因を賢一は断言した。


「『妹』は……だ!!」

「うわぁ! 聞きたくない! 聞きたくなかった!!」


 フェリティシアは叫んだ。年下で“ショコラ”ガーデンという可愛らしい名前をしているのだから妹だ。そんなことを本気で考える ばかがいて。ショコラガーデンが妹になって自分たちの敵になってる。

 頭がおかしくなりそうなロジックだった。故にそれは変能だった。


「それなら、この場所そのものが! 敵じゃない! そんなの、そんなの、ルカジャンにとって有利すぎるでしょ! ふざけてる!」


 だが頭がおかしい論理だろうと成立しているものは成立している。虚妄ではなく現実の理由であるならば、理由にもまた理由があるものだ。


「有利過ぎる……ショコラガーデンで逢いましょう……」


 賢一はうわごとのように言った。十中八九正しいだろう、という予測がついてしまった。不明だった事柄の一つ。この乱痴気騒ぎを始めたのは。パーツを送り付け、ショコラガーデンへ呼び寄せたのは誰か。

 もしも戦場を決められるのならば、よっぽどの愚か者でもない限り、自身に有利な場所を選ぶだろう。最初から戦場を知っていれば、最高に優位な場所に陣取るだろう。

 だから彼はショコラガーデンを主戦場に選んだ。

 だから彼はホテルを一挙に監視できて、パーツの共鳴も地下へ降りなければ起きないセキュリティルームを根城に選んだ。

 状況が指し示す。このふざけた夜の主犯。黒幕――主催者。


「ルカジャン・ゲイリーが、 人形 ミクロコスモス 争奪戦 スクランブルの開催者だ」


 賢一は確信した。聡明なフェリティシアも遅れてその事実に気づく。続いて、あらゆる意味で優位に立っていたルカジャンの悪辣さに頭を悩ませる。

 フェリティシアは賢一へ対ルカジャン策を提案した。


「これ、乱戦とか言ってる場合じゃないわね……賢一、組みましょ」

「ああ、組めるだけ、組むぞ」


 賢一は頷く。五つの陣営が一つずつ対立して争う――など言ってられない。そもそも四:一にしなければ勝ち目が見えない可能性がある。ルカジャン以外の参加者で同盟を組まなければ、戦いが成立するかも疑問だった。

 戦いは新たな局面を迎えたと、賢一は気合を入れて立ち上がった。続いてフェリティシアも立ち上がる。

 だが、今度は二人から少し離れた場所で、ガサッと植木が揺れて――。


「こんばんは、さっきぶりですね」


 ひょっこりと執事服の男が顔を出した。冬川賢一にフェリティシア・ルノアールが間違えるはずもない。柔和で優しげな美少年風のその容貌は、先ほど遭遇した式神のものだった。


「お前……」

「おっと! 攻撃しないで下さいよ。手ぇあげてますから、無抵抗無抵抗。話し合いに来たんです」


 式神はへらへらした様子で両手をあげて振る。賢一は憮然とした態度で応えた。


「……なんの用だよ」

「賢一……」


 フェリティシアは彼の名前を心配そうに呼ぶ。式神と“会話”は悪手だ。彼の罵倒の効き目が二人とも悪いとは言え、油断して良い変能ではない。

 しかし賢一は余裕だった。


「ああ、大丈夫だ。もう俺は折られねぇ。いや、それでなくともさ」

「……はぁ、ならいいんだけど……」


 他の参加者と組むのが必要だと判明したのだ。同盟の提案はどうあってもしなくてはならない。フェリティシアは経過を見守ることにした。

 対して式神はひどくおどけて、苦笑しながら頭を掻いた。


「いやー、ハハ、実はですね、わたくしのお嬢様が……その、浚われちゃいまして。助けてほしいなーって」

「あー? そりゃ大変だな」


 賢一は他人事のように言った。式神は眉をハの字にする。


「ほんとうにもう、この人形の取り合いから降りますから、はい。協力して欲しいのですよ。ほら、わたくし、人形のパーツ持っているでしょう?」

「……ああ、持ってはいるな。俺が持ってるパーツと共鳴してる。んじゃぁ、さ、近づいてよく見せてくれよ……」

「見せるだけですからね! これは手伝ってくれた後の報酬ですから! もし奪おうとするなら、わたくし、あなたたちをボッコボコにしますよ。ほら、人形の操作をしないで……手を放して……あなたもです。無駄な戦いなんかしたくないでしょう? わたくしの力をよく知っているならなおさら、ね」


 すたりすたりと賢一に近づく執事。その歩みは自信満々だった。


「ああ、そうだな。ごちゃごちゃ言ってないでよく見せてくれよ。その――― を」


 一拍、たった一拍だった。


「はえ?」


 その刹那に賢一は執事の前に踏み込み関節技をかけ、彼を制圧していた。


「アダダダダダダッ、なにをするんだ、ですか!?」

「奴が最初に持っていたのは なんだよ、足じゃない。そもそも奴は二個のパーツを持ってるはずだ。ああ、……覚えてるぞ、その、その味。お前、着ぐるみヤローだろ」


 賢一には最初からわかっていた。彼は人形への愛の力により、 人形 ミクロコスモスの匂いをかぎ取ることができる。パーツはただ共鳴するだけだが、彼はどの部品かも嗅ぎ取れるのだ。ゆえに執事の正体が彦星くんであることはお見通しだった。

 賢一は彦星くんが式神に追い詰められている場面で、においがする! と執事は腕で着ぐるみは足! と酔ったように情報をぶちまけていたのだが……。痛みと絶望に意識を持っていかれていた彦星くんはそのセリフをちゃんと聞いていなかったのだった。


「うゆゆゆゆゆ!!? くぅ、バレてたのなら最初に言ってよ! 無駄な努力しちゃったじゃないか!」


 式神とは似ても似つかない言動で叫ぶ執事(?)。その瞬間、彼の顔が縦に真っ二つに裂けた。しかし、血しぶきなどのグロテクスな様相を見せることはない。ちゅるんと彼は変身した。まさしくそのような擬音にしか感じられなかっただが、ちゅるん、だ。

 小柄な少年だった。真っ黒な襟を立てたトレンチコートに黒いズボン。顔には真っ白な、笑顔を意味する切れ込みの入った仮面がついている。

 その小柄な少年は地面に二本足で立ち、ポケットに両手を突っ込んでいた。


「覚えてろよ! つ、月のない夜に気を付けることだね!」


 そしてたぬろりと――まさしくそのような擬音にしか思えなかったパート2――嘘のようにその仮面の少年は消えてしまった。

 あと月のない夜と言ったところで、今夜の月は満月を二日過ぎたぐらいの真ん丸さだ。微妙に文脈がずれている。

 だが彼が逃げ出すことは叶わなかった。経過を見守っていた。言い換えれば油断なく観察していたフェリティシアは正確に動き出す。現れた執事の正体が式神ではなく彦星のカリカチュアだったのは驚きだが、それで器用さを失うフェリティシアではない。


「逃がすわけないでしょ」


 フェリティシアの呆れたような声と共に劈く爆音。収納人形から上空で展開された鉤爪の人形たちが地上へ降り注ぐ。


「ぽぎゃぁぁぁぁぁぁぁ」


 ガシガシガシガシッと地面へ突き刺さる鉤爪人形たち。フェリティシアは小型動物になって地面を這って逃げようとした彦星くんを捕まえることに成功した。鉤爪で逃げ場を奪い、人形たちの物量で彼を完全に確保する。


「いちいち声とか動きの擬音がおかしくない?」

 
 
 

 フェリティシアは人形を操り、捕まえた彼を持ちあげる。しばらく漆黒のネズミ科は暴れまわっていたが、諦めたのか、だら~んと力を抜いた。

 同時にその姿が変わり、襟を立てた漆黒のトレンチコートの、仮面の少年が空から人形たちに吊り下げられた状態になる。

 元彦星くんは息も絶え絶えな様子だった。


「はひゅー、はゆー……」

「よぉ」

「こひゅー……、や、やぁ……?」


 仮面の少年の身体は一見無傷だった。だが彼の呼吸は荒く、浅い。どうもかなりのダメージを負っているようだった。フェリティシアが操った鉤爪人形の爪が刺さったわけではない。継続的に受けたダメージを我慢して、式神に化けていたらしい。元の姿(?)に戻って疲労や痛みがぶり返したのだろう。

 賢一は脱力してぶら下がっている仮面の少年に向かって名乗った。


「俺の名前は冬川賢一だ。でー……」

「はいはい、私はフェリティシア・ルノアール、ね。あなたの名前は?」

「……ひゅー、ダーク、はふゅー……スター……」


 息も絶え絶えだったが、なんとか名前は聞き取れる。


「ダークスター? クールな名前だな」


 彦星くんに化け続けていた仮面の少年……ダークスターはしばらく沈黙していたが。


「ふひ、ふひひ、ありがと……? 男に言われてもぜんぜん嬉しくないけどね!」


 そんな風に、ダークスターは憎まれ口を叩いた。賢一はダークスターの様子を窺いながら同盟の提案をする。


「なぁダークスター。俺たちは協力し合う必要があるんだ」

「うゆ?」


 ダークスターは思ってもみなかった言葉に顔をあげた。仮面で顔を隠しているため表情はわからないが、興味は持っているようだった。


「あのセキュリティルーム……地下でお前も見ただろう? あの男はかなりやべぇ」

「………執事よりも? キミたちよりも?」


 地下の暗闇で不覚をとった、あの眼鏡をかけた王子様然とした男をダークスターは思い返す。


(でもやっぱりあの執事とかー、目の前で吊り下げられたぼくに対して同情心ひとかけらも感じてないキミらリア充の方が危険ミャーックスな気がするけどなぁ)


 ダークスターが考えることなど知らず賢一は説明を続ける。


「ああ、間違いなくだ。あいつは有機物無機物問わず年下の女性……妹を強化する能力が…………」

「年下? 若い? ん、んんん、となるとあの子が……?」


 ついダークスターは口を挟む。年下の、女の子といえば、あの子である。


「あの子? ああ、貴方が連れてたあのちっちゃい子? ……ちっちゃい子!?」


 フェリティシアはバッと周辺へと視界を巡らせた。そのものずばり合致する妹像だった。彼女も強化されている可能性があると人形遣いは警戒する。


「……ちっちゃい子? あー、そういや、フロントでダークスターの後ろに、なんかいたような……?」


 賢一も同じように見回すが、そこには誰もいなかった。


「どうしたんだ、あの子?」


 その質問にダークスターはイヤイヤと首を振る。


「言、言うわけないだろー! なにされるかわかったもんじゃないよ! 貴様も蝋人形にしてやろうかってことになったら悲劇だよ! 鬱漫画だよ!」


 ダークスターは蛍の居場所を知らなかった。式神に化けて、賢一とフェリティシアをうまいこと言いくるめて佐々木蛍を探させようとしたくらい知らなかった(攫われたお嬢様を探すという執事っぽい言い回しで騙してやらせる予定だった)。しかし知っていたとしても言うはずがない。自分を含めて変能とか、変能に当然のように付き合える奴は異常者である。美しい黒衣の少女人形を操る賢一に、女の子を人形にする趣味がないとも限らない。


「いやしねぇよ! 失礼だな!!」


 賢一は強く否定する。心外だった。彼はこれでも人間の意思を尊重し、尊重するが故に意思が有るよりも無い方を好む筋金入りの人形性愛なのである。


「人間なんかより人形の方が可愛いもんなー? なぁ三日月―?」


 そう言って賢一は傍らに浮かべている黒衣の人形の肩を抱いて快活に笑った。ダークスターは棒読みで応えた。


「うわー、変態さんだひ、怖い」

「怖い言うな。テメェだって 変能 どうるいだろうが――――ああ?」


 賢一はふと後ろを振り返った。そして彼の表情は強張った。


「……フェリティシア、逃げるぞ、その束縛、離してやれ」

「何を、いえ、わかったわ」


 フェリティシアは鮮やかに糸を操るとダークスターを人形の束縛から解放した。ダークスターは仮面をつけた頭をあどけなく傾げる。


「うゆ? ぼく逃げるよ?」

「ああ、この場からちゃんと逃げろよ。言うべきことは言った。後はノリでなんとかしようぜ!」


 賢一はフェリティシアを連れて脇目もふらずに逃げ出した。

 ぽかーんとダークスターはそれを見送ると、肩を竦めた。


「よくわかんないや、あの人たちを利用して蛍ちゃんを探せるかなって欲かいちゃったけど、とりあえずまずはちょっと休んであの子を……うっ。はぁ……はぁ、すっごい痛い、……ていうかあんだけ色々あったのにまだお腹が一番痛い…………」


 ダークスターは身体を掴んで屈む。正直動くのも辛い。しゅるしゅるとまたダークスターが変身し……再び現れたのは執事、式神の姿だった。ダークスターにとっては忌々しい姿だが、仕方ない。


「ぼくが被れる皮で……というか仮装可能な生き物の中で、一番身体能力が高いのこいつだからな……少しはマシだろうね……。ぼくが悪いことしても罪を擦り付けるし!」


 うひひ、とダークスターは悪ぶった。オールドローズに化けてもただの少女にしかならない以上、素の人間のボディで強靭な式神に化けた方が、彼にとっては都合がよかった。

 屈んだまま深呼吸しつつ、ダークスターは先ほどの賢一たちとの会話を思い返す。


「そ、そういえばあんまり心配しなくてもいいかもしれない。『妹』の強化なら蛍ちゃんも強くなってるはずだし、『妹』同士で傷つけ合いもしないはず。う、うん、ちょっち安心した」


 ぶつぶつと独り言を呟いて安心したダークスターはなおも屈んだまま独り言を続ける。


「良いこと少ないけど……でもで、でも頑張らないと……”ぼくを除いた全人類の仮面、ぬいぐるみ着用の禁止”のためにね!! ぼくだけが、姿を見せず、ぼくだけが一方的に、姿を見れる……相手の女の子が僕のこと見えないまま、ぼくは女の子に仲良くするんだ……。 は、はぁはぁ、興奮してきちゃった。仮面と着ぐるみって素晴らしい!」


 例にもれずダークスターも変能だった。彼も筋金入りの異常性癖の持ち主。主体仮装性愛とでも呼ぶべき妙ちくりんな性癖が、変身能力に結びついているのだ。

 ようやく一息吐いたダークスターは植木に背を預けて座り込む。疲れがピークに達すると独り言が多くなる、欠点極まりない悪癖をぶちまけて休んでいる内に、少し楽になったのだ。だがまだ立ち上がるまではいかない。

 緑に頭を押し付けるように寄り掛かって深呼吸していると、急に手の甲がかゆくなった。


「うっ、蚊に刺されちゃった、かゆい……」


 ぷーん……と蚊が遠くへと去っていく。七月七日の、夏も夏だ。外で身動きを取らなければ蚊に吸われることもある。ダークスターは植木に寄り掛かった姿勢から減らず口を叩いた。


「ふ、ふん! 今回は見逃してあげるよ! だから後で女体化して恩返しに来るといいよ、ふひひ」


 減らず口というか、妄言だった。ダークスターはしばらくして立ち上がろうとすると、ドドドドド……という地響きが近づいてくることに気づいた。


「……? ……なんだろ?」


 賢一に一つ予想外だったのは。

 あれだけあからさまに逃げ出した賢一とフェリティシアに疑問を持たず、彼と同じように空を見上げず、逃げろと言われてもその場で休み続けた、ダークスターの疲労度と暢気さだった。





 執事は庭園を走っていた。縦横無尽に道を駆け、植木や岩を超えてただ走る。彼は全速力だった。

 背後から迫るのは銅像の動物たちだった。犬、猫、兎、多種多様な動物の群れが執事を追跡していた。ショコラガーデン自慢の銅像たちが、彼を生き生きと追いかけている。

 いや、生き生きと言っても、彼らは変わらず銅像だ。いかなる原理か、彼らは銅像のまま動き、獲物を捕らえんとしていた。

 賢明なる読者諸君に、全てを納得させる訂正を入れたら、彼らというより、が、と言ったほうがいいだろう。

 そうして夜の街を駆けていると、向こう側からも一人の男が走ってくる。それを見て、執事は驚いた、なんということだ、自分がもう一人いる! と。さらに悲嘆すべきは、もう一人の自分の後ろから迫る、猛威であった。

 巨大、ただひたすらに巨大な、身の丈十メートルに届くのではないかと思われるほどの銅像の狼が背を低くし、こちらへ向かってきているのだ。つまりもう一人の自分もまた、執事へ向かって走っている。

 もし、十九時前のうちに落ち着いて巨狼の銅像を庭園で見たのならば、彼女がゲイリー家から送られた製作物であると気づけたことだろう。

 そうでなくとも、彼女の足には、『アルテミス』”我が兄に捧ぐ” ケイリー作というプレートが取り付けられていた。

 ほんの少しだけ執事は逡巡し――さらに速度を上げて駆けだした。

 そして、目の前に迫るもう一人の自分に微笑みかけ、肩に手をやり―――式神は全力でボディブローを放った。精神的衝撃を与えることすらない、物理的アタックだった。

 式神から見れば、もうひとりの自分は心に対する攻撃へ警戒しすぎて物理をおろそかにしていた。典型的な自分にしてやられた後の敵の反応だった。故に責めっ気しかない式神にとってはカモのままである。


「ポピュッ!? ……おま、一度ならず、二度ま……でも」


 そしてかくりと気絶する偽物執事ことダークスター。しかし変装は解除されなかった。彼は倒されても、仮装は解けない。生涯、顔を隠すことを性癖レベルで徹底しているためだ。

 ちなみに式神、二度までも、というセリフでもう一人の自分があの彦星の着ぐるみだったことにようやく気づいた。


「便利そうなので、お身体借りさせていただきますね」


 式神は自身とまったく背丈が同じな人型の物体を肩に担ぐ。前方から巨大な狼が、後ろから実寸大の動物群が迫り、さらに重りすら抱えながら、本物の執事はまったく超然としていた。


「パーツの共鳴なしに隠れ潜んでいたわたくしを見つけた理屈はよくわかりませんが、これで追い詰めているつもりだとしたら、まだまだ甘い」

(前方の巨大な狼の股下をくぐることは悪手。伏せられれば押しつぶされる、座られれば壁になる。故に取るべき手は―――)


 後ろから飛びかかってきた犬の一匹の首根っこを、式神は掴み取った。


「――ッ!?」


 声帯も命もない銅像の犬の目が見開かれる。


「硬い身体を充分活かしてわたくしを守ってくださいね!!」


 その掴んだ銅像の犬を盾にして、全身を守るように式神は動物の群れに突っ込んだ。金属同士が弾ける音と共に圧力がかかるが、その全てを力押しで吹き飛ばしていく。しかし、それはもはや銅の壁に体当たりを繰り返すようなもの。さらには爪や牙のおまけつきだ。

 銅像の犬とついでに偽物の自分を盾にしているとはいえ、打撲はもちろん、大小を問わずの裂傷が式神に刻み込まれた。ホテル七階から落ちた時も植木がクッションになったとはいえ、それなりにダメージだった。極めて短時間に式神は打撲と傷をいくらか受けた。

 だが式神は致命傷を負うこともなく、まだ活力にあふれていた。

 彼は銅像動物の群れを抜けて、続けて掴んでいた一匹の犬を放り出す。

 そして前傾姿勢でもって走り抜けて、逃げる。もちろんボロボロの偽物の自分を抱えたままで。


「あー、もう、走りながら応急処置はさすがに面倒かと存じます……。万一傷痕が残ったら金つぎ込んで消しませんとお嬢様に顔向けできませんねこれは」


 執事の嗜みとして、どこからともかく水筒を取り出し、全身にぶっかけ患部を包帯で巻きながら執事はただひたすらに走った。

 そしてついでにもう一人の自分から 人形 ミクロコスモスの左足のパーツを奪い去った。

 この執事、どこまで追い詰められても、ただでは起きない。式神は現在、左腕、右足、左足の三つのパーツを持っている。三つのパーツが共鳴する。式神にとっては四つのパーツが近くにあるという証だった。


「よし、群れを全部擦り付けた後、パーツを奪いましょう」


 そしてこの執事、どこまで追い詰められても、加虐性を光らす外道であった。

 
 
 

 式神は共鳴するパーツの持ち主……賢一の元まで走っていく。

 賢一は走ってくる執事に気づいた。つい先ほど嗅いだ左足パーツの匂いを感じ、賢一は声を掛ける。


「おお、無事だったかダークスター……」


 勢い込んで走る執事の前に飛び出した人形師は、セリフを途中まで言って驚いたように呟いた。 人形 ミクロコスモスのパーツの匂いが三つする。執事が、執事を抱えている。

 そして包帯塗れの執事は物腰柔らかに微笑んでいた。


「……本物じゃねーか!!」

「へい! 冬川さんパス!!」


 そして投げられるもうひとりの執事(偽)。美少年じみた体格とはいえ、男は男。賢一はごふぅと、お腹の中から空気を吐き出しながら後ろによろめいた。賢一は肩へ抱える形でダークスター(式神形態)をどうにか抱える。

 その合間にバッと両手を広げた式神は、化け物めいた腕の速さを発揮し、最後に額にきゅっと包帯を巻いて応急処置を完成させた。


「迎撃するならお好きにどうぞ!」


 一方的に告げると執事は賢一とフェリティシアの横を駆け抜けていった。


「なに、あいつあぶないわ……」


 ドドドドド……という音がフェリティシアの言葉をかき消す。賢一は苛ついたように叫んだ。


「撒いたわけじゃねぇのかよ!!」


 賢一とフェリティシアは響きの発生源へと目を向ける。

 実寸大の動物の群とあまりにも巨大な狼が、全てを飲み込まんと波のように迫ってきていた。


「わぁ……」


 フェリティシアは呆けたように言った。

 二人の決断は早かった。先ほどの式神を追いかけるように、賢一とフェリティシアは駆けだす。


「これはひどい、ろくでもない、ネタはネタでも厄ネタだよ!」

「なんかこっちも標的にされてるぞっ!! てか軽ッ! こいつ軽ッ!!」


 賢一は肩に乗ったダークスターの重みに驚く。ちなみにダークスターは体重も仮装できるので、賢一が感じる体重は式神のものだった。


「これ完全にあの黒幕シスコンの仕業じゃないかな!! どんな強硬策!?」

「あれ? これ誰の仕業がご存じなんですか? 教えていただきたいのですが」


 全身包帯まみれの執事が少しペースを落として、賢一たちに併走する位置に来ていた。フェリティシアの言葉に反応したらしい。そして、こんな時でも律儀に答えるのが賢一だ。


「ルカジャン・ゲイリー!! 推定この 人形 ミクロコスモスの開催者! 変能は、推測でしかないが、有機物無機物問わず妹――年下の少女を強化し操ることだッ!」

「ありがとうございます。ふむ、監視カメラ……いえ、庭園全域にカメラはない……カメラのない場所にわたくしは隠れていた……近くに潜んで直接見ている? いえ、パーツを手放すとは思えない……カラス? いや、さすがにそんな大きなものには気づく……大きさ? ……あ、ああ、ああ、そういうことですか!」


 なにかに思い至ったように、式神は自身の首を右手のひらで覆った。首筋には蚊に吸われた跡があった。




 戦場跡のごとき有り様のセキュリティルーム。監視カメラを映す画面に、一匹の蚊が映っている。その血を吸って身体を膨らませた蚊はただカメラのレンズに止まっているようだったルカジャンは、そのただの蚊の映像に満足げに頷いていた。、いかなる原理か、彼はもちろん から情報を得て、 を通じてお願いをしている……。


「……血を吸う蚊はメスだけだ。例えそれが産卵のための吸血であろうと、俺は認めよう。だから は、俺に教えてくれるのさ。……妹を助けるのは全人類の義務であるが、妹たちが力を合わせて兄を助けるのもまた全人類の最高の事業なのだから」


 とち狂った思想だが、故に彼は兄の変能を持つルカジャン・ゲイリーなのだ。庭園を這いずる参加者たちが、倒されるのは時間の問題だった。他の場所にも参加者がいるが、問題ない。


「だから、わかってるぞ、無駄だ、無駄だ。空を飛び続けたところで―― 兄妹 おれたちたちからは逃げられない」


 ルカジャンはセキュリティルームを颯爽と後にした。


 ホテル上空で、聡は意識を取り戻した。そして視界が赤蝙蝠の群れで染まっていることに、彼は驚愕した。


「ぎゃあああああああああああああ!!! 何!? 何!? 何!? 何が起こってるんだぁ!?」

「落ち着け聡、私だ。お前のオールドローズだよ」

「ああ!? オールドローズ!?」


 聡は周囲を見渡す、三百六十度赤蝙蝠がびっちりと詰まってそれぞれが好き勝手に羽ばたいていた。

 聞き慣れた不敵な少女の声は聡の正面にいる赤蝙蝠から聞こえた。蝙蝠たちの違いがわからない聡であるが、声がした蝙蝠がオールドローズの顔なのだろうとそちらへぼんやりとした視線を向ける。


「オールドローズ……そうか、そうだよな、吸血鬼だもんな……あれから何があった?」

「そう大したことはない。あの執事に逃げられたが、我々は無傷に等しい。それと……んむ、絨毯に襲われたが、まぁ脱出はできたから無問題だとも」

「は? 絨毯?」


 聡はオウム返しに言った。意味がわからない。


「つーか脱出……? ここどこだ? お前の蝙蝠で見えないんだけど」

「ショコラガーデンの、庭園上空だな」

「……は? 上空?」


 またもうや聡はオウム返しに言った。三百六十度蝙蝠に隙間なく囲われた球体の中に聡はいた。外から見れば、真っ赤な蝙蝠で出来た丸いものがふわふわ浮いてるように見えていた。

 聡はわけがわからないといった様子だった。


「いったい僕が気絶している間、何があったんだ? ……つーかもー、また負けたじゃねぇか! オールドローズ!」


 言葉の途中で、眠気から覚めるように正気を取り戻した聡は式神にまたしてもしてやられたことに気づき、一瞬で沸騰した。

 オールドローズは、んむ、と平静に返した。どんな言葉を弄そうとも式神に負けてパーツを奪われたことは否定できない。


「やっぱ駄目じゃねぇかよぉ……」


 聡はすっかり気力が萎えてしまった。レストランで遭遇した時は先手必勝とばかりに意識を奪われ、変能に対し対策をとれたかと思えば、その油断を逆手に取られてやりこめられしまった。

 オールドローズを責める気力すらない。自虐に囚われて、聡は天を仰ぐよう脱力してしまった。


(化け物だの変能だの異常存在に殴り込みにいける器が僕にはないのかもしれねぇな……。魔術が残りモノってことも知っちゃいましたし? ……もうなんもやる気おきねぇ)


 すっかり心折れてしまった聡へ活力を入れるのが、従僕たるオールドローズの仕事だった。


「なぁに、聡。これくらい軽い軽い……」

「なにテキトーなこと言ってんだよ、こっからどうすりゃいいのさ」


 オールドローズへ対して緊張と調子のよさが合わさったハイテンションを失って、聡は半目で赤蝙蝠を見つめた。


「我々は切り ・・・を手に入れてるんだよ、聡、これがあれば、執事に今度こそ勝てるぞ、間違いない」

「あー? 切り札?」


 意気地を失った聡の眼前に一塊の蝙蝠の群れが、彼女を運んでくる。赤蝙蝠の球体に包んでいたもう一人の人間。

 式神がバイクに乗せて運び、聡とオールドローズの前で頭を打ちぬいた少女だった。


「う、うわあああああ!? 死体?! 死体に聞くのか!?」


 少女が拳銃で殺されたのは、聡の記憶に新しい。恐慌状態に陥っていた聡へオールドローズは仕方なさそうに、でも愉快そうに笑って告げる。


「早とちりするなよ、主……こいつはまだ。さぁ、こいつを使え!」

「……え? え? 僕が!?」


 いくら言葉を弄しても活力が入らないというのなら、動かざるおえない状況に放り込めばよい。オールドローズは聡に見えないところで少女へ活を入れる。

 令嬢の瞼が薄っすらと開いたのを見て、聡は腰を抜かさんばかりに慌てる。


「ってホントに意識を取り戻しそうじゃないか! 尋問やるのか!? やるしかないのかぁ!?」




「さて? 常盤の……しずねだったか? お前には黙秘権なんて生易しいモノは存在しない。聞かれたことには正直に答えろ、いいな?」


 目覚めた常盤しずねに聡は皮肉げな笑みを浮かべながら尋問を開始した。聡がしずねの名前を知っているのは式神が彼の名前でしずね様と呼び掛けていたからだった。


「……勝手にすれば、いいじゃないですか」


 しずねは赤蝙蝠に満ちた空間で偉そうに座る聡へ投げやりな態度で応えた。気色の悪い真っ赤な蝙蝠に座り、視界一杯にぎちぎちに詰まっていたとしても。怯える気力すら、しずねにはなかった。


「まず聞くが、あの執事とお前の関係性はなんだ?」

「……主と執事。そのはずです」


 常盤しずねと式神は雇用関係にある。給金を払い、自身専属の従僕として式神を雇っていた。


「頭ぶち抜かれたのにか? とんだ執事だな」


 だが事実として、しずねは式神に撃たれた。とんとんと自らの頭を人差し指で叩く聡。だがしずねは慌てて弁明した。


「ち、違います! そもそもアレは空砲だったんです! なにか理由があったんですよ!」

「君が思っているようなお優しい理由じゃ絶対にないと思うけどねー。というか万一そうだったとして、君を置いていくわけないだろ?」

「うっ……」


 儚くも式神を信じようとするしずねだったが、現実は残酷だった。


「ま、どうでもいいや。次の質問、あの執事はどんな奴で、どんな異能を持ってる? 知ってる分だけでいいから教えろ」


 聡の問いにしずねは過去というほどでもない、数カ月前を思い返す。ふらりと常盤家に現れた、ずば抜けて優秀な執事のことを・


「彼は――式神は、とても優しくて、素晴らしい執事なんです。なんでもできましたし、無茶を言っても文句ひとつなく、あっというような方法で叶えてくれる。それに、私ですらびっくりするくらい、お嬢様命で……。なにをするにもお嬢様お嬢様言っていて……絶対に主に、危害もなにも与えないとわかりました。だから、私はとても愛おしくなって、だから傍仕えにして……」


 ずっと傍にいた。ずっと自分を守って、尊重してくれていた。少なくともしずねはそう思っている。

 聡は複雑な気持ちになったが、表情には出さずに質問を続ける。


「 ……ふーん、異能は?」

「……知りません。聞いてもはぐらかされました。安心してみていてくださいって」


 式神の周りでは不思議なことがよく起こる。神出鬼没という言葉がふさわしく、突然現れ、突然消える。奇術のような男だった。


「……んじゃあ、最後の質問だ。……”その式神のお嬢様は、自分ことだと思うか?”」


 しずねは聡の、その致命的な質問に背筋を凍らせた。


「な……に」


 理解ができないと言った様子のしずねに、聡は懇切丁寧に説明する。


「非常に簡単なことだ。あいつは一度でも、お前を”お嬢様”と呼んだか? 違うよなぁ? 覚えてるぞ、僕は。あいつは”しずね様”とお前を呼んでいたじゃないか。呼び分ける意味はあるのか? 仕えるのがお前だけなら、そんな必要ないだろう?」


 そもそもの話。式神が“お嬢様”と口にするときと、しずね様と口にする時では明らかに熱量が違う。情熱と言ってもいい。聞いてる側の頭がおかしくなりそうな、情欲と思想を向ける対象に、しずねという令嬢は相応しくない。

 聡の確信に満ちた話に、しずねは子供が駄々を捏ねるように否定した。


「 ……そ、そんな、そんな馬鹿がことがあるものですかぁ!! ふざけるのも大概にししてください! 式神を愚弄しないで……ッ!!」


 しずねの眼前に一匹の赤蝙蝠が羽ばたいた。その蝙蝠は落ち着いた少女の声を発する。


「いや、しずね。私も同意見だ。あいつのお嬢様は、別にいる。キツイことを聞くが……もしや、あいつは、 人形 ミクロコスモスの話と一緒に、お前に接触したのではないか?」

「……っ!?」


 しずねは息を詰まらせ、俯いた。それがなにより雄弁な答えだった。聡は怒りを表明するような暗い笑みで皮肉げに言った。


「なんて言われたかあててやるよ。”なんでも願いが叶う魔法が、欲しくはないか?”だ」


 オールドローズの誘い文句である。だがしずねは首を振った。


「……そうじゃない、違いますよ……。”お嬢様のために、なんでも叶う魔法が欲しいのです、協力してください”です」


 しずねの言葉を聞き、ドン引きする聡。式神の最悪性を舐めていた。彼はただひたすらに、異常なまでに傲慢で、自己愛の化身だが、人を騙して悦に浸る性格ではない。

 つまるところ、すれ違いだった。


「……ある意味、利用されて捨てられていた方がまだマシなのか……最初っから眼中になくて、ただの協力者扱いだったっつーことか」


 意図的に騙したわけですらない。彼は最初から常盤しずねとお嬢様を分けていた。自明の理だったからそれを説明しなかっただけだった。自身に懸想に、ひたすら協力してくれた常盤しずねを道化に引きずり落とす、無自覚な悪魔の名、それが式神だった。


「ハッハッハッ、 わかってはいたがあのクソ 従者 サーヴァント最悪だな」

「彼は……あの人は悪くない、です……」


 ボタボタと涙を垂らしながら、小さなくなってしまった令嬢は嗚咽混じりに、吸血鬼とその主の言葉を否定する。聡以上に、弁明の余地すらなく道化だったしずねは、式神を庇う。


「わた、私が……勘違いしてたんです、式神は、嘘なんか、吐いてません……一度もです……」


 悲痛な姿だった。ねじ曲がった性格をしている聡も、哂うことが生き様であるオールドローズも、掛ける言葉が見つからない。笑うなんてもっての他だった。

 道化。ここにいる一人とここである化け物には、他人事ではないのだ。彼と彼女は、道化の側面を孕む存在だ。


「んむ、我が主……」

「……なんだ」


 オールドローズに八百年以上開いたことのない胸の内を、怯え竦み調子に乗る姿が生える人間に伝えた。


。人も殺せず、彷徨うだけの。永い時を漂って、どれだけ古くなったとしても、いかんせん私はローズのままだ。……この小娘と、何も変わらん」

 
 
 

 オールドローズの始まりは白い寝室だった。神聖でもなければ、ローマ的でもなく、ましてや帝国ですらないと、どこぞの思想家に酷評されたとある国の、諸侯の娘。

 オールドローズが、ただのローズであった頃、言ってしまえば彼女は貴族の令嬢だった。

 当時の彼女にとって国は環境でしかなかった。

 だが……オールドローズには朧気な記憶だけれど、ローズは納得していなかったのだ。

 貴族の娘であり、いつか家のために結婚する。自己の存在に違和感を覚えて仕方なかった。

 結婚してもおかしくない年齢で……と言っても現代の価値観と比べれば充分に少女だった……ローズは引きこもって暮らしていた。

 納得できなかった。納得できなかった。言葉にできないけれど納得できなかった。そして納得できないまま、何もせずに一人閉じこもって暮らすことがローズにはできた。

 わざわざ政略的な婚姻が必要な時世ではなかったことも関係しているだろう。腰入れした先に不和しか起こさないと両親に判断されたのかもしれない。家の問題児を幽閉するなど、当時にはありふれたことで。

 ローズは、その時一人、寝室にいた。家族も、女中もいない。白い寝室。ローズは人を従えることがとにかく嫌で、家人すらも遠ざけて暮らしていた。


 その白い寝室でふと夜が覚めた時、窓枠に一人の幼女が座っていることにローズは気づいた。

 年齢一桁代の、本物の幼子だった。真っ黒な絹の服を来た少女は穏やかに名乗った。


「こんばんは」

「―――」


 声が出せなかった。ローズの常識ではありえない出来事だった。けれど、叫ぶという発想すら頭に過らなかった。それぐらいローズは幼女に魅了されていた。


「わたし、カーミラよ。あなたはだぁれ?」

「……ローズ」

「ローズ、ローズ、素敵な名前ね。フフフ」


 幼子は――カーミラは嗤う。未だにオールドローズは名乗ってしまったことを、カーミラを受け入れてしまったことを後悔していた。

 だが数十年先の、八百年先の後悔など知るよしもなく、ローズはカーミラの言葉へ一心に聞き入っていた。


「ねぇローズ。すぐ舐めれば味が濃く、次に舐めれば絶妙で、最後に舐めれば匂いが開く。コーヒーよりも味わい深く、水よりもなお絶妙で、お茶よりも香り高い。そんな飲み物、なんだと思う?」


 なぞかけような、酔ったような内容に、ローズは混乱した。


「……コーヒーって何? お茶って何?」


 ローズの聞いたこともない飲み物だった。当時の、閉じた家の、閉じこもった娘には知りえない嗜好品だ。ただぼんやりと、世界中をカーミラが放浪しているイメージだけがローズの中にはあった。

 カーミラはコーヒーやお茶について言及せず、言いたいことだけを述べた。


「それはね、血よ」

「血?」


 恐ろしい話だ。おぞましい話だ。輸血という概念さえない時代である。生理的な嫌悪感で叫んでもおかしくない。

 だがローズはぼんやりと夢うつつに、カーミラの狂気に耳を傾け続けてしまう。現在のオールドローズは思い返すたびに、過去の自分とカーミラ両方を縊り殺したい。


「血の新鮮さ。味わい深さ。ホロ苦さ。その温かみ。錆びる工程。ああ、私は、この紅い液体を愛している―――。全身に浴びるほどの絶頂を、この紅さは私にくれる」


 未来の、つまり現代の言葉で解釈すれば、ヴァンパイアフィリアの変能、カーミラとはこのような女だった。幼女ではない。女だ。オールドローズを超えて長く生きていることは、この時点で確約している。だが、世界最古の吸血鬼はオールドローズだ。


「だからねぇ、ローズ。私、あなたの血が吸いたいわ」


 どれほど血を吸うのだとしても。


「…………」

「ねぇローズ、永遠が欲しくはなぁい?」


 吸った相手に、永遠を押し付けるのだとしても。


「えい、えん?」

「私にあなたの血を吸わせてくれたら、血を吸う限りの永遠をあげる」


 血を吸う性質を、永遠の生きる鬼に押し付けるのだとしても。カーミラは吸血鬼ではない。変能とは、そういうものではない。永い時を生き、気に入った人の血を啜り、吸血鬼に変える【人間の女】。ひどく幼く、妖艶で、有害な 源流 へんのう。それがカーミラだ。

 そしてただのローズは。


「だから、ちょうだい」

「うん」


 カーミラの誘惑に屈した。かくして源流にもっとも近い化け物が生まれ出でた。

 それから先は語るべくもない。長く長く時が過ぎ、ローズはオールドローズとなった。

 彼女の前の吸血鬼は一匹残らずいなくなり、彼女の後の吸血鬼はせいぜい英雄気質の一般人に狩られるような雑魚がちょろちょろと現れるだけになった。殺しつくしたのは吸血鬼狩りの変能だった。老いた姿で、容赦なく、喜悦に顔を歪ませながら、有害な吸血鬼を殺して殺して殺して殺して殺しつくして、興奮する。どうしようもない変能だった。

 オールドローズはその吸血鬼狩りの死に目に立ち会った。骨と皮ばかりの老人は、オールドローズを笑った。俺が殺すのは、どうしようもない化け物だけだと。有害で、永遠で、プライドの高い夜の貴族だけだと。

 殺してほしそうな顔をしているが、俺はお前を殺さない。お前の前で、惨めなドラキュリーナの前で、ただの人間として死ねるなんて―――絶頂モノだ。そんな最悪な言葉を残して、吸血鬼を殺すことを好む異常性癖の狩人は死んだ。

 伝説の吸血鬼ハンターが変能だったということを知っているのは、オールドローズだけだった。世界の真実を知っているのは、古い古い化け物だけだった。

 吸血鬼という存在は最初から終わりまで、変能に振り回される哀れな幻想だった。いや吸血鬼だけではない。鬼も神も妖精も妖怪も何もかも。始まりと終わりはそうなのだ。吸血鬼は変能から生まれるのが早く、変能に滅ぼされるのがもっと早かっただけだ。

 死にぞこないの戦場の亡霊、屍喰らいのオールドローズ。恥じ入るほどに赤くなる世界で一番古い薔薇。

 暇をつぶす、それが全ての吸血鬼。

 オールドローズは哀れで、哀れで、哀れで―――。


「哀れなドラキュリーナだ」


 オールドローズの自虐に、聡は首を振った。


「それが駄目なら僕だって駄目さ。頭の良さに加えて、女の子に優しいイケメンだからね。お前にとって、僕は駄目な人間か?」


 聡の奇妙な言葉をオールドローズは否定する。


「いいや? 断じて違う。お前は素晴らしい、私の主だ」


 怯えている。竦んでいる。調子に乗って、失敗して、心が折れて、でも応援すれば立ち上がる。人間だ。あまりにも人間だ。怯えも竦みもできず、調子に乗ることすらできず、失敗を生む挑戦すらできず、最初から心が折れていて、応援されても哂うだけ。オールドローズなどよりも、何百倍もマシな人間だ。

 だがその人間はオールドローズの嘘くさい、それでも本心の言葉にはにかんだ。


「ならそれが答えなんだろ、僕にとってもお前は素晴らしい従僕だ」

「―――………」


 そう言われるとは思っていなかった。極めて暴力的に、一方的に今夜の騒ぎに巻き込んだ化け物に、聡が素朴な肯定をするとは、思っていなかった。お前の暇を潰してやると、オールドローズに生存本能から叫んだ男は、断言した。


「お前が謗ってるのはお前の長所だ。人を殺さない。それは良いことだ。彷徨うだけ? そりゃ自由ってことだ。自由は間違いなく良いことだ。世界で一番古い薔薇。イカしてるじゃゃないか。死にぞこないの、屍喰らいのオールドローズ。吸血鬼。カッコイイじゃないか!!」

 

 聡はオールドローズの負い目一つ一つを潰していく。


「理由なんかどうでもいい。来歴? 知ったことじゃないね。変能? オリジナル? なんだよそれ、どーでもいいね。前は、そんな悪いもんじゃないよ。少なくとも、僕のモノに相応しいさ!」


 オールドローズは……オールドローズの声を発していた真っ赤な蝙蝠は聡の胸にひしりと捕まった。頭を聡の胸にこすりつけて、オールドローズの声は再び発せられる。


「……ならば、どうする。お前は、私に、何を命じる。ありふれた、典型的な吸血鬼に」


 いっぱいいっぱいの声だった。聡は歪んだ笑みを浮かべた。


「あの執事、今度という今度こそとっ捕まえろ。そんでもって、縛り上げてこの女の子の前に跪かせろ。それが僕の命令だ」


 常盤しずねとオールドローズ、そして聡は、みな道化だ。道化には道化の意地がある。

 それにオールドローズが、 変能 オリジナルを打ち倒し、変能に振り回された道化を救うことができたなら、それはオールドローズにとっても救いになりえる。

 無敵の赤い夜は、心の奥底から返答した。


「ヤヴォール! くくっ……戯れにはじめた主従関係だったが、これは――――――あ?」


 オールドローズの言葉が止まる。ぞわりと悪寒がその場にいる彼らに襲い掛かったのだ。それと同時に赤蝙蝠の球体の天井部分が弾け飛んだ。


「……悲しみに暮れる妹の気配を感じる!!」


 それと同時に飛び込んだのは異国人の美男子だった。銀縁眼鏡を冷たく光らせ、バサリとマントを広げる。王子様ルックだった。


「う、あ、え? な、なんかすげぇ意味不明な登場なんだけど……また厄ネタか……?」


 聡の怯えはさておいて、目を白黒させるのは常盤しずねだ。ただでさえ自らの忠実な従者だと思っていた男に裏切られ、敵だと思った化け物女とその男はこちらに同情してくる。さらに飛び込んできた異常に、彼女は呆けたような声を出すしかできない。


「う、うん……?」

「常盤の令嬢……いや、しずねさん。話は全て聞かせてもらった。痛ましい話だ。俺もまた、その執事を捕まえる手伝いをしよう」


 王子様ルックの異常者は優雅な一礼をしずねに行った。


「…いや、まずあなた誰です?」


 当然の疑問に、冷たい美貌の男は誠実に答えた。


「俺の名前はルカジャン・ゲイリー。君の兄と思ってくれて構わない」

「……私は一人っ子なのですが……?」


 しずねは自分の顔に触れてみる。妙におかしい。異常者の奇矯な物言いを受けて、意味もなくしずねは赤面している。心は式神と会話していた時と違い、まったくときめいていないのだが。

 ルカ・ジャンゲイリーは、赤蝙蝠で満ち満ちた不気味な空間で、一切の気負いなく優雅に座った。あまりに大胆不敵である。しかし、それが様になり、自然だった。


「なるほど、恋をしていたというのは本当のようだね 兄よりも恋しいと思わせておきながら、妹を悲しませるとは。万死に値し死屍累々、許し難い」


 兄を愛さぬというのなら、他に愛するものがあるということだ。ルカジャンはしずねという妹に同情する。

 ルカジャンの異能は妹の強化だ。支配ではない。言い換えればルカジャンが強化した妹は、ルカジャンの味方になるとは限らないのだ。

 兄よりも大切なものがある場合、ほぼ確実に妹は、そちらの方に味方する。しずねの反応は、魅力的な兄よりも大切な誰かがいるという証だった。

 だがそんなとち狂った兄弟の因果関係などルカジャン以外にはわからない。さしずねが聡だけではなく、オールドローズも雰囲気というよりも世界観ごとぶち壊してくるようなこの妙な男に鼻白んでいた。彼女にしては幾分珍しく、言葉に窮するという事態に陥っている。


「……お前……変能か?」

「当然、まさしく、




「……………………あ?」


 ドカン! と赤い蝙蝠で構成されていた球体が庭園に落ちた。


「うわっ!」

「きゃっ!」


 聡としずねの叫び。そして真っ赤な蝙蝠たちは散開し、再び一か所に集まって、オールドローズの形を作った。


「………ルカジャン、撤回しろ。不愉快だ。私を、変能と同じにするな」

「同じにするなと言われてもな……」


 しずねと話していた時とは打って変わって、無関心な様子だった。鬼気迫るオールドローズに、冷淡に告げる。


「この 人形 ミクロコスモスの参加資格は 変能 ・・であることだぞ? お前にパーツが届けられたということは、そういうことなのだろう」

「嘘だ。嘘だ。嘘だ」

「そもそも変能同士は、しっかりと相対すれば 変能 どうるいがわかるしな。オールドローズもわかったんじゃないか?」

「――――」


 わかる。オールドローズには変能かどうかが理解できる。固さという、うまく言語化できない感覚で、彼女は変能を見抜いていた。しっかり相対して、はじめて変能だと理解できるという特徴も共通だった。


「嘘、だろう!?」

「兄を嘘吐き呼ばわりすべきではない。妹の手本である兄は妹だけには誠実なのだから。いや貴様のような八百十四年と三カ月三日目経ってるような奴は妹ではないが、嘘は吐いていない」


 この期に及んでとち狂った言動をするルカジャンだった。だがオールドローズはそれどころではない。足元から自我が崩れていくような、絶望的な真実に狂いそうだった。


「おい! オールドローズ! 落ち着け!!」

「ああああああぁぁぁぁぁ……ぁ……あ、ああ、大丈夫、だ。落ち着いた。お前の命令で、落ち着いたぞ。私は。私はお前の従僕だからな……」


 オールドローズは弱弱しく聡を見る。聡は険しい表情でルカジャンを睨みつけた。


「おい、お前、詳しく―――!!」

「その時間はない!」


 ルカジャンは聡の言を力強く遮った。そして庭園の向こう側を指差す。


「……さぁて、来るぞ、罪人が、いや、全部のパーツが揃うぞ。全部の参加者が揃うぞ」

「……式神ッ!!」


 包帯まみれの執事が、先導するようにして、みなが突っ込んでくるのがルカジャン達には見えた。彼らが着地したのはパーティ会場として使われていた庭園部分だった。

 しずねは……裏切られたはずの彼女は、式神の傷だらけの姿を見て、悲痛な声をあげた。


「行ってこいしずねさん、言いたいことがあるのだろう。そしてできれば俺のところに戻ってきて俺を兄と呼んでくれ、強制はしないが」

「う……うん」


 しずねはこわごわと、巨大な狼と多種多様な動物の銅像に追いかけられている式神たちの方向へ向かう。

 聡は唇を震わせているオールドローズの肩を叩きながら、思考を巡らせる。ルカジャンに、オールドローズの変能とは? と尋問する時間はない。迫ってくるのはクソ執事含め一筋縄ではいかなさそうな奴ら、そもそもルカジャンと味方というわけでもない。

 複雑で面倒な盤面を俯瞰して、ついでに自分を従僕の当然の仕事として鼓舞し続けていたオールドローズを思い返し、聡は口を開いた。


「ルカジャンとあいつらでパーツが揃ってるってことだよな? あの執事に借りを返すことはもちろんだが……もしかしてこれ、ワンチャンある?」

「んむ……」


 オールドローズは心ここにあらずと言った様子で同意する。聡はルカジャンへ話を振った。


「……おい、狂人。あの執事と愉快な奴らを倒すところまで協力してやる。んでもって最後はお前が僕に 人形 ミクロコスモスのパーツを献上しろ。それができなきゃ一騎打ちでオールドローズに殺されに来い。乗るか?」

「乗る」


 ルカジャンは即答した。悪い取引ではない。戦力比一:四はルカジャンにとっても面倒だ。妹たちに無理をさせ続けるよりもオールドローズに暴れまわってもらった方か心情としても得だった。


「聡?」


 オールドローズは傍らに立つ聡を見上げた。


「……さっきも言ったけどな。変能なんてどーでもいいんだよ。カッコイイのは吸血鬼、オールドローズだ。お前は使える。僕はそれを知っている。それでいい」

「………んむ」


 オールドローズはこくりと頷いた。不敵で無敵な赤い夜らしからぬ純朴さに聡は調子を狂わせる。オールドローズの主は勢い任せで喋った。


「だから、あのクソ執事に意趣返しするのもできないほど無能なんて絶対にない。執事潰れるのを待つなんて悪手うってられるか。全部潰して勝利してこい」

「……」

「鬱憤溜まってんだろ? ……全部ぶっ放してこい。二度は言わんぞ」


 結局のところ、鬱憤だ。オールドローズは八百年前から鬱憤が溜まり続けている。


「……ハ」


 オールドローズは、哂った。


「ハハハハハッハハハハハ―――アーッハッハッハ!! 良いぞ良いぞ最高だ! 主の命令受け取った!! 嗚呼、こんなに昂ぶるのはハジメテだ――」


 狂乱する。古き薔薇は乱舞する。乱れ花の吸血鬼は傅く こうべから湧き上がる己の性のままに叫んだ。


「愛のままに! 我が主の意のままに!!」


 そうして、赤い魔性は跳び出した。行く先は決まっている。乱痴気騒ぎの庭園の、追われる彼らを迎え撃つのだ。

 パーティ会場の庭園に残されたのは黒幕と聡。


「「……愛?」」


 聡とルカジャンは勢いで吸血鬼が漏らした一言を再生するように呟き、不思議そうに首を傾げたのであった。

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