固ゆで卵と変な奴ら ミクロコスモス・スクランブル! 【ハードボイルド】
執事と人形師、人形遣い、ついでに気絶した黒い星(式神状態)は庭園からホテルへ逃げ回る形で近づいていった。
ホテル入口から戻るのが難しいのなら、庭園をぐるっと回ってパーティ会場から入り込めばいいという判断だ。
「……覚悟はよろしいですか? 皆様」
包帯まみれの姿で執事が駆けつつ、賢一とフェリティシアの覚悟を確かめた。
「ねぇ、あなた巻き込んでおいてどうしてそんな味方オーラ出せるの? 馬鹿なの? 屑なの?」
フェリティシアは式神の厚顔さに悪い意味で驚く。動物の銅像たちに追いかけられていたのは式神であって、人形組は擦り付けられた側である。
賢一は苦笑した。
「こいつもこいつで頭おかしいからな……そういう奴だと思っとけ。つーか式神、お前三つもパーツ持ってるじゃねーか、よこせよ」
「……検討させていただきます」
式神は嫌そうに返答した。
「断るなら普通に断れクソ執事」
「じゃあ嫌でございます」
賢一と式神は睨み合う。フェリティシアとしては気が気でない。
「ホテルへ入るのはいいんだけど追ってくる銅像たちはどうするのかな? 密閉区間で追い詰められると死ねるんだけども……」
「ああ、それは―――っ。上方注意!!」
執事の叫びと共に、賢一たちの正面になにかが凄まじい勢いで落下した。もくもくと砂埃が舞い、落ちてきたモノが――いや、化け物が現れた。
「グッドイブニング 追い立てられる羊共 吸血鬼だよー!」
赤い化け物だった。そしてその後ろから現れたのは。
「……おや?」
「さっきぶり、ですね……式神」
執事の元協力者である、令嬢だった。急いででホテル側から来たらしい。オールドローズと同じ方向から来た以上、組んでいると賢一たちは判断した。
フェリティシアは前方のオールドローズとしずね、後方の銅像たちに頭を悩ませる。
「あー……これは……戦力を裂かないとまずいねぇ……」
「いや待て。ここは協力しないとルカジャンを倒せない」
賢一はずいっと前に出るとオールドローズとしずねへ向かって言った。オールドローズは人形師の妄言を哂う。
「私達はパーツを持っていない。だから交渉は成立しない」
「ぐっ……」
賢一がダークスターと接触した時、パーツを奪わなかった理由はここにある。
だが……と賢一はちらりと式神を見る。このド外道執事がダークスターをボコしてパーツを奪ったので台無しになった。だから責任をとってこの男になんとかして欲しい。
「………」
執事は、口を開かない。険しい表情を浮かべ、ただ一点だけを見つめている。賢一はそれに疑問を持った。
「……式神?」
式神が睨んでいる先は、常盤の令嬢、ではなく。
不敵な笑みを浮かべる、吸血鬼の方だった。
「……クソ」
「あ?」
「クソクソクソクソ!! クソッタレの女吸血鬼め!! 哀れなドラキュリーナめ! 貴女―――わたくしより先に、主を手に入れやがったな!!」
「……は?」
罵倒はすれど、幼稚な悪意は示さなかった執事が。感情のままに、憎しみを――嫉妬を吐き捨てた。そして、その内容に、しずねは疑問を持った。
「あなた、私以外にお嬢様がいるのでは、ないのですか?」
「今はいませんよ。これから得るんです。この
式神は激怒と陶酔をまぜこぜにしたような赤ら顔で自らの願いを謳った。その意味不明な言い分にしずねは困惑する。
「意味が、意味がわかりません……せ、説明してください、式、神」
式神はビシリッ、と自分を親指で指差した。
「言っておきますが、わたくしは、誰がなんと言おうと執事でございます!! 故に、求めるのは自身よりも大事なもの。この身を投げ出すことに幸福を抱ける至高の少女! ……わたくしは、願うのであります。―――――――仕え甲斐のある、わたくしだけのお嬢様を!!」
式神は執事である。式神はお嬢様を愛している。だが愛すべきお嬢様を彼は未だ見つけておらず、故に求めている。
「……そういうことか、そういうことか
オールドローズは式神の言葉に、怒りに納得がいった。いってしまった。自分が変能であるということを最後のピースとして組み立てれば、なぜ式神が己へ怒り、そして激怒しているかがわかる。
つまり……同じご主人様趣味なのだ。従僕嗜好なのだ。同類ではなく同属。式神が執事であるように、オールドローズは従僕だ。
だから何より式神は腹だしい。
式神にはわかる。わかり過ぎてしまう。オールドローズは終生の、たった一人の主を手に入れた。己から主も守れない欠点だらけの吸血鬼が、己よりも先に、主を!
従者趣味と合わさって、自己愛と傲慢さと加虐趣味で構成されている式神には、本当に我慢ならなかった。オールドローズは式神の激怒を受けて、考える。己が変能であることは死にたくなるほど屈辱的であるが……。
(聡に私が変能であることなど、どーでもいいと言われた。ならば私もどうでもいい。気にしない。むしろ聡のために利用する)
「ならどうする? お前の目の前に、妬ましい私がいるぞ、お前が欲しい
式神はオールドローズの煽りに一瞬で沸点を超えた。最悪の執事は柔らかに微笑むと優雅に一礼した。慇懃無礼はオールドローズへの攻撃的仕草だった。
「All Right. 乗って差し上げましょう、吸血鬼。……冬川さん」
「……なんだ、執事」
あまりにもイカレた嗜好と願望をカミングアウトした式神にちょっと引いている賢一だった。
「ここはわたくしと――フェリティシアさんが受け持ちます。黒幕を倒して人形のパーツを持ってきてください。待ってますので」
「!?」
いきなり一方的に殿を任せられたフェリティシアは驚愕した。と同時に背後から迫ってくる大量の動物の銅像たちに彼女は莫大な数の人形を顕現させる。木彫り人形たちは、銅像の津波を一手に押しとどめた。
「……ああもう! 結果的にそうなっちゃったんだけど!! 言われて咄嗟にやっちゃったよ!!」
例えオールドローズに怒りの全てを向けていようが、式神は全方位加虐生命体だった。うまいこと言葉で誘導されたフェリティシアはヤケクソで後ろから迫ってくる動物たちを食い止めては地面に糸で縫い付けていた。
はからずして役割の割り振りは完了している。ならば――。
賢一は四角いカバンから三日月を取り出すと、傍に浮かせた。加えて中身を取り出した四角いカバンをフェリティシアへ投げる。
フェリティシアは多くの人形で、そのカバンを受け取った。
「任せたフェリティシア! やばくなったらソレを使え! あとすぐにだけは倒されるなよ執事!!」
賢一はパーティ会場へと駆けだすだけだ。特に妨害を受けることもなく、賢一はホテル内に侵入することができたのであった。
「……おや、見逃してよかったのですか? オールドローズ」
「一人だけで何が出来る。それに、どうせパーティ会場にも奴がいるのだ。せいぜい殺し合えば良い」
オールドローズは肩を竦めた。オールドローズは賢一がどのような変能であり、どんな戦い方をするかは知らない。吸血鬼が聡に受けた命令は執事を打ち倒すことだ。賢一とフェリティシアの優先度は低い。
(ああ、そうか――、これが私の変能か)
とオールドローズは胸にストンと落ちた。命令だ。式神に同属と表されたオールドローズの変能は、命令を中核とする受託能力だ。主に命令されると、その命令を叶えるために、オールドローズは本気になることができる。自身の限界を超えることができる。
そうだ、そもそも八百年の怒りを台無しにするような、オールドローズが変能であるという指摘に、あんなにすぐに冷静になれるわけがない。
落ち着けた理由は、聡の命令だ。そしてオールドローズが受けた命令は、式神を打倒すること。
(素晴らしい。負ける理由がない)
攻撃態勢に移らないオールドローズに式神はにんまりと微笑む。
「おやぁ? かかってこないので? いやはや、敗北感を乗り越えられていないんですかね? だとしたら、少し、可笑しいと存じますが……」
式神の見当違いな台詞にオールドローズは哂った。
「舐めるなよ。要はお前からショックを受けなければいいんだろ? 万国びっくり人間ショーだろうが、世紀の手品だろうがかかってこい。驚きゃしないさ。もちろん、罵倒でもな」
式神は苦笑した。オールドローズはすっかり落ち着き払った態度だ。
「ありゃりゃ、すっかり覚悟完了しちゃってやりづらいですねぇ」
(まぁ、それでも負けるつもりは毛頭―――)
「私を―――」
式神の隣に立っていたのはしずねだった。しずねは拳を振りかぶっていた。
「え?」
「無視するなァァァァァァァァァァァァ」
振りぬかれた拳は、正確に式神の横っ面を捉えた。錐もみ回転しながら、式神は木々の中に突っ込む。数本の木をなぎ倒して、彼は地面に横たわった。
「ああ! 初めて人を殴りました! 暴力なんて嫌いです!」
しずねは式神を殴った手をもう片方の手で包みながら、怒り心頭だった。世界そのものに対して怒気を叩きつけるように気炎を吐きだす。
「いってぇ……。……ああ、”自分より年下の少女の強化”ですか。なんとも面倒くさい」
“妹”の強化。常盤しずねは、ルカジャン・ゲイリーによって強化されている。式神が把握しているよりもしずねのステータスは上昇していた。忍び寄る力も。パンチ力も。
「そら、ノびている暇はあるのか?」
真っ赤な吸血鬼が悠々な足取りで迫る。吹き飛んだ材木を踏み潰し、純粋な暴力が哂っていた。
「……ああ、ホント、貧乏くじでございます」
式神は少しだけ身を起こし、吸血鬼とかつての協力者令嬢を見て、困ったように微笑んだ。
賢一は肩に抱えていたダークスター(式神状態)を途中で地面におろした。
「おい、起きろ。軽いけどずっと抱えてると重い。つーかなんで俺はこいつを運んでたんだ?」
バシバシと賢一は軽く偽執事の頬を叩くが、ダークスターは気絶したままだった。仕方ないので賢一は彼を放置することにした。
パーティ会場の片割れである庭園に侵入した賢一は、なんの歓迎も受けなかった。手荒な歓迎もだ、ただ純粋に静寂だけが庭園を支配している。恐る恐るホールへと入るが変化はない。気絶した警察庁霊障対策室の職員たち三十人と人間の銅像だち。子供の銅像へ警戒して近づくが、彼ら彼女らは動くことはなかった。妹の強化、自立行動がルカジャン・ゲイリーの変能のはずだが、何らかのルールにより銅像と化した人間たちはルカジャンの変能による干渉はできないらしい。
ひとまず安心だった。くんくんと賢一は鼻を動かす。ルカジャンはついさっきここを通った。
「こっちだ、嗅いだにおいがする」
迷いなく、賢一はホールの扉を開けて、廊下を駆ける。
二階へ上がる階段。その踏み場の一つに、腰かけているのはルカジャン・ゲイリーだった。
まるで玉座に座る王のごとく、兄はそこにいた。
「やぁ、楽にしてくれ」
「お構いなく。俺にとっちゃここにあるものは全て、俺に向けられた凶器だしな」
物が浮遊していないし、手すりの窓も暴れていないが、ホテルショコラガーデンは、ルカジャンの妹だ。わざわざ彼が
だがルカジャンは悲しそうな様子だった。
「武器じゃない。大切な妹だ。……と、こう言ったところで信じてもらえるはずもないか」
賢一はルカジャンの言葉に、首を振った。
「……んにゃ、信じるぜ。大切なものを使い捨てるような変能が自分にあるのって、嫌だよな。凶器って言ったのは謝るよ」
「お前は―――、そうか」
「ああ、そうだ」
ルカジャンと賢一は同意した。ならば当然だ。賢一がルカジャンを否定できるわけがない。同じ種類の変能を持っているのだから。
オールドローズと式神のような同じ性癖が歪な鏡のように相似しているのとは違う。能力が、悲しい。ここで初めてルカジャンと賢一は、互いとまともに向き合った。
そして向き合ってしまえば、他人の意思を尊重する賢一は、言わざるおえない。聞かざる負えない。相互理解の第一歩。
「まずは話でもするか? 性癖でもぶちまけてさ」
「ふん、そうか、そうだな……」
ケイリーは昏倒し、目覚めなかった。彼はケイリーが呪われていることを突き止めると、妹の呪いを解くために片っ端から様々な曰く付きの道具を収集した。金に糸目をつけず、手段を選ばず、疑わしい代物まで掘り出して……。
その中に
使い方は単純だ。頭、右腕、左腕、右足、左足の五体に分解すると胴体が消失する。そして五つのパーツをそれぞれ……
変能を参加者とし、変能を動力とし、変能を争わせることで完成する、変能の人形。
変能とは世界に刻まれる莫大なエネルギーだ。それを五つ絡めて組み立てれば、完璧な人形、完全なる小宇宙、
賢一はごくりと唾を飲み込んだ。どんな願いも叶える荒唐無稽な夢の力。必要なのは変能。埒外に埒外を重ねる、馬鹿げた試み。
「どんな願いも叶えられる、なんて御伽噺にすがったのか? それほどまでに重い呪いなのか?」
「その問いに対する答えは、ノーだ。ケイリーに掛けられた呪いは、あの子に対する嫉妬心でおまじないをした女学生のものだった。ケイリーは優秀で、可憐だからな。はんば偶然でかかったそれは、少しばかり発想の転換が必要だっただけで、割と簡単に解呪できたよ。
七月七日ホテルショコラガーデンで逢いましょう。ルカジャンを除いた四人の変能は必ずショコラガーデンに現れるだろう。今更やめるなんて手紙を出しても、パーツを返せなんて要求しても聞き入れるわけがない。賽は投げられてしまっていた。
それに……。
「欲が出てしまったんだよ。……俺は妹を呪った人物の正体が、妹の同級生だと知った時、憎めなかった。俺はたった一人の血のつながった妹を傷つけた相手を、少女を――憎むことができなかった。俺は妹を大切に想ってはいないのではないか? そんな疑念が俺を侵した。だが、真実はこうだ。俺にとって大切だったのは、たった一人ではない妹全員だった。傷つけられた実妹と同じように、傷つけてしまった妹に、俺は情を向けていた」
ルカジャンは淡々と告げた。恥とは思わない。こんなものはただの事実だからだ。変能とは変質者の能力を意味すると同時に、心無い
「ケイリーの呪いが解けた後、残ったのはケイリーの兄、ではなく“
そうルカジャンは自分の性癖をぶちまけた。そして提案する。
「賢一。
突然の同盟の提案に賢一は驚いた。
「俺と組むっていうのか、ルカジャン?」
「ああ、俺はオールドローズと最後に戦う約束をしている。奴の主は一騎打ちと言っていたが、……俺とお前が一つの陣営となれば、オールドローズが最後まで残っていたとしても安定して勝てるだろう。俺にとっても得なんだよ……お前の勝利は望みが薄い。悪い提案ではないはずだ」
先ほどの狂気にも似た性癖の暴露とは違い、ルカジャンは理知的な態度だった。賢一は戸惑う。
「よくわからねぇがよ……あんたの願いが叶ったら、この世界無茶苦茶にならないか?」
全世界の妹たち、など明らかにスケールが大きすぎる。賢一の懸念にルカジャンは薄く微笑んだ。
「ならんよ。ただちょっと――これから以後生まれる全ての妹が、俺の理想郷に行くというだけだ。実に安穏で平穏で幸福だろう? ああ、安心しろ。三日月もまた妹だ。必ず俺が幸せにする。故に何の問題もない」
問題がありまくりだった。有機物無機物問わず、兄と妹の理想郷に集めると宣言されて、さらには三日月を奪うという理不尽に、賢一は断固として抗議した。
「残念だ、俺は三日月を手放すつもりはない」
「だがそれは三日月が決めることだろう?」
ルカジャンはパチンと指を鳴らした。
「人形の妹への強化を、強めた。三日月。妹よ、目覚めるといい。ご存知の通り、俺が強化した妹は自立行動を――意思を持つ。君が決めろ」
「―――――………」
賢一はあらゆる感情を失った。無意識に賢一は傍の三日月を片手で抱きしめる。三日月は、動かない。人形師は安堵した。
「は、ははは、良かった、良かった。そうか、そうだよな! 意思がないから人形なんだ。愛おしいんだ。よかった。俺の三日月は変わらずいるぞ。はははは」
ルカジャンは小さく、そうか、と呟いた。意思を持つことを拒絶された。三日月という人形は賢一のために意思を持たなかった。愛がなければできない行為だ。ルカジャンは妹を決して支配しない。妹の幸福がそうであるなら、ルカジャンは受け入れる。
「意見を撤回しよう。三日月はお前の傍にい続ける。どうだ、それでも、俺と組まないか?」
賢一は口を閉じた。ここで組めば、必ず賢一は人形を手に入れることができる。自分は圧倒的に不利であり、目的は
人形を愛する賢一は
とは思えなかった。
「駄目だ。俺はフェリティシアと約束したんだ。どんな願いも叶える
フェリティシア・ルノアールは人形の可能性を追求する人形遣いである。どんな願いも叶えられる状態の
同盟を拒絶した賢一に、ルカジャンは静かに告げた。
「……ならば賢一。笑うがいい、喜ぶがいい。これが正真正銘の、ラストバトルだ」
賢一とルカジャンが所持する
時は戻り、庭園に横たわる式神。身体にまかれた包帯はズタズタになり、口元から血を垂れながら、木の残骸によりかかるようにして、座り込んでいた。
しずねに殴り飛ばされた後、さらにオールドローズにぶっ飛ばされた式神はボロ雑巾と化していた。
「あいつの一発と私の一発で落ちるか、脆いな――なんて言うと思うか? 気絶したふりをするなよ、クソ
真っ赤な吸血鬼は拳を二度三度振ると、拍子抜けしたように――それでも闇の中目だけが見えているような恐ろしい化け物然とした外見なのだが――つぶやいた。
執事は、動かない。しずねは自信の服の裾を両手で掴んで、式神をずっと見つめている。
「……ふん」
吸血鬼は、傍に落ちていた一本の木を手に持った。それはかなりの大きさと太さをしていた。人間に当たったらひとたまりもない。
「言ったはずだぞ執事。そんな手品など――タネがわかれば児戯に等しいとな」
そして吸血鬼は、その凶器を投げようとした。
「……あれ? あれれ? 吸血鬼ちゃん? ここは誰? ぼくはどこ? ここは天国!? 地獄かにゃ!?」
その寸前、オールドローズに人間の何十倍の聴力にひっかかった、遠くにいる執事の声に気付いた。
「――っ。しまっ……」
吸血鬼は驚いてしまった。ショックを受けてしまった。予想外のことが起きて混乱してしまった。また負けてしまう。……しかし、いくら待っても茫然自失になることはなかった。
彼女の頭は回転する――あの執事の変能の条件を洗い出す。つまり、間接的にしろ直接的にしろ、あの執事自身がショックを与えなければならない。自分が変能をくらってないということは―――。
にい、と哂う。あのもう一人の執事は、本物じゃない。考えてみれば、最初からあの執事は自身を包帯で包んでいた。賢一が肩に抱えていた男は式神ではない。入れ替わりトリックは発生していない。変わっていない。なにも変わっていない。
「……ハハ」
そう思い、憂いなく全力で、これ以上ないほどの全力で木を振りかぶり、カチリとスイッチが入った。
式神は最悪な男である。抜け目がない。当然のごとく彼はホテルの外で戦うことも考慮に入れていた。だから彼のポケットの中には庭園における起死回生の切り札を起動するスイッチが入っていた。
常盤の黒服たちに設置させたスポットライトが点灯する。木々が照らされ、神秘的な雰囲気がそこを包んだ。もともとのホテルの趣向なのだろう。そしてその光の中には―――。
バン!!
フリルのついたロングスカート。頭に光るカチューシャl。エプロンドレスが闇夜に照らされそれはまさしく舞台女優のごとく―――。
【お嬢様だけの素敵な従者】
【式神彩 人】
プロジェクターで木々に映し出されたのは、メイド服姿の式神の姿だった。
「―――――ぶふっ」
たまらず吹き出す吸血鬼。式神という男を知っていれば知っているほど刺さる、ショッキングな映像に彼女の心はかき乱された。
女装? メイド? 傲慢で外道で自己愛でプライドの塊の男が? 執事が?
驚きかけてそれを防ぎきり、ほんの少しだけ気の緩んだところを狙い打ったそのコスプレメイドな写真は的確に彼女の精神をぶち抜いた。
「――――――」
完全に真っ白になったオールドローズにボロボロの式神は立ち上がり、歩み寄ると全力で彼女の額に頭突きをした。当然いくら頑強であっても式神は人間。ダメージは式神にしか行かないが、――これで頭と頭がくっついた。
オールドローズが耳を潰していたとしても、骨伝導で指示が通る。
「《その木を、ご自分の心臓に全力で突き刺せ》!! このダメンズ好きめ!!」
式神は後ろへぶっ倒れた。と同時にオールドローズはその巨大な木を己の心臓に杭のごとく突き刺した。
オールドローズは血しぶきをまき散らし、服を自身の血で染めて仰向けに倒れた。
執事は五体を投げだし、空を見上げる。スポットライトで異様に明るい庭園、執事は、勝利の余韻に浸ることは……。
「よう。僕らの勝ちだな」
できなかった。吸血鬼の主が、執事の額を靴の裏で踏んづける。その隣には常盤しずねもいた。
「……おや? わたくしの晴れ姿は見なかったので?」
「ああ、メイド服姿だろ? オールドローズが知らせてくれた」
聡の手の中にはだらんと脱力した赤蝙蝠がいた。パーティ会場から徒歩で式神がいる方向へ向かっていた聡はオールドローズの指示で、賢一を避けてここまで来たのだ。
その際、最後の最後、オールドローズの心が吹き飛ぶ寸前に、彼は自身の従僕から聞いている。だからもう負けはない。
「……ふん、みやしないさ、残念だったな。……さって、執事、負けを認めるか? ああ? お前は一人で、こっちは二人……三人か。だから当然の結果なんだが、それでも、ほら、認めてくれないとこっちの気分が悪いだろ?」
「式神……」
ボロ雑巾と化している式神の傍にしずねが座り込んだ。しずねは式神が庭園に仕込みを入れていることを知っていた。どんな仕込みかは知らなかったが、きっと式神のことだ。予想外で、衝撃的で、不可避だ。だからしずねはオールドローズから離れていた。
もう式神には言葉以外なにもない。
しずねは式神に言いたいことがたくさんあった。言えるタイミングを待って、そしてその時は来た。
恨みや怒りはもう言葉にならなかった。目の前にいるのは懸想していた男だった。男はボロボロで、ズタズタだった。だからしずねは優しい目で彼を見つめて言った。
「病院に行きましょう? もういいんです、許します」
式神はだらりと脱力していた。がくりと頭を下へ落としたまま、口を開く。
「……許す? 許すっていったいどういうことです? わたくしの上に立っているつもりなのですか、しずねさん?」
「―――ッ」
様とつけなくなった式神にしずねは心を痛める。
「そもそもわたくし、なにひとつ悪いことなどしていませんが」
「しき、がみ……」
あまりの断絶にしずねは息を呑んだ。憧れていた男の悪魔のような精神の発露。
「ふむ」
式神はしずねを見上げた。
「でもまぁ、そんなにしずねさん――しずね様のことは嫌いではありませんでしたよ」
「―――……」
好意を意味する言葉に、しずねの心は真っ白になった。初めてだ。初めて、式神はしずねへ好意を伝えた。衝撃的だった。衝撃的だった故に、式神の変能が刺さって意識が吹き飛んだ。
「ああ、残念でございます。破滅こそが美しく、自滅こそが麗しい。そしてそれを跳ね返すお嬢様こそもっとも愛おしい。―――あともう少しでございましたね。《眠れ》」
聡は隣で式神の変能を喰らい、ゆっくりと倒れたしずねをちらりと横目で見ながら、式神を嘲笑する。
「おいおいわかってるだろぉ? 常盤の令嬢を攻撃したってさぁ意味ねぇんだよ! 式神さんよ、負けたのが悪いんだよ!!」
しずねの心を吹き飛ばしたのは、悪あがきというわけではないのだが。それが式神の怒りを刺激する。こんな男が、己の同属の渇きを癒したというのだから。
式神は、お嬢様を得られなかったというのに。
「ほんと……性格が悪いだめんずでございますね。は…い、わたくし、勝てませんでした……ああ、あのクソッタレの吸血鬼、ホント、うらやま、し……」
「ふん、わかりゃいいのさ」
ごそごそと総が執事の懐を漁り、人形のパーツを三つ取り出そうとする。
「ですか、ら……」
キラン、と執事の目がひかり、優しく聡の顎に指を添えて、彼の顔をホテルの側面に向けさせた。聡の視界にメイド服の式神が現れる。
「ぶふっ……あっ」
「《気絶しろ》」
その命令は心が空白になったしずねと聡にするりと入り込み、絶対の命令となる。
どさりと聡としずねは式神の隣にうつぶせに倒れた。
「……ですから、引き分けに、します。本当の手品というものは、タネが割れても人を圧倒するものなのでございます。故に児戯と評するのは完全な間違いだと知りなさ、い……」
式神は立ち上がる。勝ちではない。引き分けだ。アレは、オールドローズは、聡は、しずねは、目的を果たした。屈辱的な話だが、式神はそれを理解している。誤魔化すつもりも皆無だ。さら加えて勝鬨をあげるには、式神はダメージを受け過ぎている。
だが、引き分けだ。
彼らを制した。式神はまだ動ける。チャンスはこの手に三つもある。
現場へ行けば、パーツが揃えられるかもしれない。敗北と呼ぶには恵まれすぎている。
ならば行くしかない。式神はよろよろとホテルへと向かおうとした。
その行く先に、小さな少女が立った。
「ねぇ……」
「は、い……?」
式神の前に立ち塞がったのは、幼い少女、佐々木蛍だった。
「彦星くんが、どこにいるか知ってる?」
「―――………」
(誰?)
式神は蛍を知らなかった。ダークスター(彦星くん)が蛍を保護したのは式神から逃げ出した後だった。ダークスターと別れた後、蛍は一人庭園を彷徨っていた。そしてようやく見つけた人物に、彼女は話しかけたのである。傷だらけの執事を心配するよりも先に彦星くんの行方を聞いてしまっているのは、それだけ蛍にとって彦星くんが大事なことの証だった。
だがそんなことを知らない式神は一から推察するしかない。
(ほんとにどちら様でございましょうか? 人形を抱えていることから、銅像化のルールから逃れたのは理解できるのですが……あれば人形という概念を強く意識していれば逃れられるものですからね……というか彦星くん? 彦星くんとはいったい? ああ、あの着ぐるみの……偽物のわたくし。小さな少女、妹……)
式神はにっこりと微笑んだ。
「知りませ」
「あああああ!! 蛍ちゃん! 危ないよ!! そいつから離れて! ぼく、その執事にぼっこぼこにされたからさぁ!」
ガサガサと木々をかき分けて現れたのはもう一人の式神だった。蛍は驚く。
「………え? おんなじ人が二人……?」
「え? うわわ、そうだった! そうだった!」
偽式神が変身し、着ぐるみの彦星くんに変わる。蛍は素直に喜んだ。彦星くんが変身できることを蛍は知っている。なにせ彼女の目の前で彦星くんは巨大な牛に変わったのだ。あんなことができるのだから人間に変身することできるだろう。
「彦星くん! よかった!」
「蛍ちゃんも無事でよかった……! ってだからそいつから離れて!」
蛍ちゃんと呼ばれた少女はキッ、と式神を見た。式神は柔らかな微笑を浮かべた。
妹はルカジャンに強化を受けている。目の前の少女はどう考えても年下の妹の範疇だろう。
一言だ。一言罵倒すればこの少女は無力化できる。
「『だま――』―――!?」
バコンと式神の顎が跳ね上がった。式神はたたらを踏む。
(なんだ? なにがわたくしを妨害――人形!?)
式神が空に見たのはオレンジ色のドレスを聞いた人形だった。蛍が抱えていた人形、ミーちゃんである。ルカジャンが人形の妹をより強化したため、ミーちゃんは極めて強力な自立行動が可能になっていた。
だが、ルカジャンとは遠く離れた場所にいる者には知る由もないことだった。
蛍は……式神の悪意を幼心に感知した。彦星くんが危ない奴というからには危ない人なのだろう。ミーちゃんが、攻撃したということは、絶対に悪い人なんだろう。
「彦星くんを……いじめるなぁ!!」
式神は恐れ、そして怒った蛍に両手で押された。見も知らぬ、ルカジャン・ゲイリーが強化した、妹である佐々木蛍にである。
式神はオールドローズに殴り飛ばされたのと同じくらいの勢いでぶっ飛んだ。ズシャーと地面を滑ってその場に横たわる。
「……えっ?! ―――」
蛍は自分がなした異常な出来事にショックを受ける。式神に関連する精神的な衝撃。蛍の心は真っ白になった。式神は気絶する寸前に、震える手をあげて大声で告げた。
「……《“人形”にかんしてぜえんぶ、忘れろ》」
カチンと蛍は固まった。そしてあっという間に銅像と化す。人形を強く意識していることが銅像から逃れる条件だ。
「ま、負け、負け、わたくし、負けて……な……い……」
式神はこれにて引き分け、と満足げに意識を失った。半死半生のごとき有り様でも、年端も行かぬ少女を相手にしても式神彩人は容赦なしに外道で、負けず嫌いだった。
「わぁあああああああああ! お前ぇぇぇぇ!!」
ダーススターは彦星の姿のまま走ろうとするがよちよち歩きしかできなかった。故にダークスターは変身する。彼はトレンチコートと白仮面の姿に戻った。デフォルトのダークスターは蛍を触る。彼女は銅像となっていた。他の大人や参加者と同じように。
「う、ううう、大丈夫かな? 大丈夫だよね。ああ、見知った相手がこうなると不安になる……いや見知ったというより可愛い相手?! ていうかぁ!」
ダークスターはバタバタと走って完全に意識を失っている式神の元まで行く。包帯が千切れ、体中傷だらけ、執事服も破けていた。それでも式神は微笑んで気絶している。
「起きろ! 蛍ちゃんを元に戻せ!」
バシバシと式神の頬を叩くが、彼は脱力しきっていた。
「うゆ? うゆゆ!」
ひたすら執事の頬を叩いていたダークスターは、式神の懐から
そしてようやくダークスターは自分が願いを叶えるためにショコラガーデンへ来ていたことを思い出した。
「……うへ、うへへへへ!! ラッキー! こりゃぼくにも運が向いてきたかな? お腹が弾け飛びそうなほど痛いけど!! あ、でもどーしよっかなぁ。願いは蛍ちゃんを元に戻すことに使うことになっちゃうのかな? 誰に聞けばいいんだろう? ていうか他のパーツはどこにあるのかな?」
あっちかな? こっちかな? とキョロキョロ挙動不審な行動をしながらダークスターはホテルへと向かった。
フェリティシアは動物の群れをいなして地面に縫い付けることを繰り返していた。
だが。
「くっ……!!」
大狼がフェリティシアの側面に着地、彼女の頭を噛み砕こうとした。フェリティシアは盾のごとき組み上げた無数の人形で大狼の横っ面を弾き飛ばす。
大狼はその勢いに逆らわず、木々の向こう側へと消えていった。
「ああ、もう、なんて小賢しい!」
一撃入れようとしては、離脱。一撃入れようとしては、離脱。大狼は他の動物銅像たちは違い、意識の間隙を縫って嫌らしく立ち回ってくる。それは戦術的ということだった。
「ああ、壊したい! でも破壊は駄目なんだよね! さっき私、壊されたから知ってる!」
自爆人形を使って、ルカジャンの不興を買い、体を破砕されたのは記憶に新しい。もし賢一がカバーしてくれなければ、八つ裂きにされていただろう。
人が作って使った自爆人形すら妹と解釈して激昂するのだ。ここで関係が深そうな妹を壊したら、何が起こるかわかったものではない。
「あーもう!」
フェリティシアは上空から鉤爪人形を雨のように降らした。互いに糸で繋がった
鉤爪人形たちは、銅像たちを縫い付けて縫い付けて――。
ガリッ、と何かが削れる音がいた。聞き慣れた音だ。壊しはしないが、銅像の表面を削ってしまうのは何度か繰り返している。
聞き慣れていても、起こった現象は禁忌の一つだった。
大狼の足には、『アルテミス』”我が兄に捧ぐ” ケイリー作というプレートが取り付けられていた。
そのプレートが、盛大に鉤爪で傷つけられていた。
「―――あー、ミス・アルテミス?」
「―――――――――――――!!!!!!」
銅像は吠えない。だがフェリティシアには悲痛と激怒に満ちた虚空の叫び声が聞こえた。
大狼はその足を自壊させるレベルでフェリティシアへ飛び掛かり。
「はやッ―――」
甲高い金属音を立てて、フェリティシアの肩から上が噛みちぎられた。
フェリティシアは倒れる。
大狼と動物たちはフェリティシアの身体へ殺到して、貪り始めた。
その寸前、セリーヌがフェリティシアのハートを持って飛び出した。小さな身体で急いで、木陰へ向かう。
木陰には、先ほど賢一が投げた四角いカバンがあった。セリーヌはそのカバンを開けて、ハートを持ったまま入り込んだ。
それを見ていたのは兎だった。兎は跳ねてカバンの前まで来ると、それを噛みちぎろうとして――真っ二つになって地面に倒れた。
大狼と動物たちはいっせいにカバンの方を見る。カバンが開いて――そこから黒衣の人形が起き上がった。
そして、その黒衣の人形は目を開く――青い瞳だった。
「胸が小さすぎるね。腰つきは綺麗だけど、スレンダー一辺倒は趣味が合わない――」
フェリティシアは右手に持った大剣を動物の群れたちに突きつけた。
「でも悪くはない。いい人形だよ―――そもそもさ、良い人形に配慮するのはいいんだけど、なんで私が貴女たちに慮らないといけないの? 私が乗るのは人形の話だけだよ。
もう、気にしない。逃げなよ、アルテミス一同。引くなら、私は――何もしない」
大剣を振るって、周り、踊るように動く。そのフェリティシアが作った人形が軍団を作り、その先頭に、大剣を振るうことに最適化された黒衣の身体を持つフェリティシアが立つ。
「でも、来るなら、壊すよ」
大狼と動物の群れはフェリティシアへ向かって一斉に襲い掛かった。
ショコラガーデン一階、階段下に現れた第三者はダークスターだった。
「うゆ? 賢一くんと、妹強化の王子様!」
ルカジャンはダークスターの姿を確認すると階段から立ち上がった。
「俺と賢一で二つ、彼が持っているので三つ。合わせて五つ。これで全てが揃う」
ルカジャンの説明を聞いたダークスターは無邪気に喜んだ。
「やった、やった! ああ、君らに聞きたいんだけど、銅像になった人でどーすれば戻るの?」
不躾な問いだったがルカジャンは答えた。
「
非参加者が銅像となったのは非参加者の排除のためだ。人形という概念を強く意識すれば石化現象から逃れられる仕組みだ。ファジーで雑なルールだが、これを作った古代人の変能に文句を言ったところで仕様がない。
ダークスターは安心した。これで自分の願いを遠慮なく
「うひひっ! 最高! 憂いなし!」
「ま、そうだな……」
賢一はダークスターに同意しつつも、三日月を傍に寄せて臨戦態勢をとった。漆黒の三日月は、彼の傍に立つように剣を構える。欠けた闇を担い手で満たすように。
ルカジャンは階段を一歩下へ下がった。再びショコラガーデン全体が揺れ始める。
戦いの時だ。時刻は二十一時。そして流れるあの音声。
『皆さま、明かりを落とさせていただきます。足元に気を付けて、その場から動かないようにお願いいたします。では、消灯します』
パチンと明かりが消えて、ルカジャン・ゲイリーは懐から拳銃を取り出した。
「だから……よこしてもらうぞ! 全てのピースを!」
階段上、吹き抜け二階の窓ガラスが砕け散り、破片が一階にいる賢一とダークスターに降り注ぐ。ルカジャンが立っていた階段の手すりが鞭のようにしなり二人に襲い掛かってくる。
そしてルカジャン当人もまた、賢一とダークスターへ向かって躍りかかってきた。
ガキャンと黒と黒の狭間で火花が散った。黒い人形の剣がギギギッっと、ルカが掲げる拳銃を押し込む。ルカジャンはそれを思いっきり跳ね除けると、脱力しきったような挙動で賢一に銃を向け早撃ちを行った。
すぐさま、三日月は自身の使い手を引きずるようにして移動した。賢一は銃弾を避け、その場を離脱し、遮蔽物へと身を隠す。
ルカジャンはゆったりとした足取りで賢一を追う。ただ自慢の妹を誇るような慈愛に満ちた目で、自身の銃と手のひらに口づけを行っている。熱いだろうし、汚れているだろうに、それがなんだと言わんばかりに超然としていた。
「……なんでアイツが戦えてんのかわかった。要はあれだ、あの銃と服は、俺の三日月と同じってわけかい?」
片手をまるで単体の生き物のごとくうごめかせるが、三日月はぎこちない動きしかない。
ルカジャンの凶弾は、一本一本、満月を制御するための糸を打ち抜いた。空から降り注いだガラスの破片も、糸を切り裂き。階段から迫った手すりも糸を断ち切った。操作の効きがひどく悪化している。
あの王子服こそ戦う妹で、あの銃こそ撃つ妹、そしてそれをサポートする兄――あの黒幕は、そういう構図だ。
ホテルそのものに襲われて、ダークスターともはぐれてしまった。絶体絶命だった。
がちりとぎこちない音を響かせてと、三日月が賢一の前に降り立った。剣を両手で逆手に持ち、王の前に立つ騎士のように姿勢を正す。その様を見て冬川賢一は、自身が操っているのにもかかわらず怪訝な顔をしたが一瞬後、にやりと笑い、人差し指を立てて、彼女に笑いかけた。
「死ぬときゃ一緒だ、置いてかねーよ」
「いいや、パーツだけは置いていけ」
ルカジャンは賢一があずけていた障害物に片手をついて逆立ちをし、銃を突き付け、ようとしたが手首を綺麗に捻りあげられて、見当違いの方向へと銃弾を撃った。
ルカは舌うちをすることもなく、ただ無音で空いている手を賢一に突き出す。
賢一はそれをいなし、銃を持っている手をひっぱりルカを確保しようとするが、奇妙なことに銃そのものがルカの指の上を一回転し、小指と薬指で撃てる状態で賢一に突き付けられた。
「……!?」
賢一は驚いたように手を放し、銃そのもの吹き飛ばすように払いのけた。そして同時に蹴りと銃の持ち直しからの発射が行われた。重い蹴りと音と発砲音が同時に響く。二人は互いに視線をやりながら、その結末を垣間見て――。
「……ふざけ……」
「……嘘だろ?」
ルカジャン・ゲイリーはどさりと気絶する。その脇腹は服(妹)の防護なく剥き出しにされていた。ギリギリのギリギリで、このシスコンは、妹を守るために自分の身を差し出したのだ。妹を身代わりに差し出せば、勝てたかもしれないのに、それでも。
賢一は自分の両耳を塞ぐように頭を抱え、一歩後ずさった。
それはありえてはならないことだった。人形師・冬川賢一が絶対にやらないことだった。その現実が、目の前に存在する……。
三日月が、銃弾を受け止めていた。彼の前で、彼を守るようにして。
「あ、ああ……!?」
それだけならば良いのだ。賢一は人形を傷つけないとは言え、傷がついた人形を愛さないわけではない。壊れれば、また治せばよい。それもまた人形の素晴らしさであり、美点だ。
だが、違う。これは話が違う。
パチンと明かりがついた。
『次回の消灯は二十二時からとなります。それまでご歓談ください』
人形、三日月は自分の意思でその身を犠牲にして、賢一を守った。照らされた明かりの下のは胸の大部分が砕け散った黒衣の人形が立っていた。
「お、俺は……自分が助かるために……!?」
さてここまで来たのだから開陳しよう。冬川賢一の変能は何か。明け透けな賢一ですら自分からは説明しない、その能力は、“人形を人間に変えること”。
意思のない人形を愛する賢一とあまりにも矛盾した変能だった。だから彼は自身の変能を自覚してから一度だって能力を使ったことがない。使うつもりもなかった。
だが容赦のない弾丸を、避けられないと自覚した時、彼の生存本能がちらりと、ほんの少しだけ変能を発動させた。
それでも三日月は動かないはずだった。賢一は変質者と断じて良いほど強い思想を持つ人形性愛者であり、強すぎる愛情は生存本能さえも押しとどめていたはずだ。
それはそれで三日月に心を与えた瞬間に賢一が死亡する瞬間を眺めることしかできない残酷な所業だったが、話はそれで終わらなかった。
そうルカジャンの妹を強化する変能である。三日月はルカジャンの年下の、女性の、物体であり、強化と意思を施されていた。
三日月は愛されている人形であるが故に意思を拒絶したが……賢一からの変能(呼び声)を聞いた時、彼女は即座に意識を所持し、自ら動き、賢一を守った。
二人の変能が合わさり、三日月は、その瞬間動くことができた。それが真相である。だが、賢一が切っ掛けであることには変わりはない。賢一の変能が、三日月の意思を作り、彼女自身に、賢一を守らせた。
賢一は胸に大穴が開いた愛しい黒衣の人形を見る。
恐慌し、絶望する彼に、三日月が振り向く、ただの人形でしかなかった彼女の顔に表情が浮かんでいた。
それはとびきりの笑顔。
本当に本当にうれしそうに、邪気も恨みも何一つなく、命なき人の躯の仕組みがボロボロになっているだろうに。彼女は、ただ一言、言った。
「よかったわ」
そして彼女は倒れた。賢一の半身は――三日月のその華奢な体躯は、ピクリとも動かない。
「……あっ」
賢一はふらふらと三日月に駆け寄り、その身体に触れる――暖かった。
「ああ―――これは駄目だ」
賢一はルカジャンが所持していたパーツを手に取ると、ふらふらとした足取りでホールへ向かう。
そこには頭から床へ埋まって気絶しているダークスターがいた。賢一はダークスターからもパーツを奪う。
五つ揃った。賢一は震える手で頭、右腕、左腕、右足、左足のパーツを並べた。
「……おや、なんだ、ルカは負けたのか?」
その人型の光は、ホールのテーブルに腰かけ、足を組んで恐ろしくふてぶてしくつぶやいた。
「少し残念だがしょうがない、そこの少年、願いをさっさと言え――」
「―――――……………おえ……うえっ」
「え?」
賢一は頭を床に擦り付けて号泣した。どんな願いも叶える小宇宙、
バン! とパーティ会場、ホール出入り口が開かれる。現れたのはフェリティシアだった。三日月とまったく同じ容姿をした青い目をした人形遣いはズカズカと力強い足取りで光り輝く
「なんかよくわからないけど、勝ったんだね、賢一。
「んー? 私だぜお姉さん」
光り輝く人影に言われてフェリティシアはそちらへ視線を向けた。異様に美しい少女だった。
「……ちょっと失礼」
フェリティシアは泣きわめいてる賢一の横を通り、その発光する少女の頬に触れた。
少女の目を覗き込む。
「うん、思い違いじゃない……天然もの。あなた人間じゃない。嘘はよくないよ。
どこまでも冷静な言い方だったが、微妙に声が震えていた。なにか嫌な予感、予兆というものを察知してしまったのだろうか。
「元人間で、現人形さ。人間を作って願望機を作りたい、嫌らしい戦争ゲームを引き起こしたい、そんな変能の犠牲者。それが私ってわけだ」
「う、うそだよ……。そんなのうそだよ……。小宇宙を再現することで願いを叶える、人形だって、私も賢一も、分析したのに……!」
「おいおいお姉さん、知らないのかい。
「……うわぁ」
フェリティシアは自分を顔を平手でぱちりと叩くと、くらくらとしていた。
「と」
「と?」
「徒労! 徒労! 徒労だよ! ひどすぎるよ! 私、私達、なんのために頑張ってたの!?」
「うーん、何が不満かよくわからないや」
「不満しかないよ! 私は人形の可能性を追求しているのさ! 人間じゃない!! 人間を犠牲にしなきゃ
最後は悲鳴のごとき叫びだった。骨折り損のくたびれ儲けだった。だがフェリティシアはまだマシな方だ。賢一は半身を失った。それも極めて最悪な形で。さらには愛でることを願った
それは壊れた三日月と号泣する賢一を見ればわかる。フェリティシアはがくりと肩を落としながら嗚咽を漏らす賢一へ告げる。
「賢一、あなたが願いを使いなさい」
「……いいのか?」
か細い声だった。
「いいよ。勝ったのはあなたなんだから」
「……こんなん勝ったって言えるかよ」
「そりゃそうね。まぁ、この身体の代わりってことで納得してちょうだい。すぐに修理できないのはあなたにとって辛いと思うし」
「……そういうわけじゃ、ないんだがな」
例え修理用のボディがあったところで、賢一の絶望は薄まらない。三日月は、命を得て、壊れて、死んだのだ。死んだ命は戻らない。
それこそ、“奇蹟”でもない限り。
光り輝く少女は肩を竦めると酷い顔をしている賢一へ言った。
「さぁ、勝った変能くん、願いを言うと良い」
「俺の、俺の願いは――――」
オールドローズは意識を取り戻すと心臓に突き刺さった杭を抜き取った。
「ふー……あの執事絶対許さん、ぶっ殺してやる。―――あ?」
オールドローズの聴力は少し離れたパーティ会場のざわめきを聞き取る。銅像と化していた人間たちが元に戻ったのだろう。
それは今夜の祭りが終わったことを意味していた。
「………………ああ、なんだこれは? 暇つぶしだろう。私にとっては暇つぶしでしかないはずだった、そのはずだ。化け物らしくもないな……コレは」
オールドローズは、哂えなかった。いつのまにか本気になっていた。
本気で聡のために勝ちたかった。オールドローズは顔を顰める。
悔しい。……あまりにも、悔しい。せめて一回くらいは勝利をしたかった。変能相手など関係ない。私も変能なのだから。
そして彼女の聴覚は彼の足音を捉える。
「よぉ、オールドローズ」
横たわったオールドローズの傍に近づいてきたのは聡だった。
「すまな」
「ああ、謝るなよ。お前は本気でやってたし、僕だって本気でやってた。謝ることなんて一個もないだろ?」
「………」
「なーんてな! 全部お前のせいだよ! くくくっ」
「はっ、……余計な一言を付け足すな……面白い男だ」
「なぁ、オールドローズ」
「なんだ」
「僕はお前の暇を潰せたか?」
「ああ、充分だ。充分だよ」
酷い夜だった。オールドローズの八百年の中でも一、二を争うほど何もうまくいかなかった。勝利は掴めず、パーツは奪えず、憎んでいた変能は自分自身であったことを突きつけられて。
だが、それでも、失うだけだったかというとそうでもない。オールドローズに暇を忘れさせるほどに、絶望を忘れられるほどに愉快な人間と主従となれた。
充分だ。
「そうか、じゃあ、この関係、継続するか?」
「――――………」
だから聡のその提案はオールドローズの充分以上だった。
「相手が悪かっただけだ。お前は最強の吸血鬼なんだろ? だったらさ、それを従える僕って最高に恵まれているじゃん? それを捨てるのは惜しくてさぁ……」
「ああ……そうなのか? だが、私を従えるということは人間社会から背を向けるということになる……」
「別にいいよ、どーせろくな人生じゃなかったしね。いや今日もろくな日じゃなかったけどさ、明日があるだろ? お前が最強無敵パワーで明日からずーっと僕を幸せにすれば不幸の元が取れると思うんだけど、どーよ」
「………………いいだろう、我が主。私の暇の全てを捧げよう。なぁにこれでも長い生を生きているんだ。お前を幸せにするくらいわけないさ……」
そんなことを呟いてオールドローズと鴨野聡は、夜の闇へと消えていった。
常盤しずねが意識を取り戻した時、周りには誰もいなかった。一人ぼっちで、庭園の奥に倒れていた。
起き上がる。立ち上がって、周りを見回す。
「式神?」
しずねが殴り飛ばし、オールドローズに殴り飛ばされた、ひどい怪我を負った式神の姿はどこにもなかった。
あの状態になってなお、式神は動いたのか?
しずねは熱に浮かされたようにパーティ会場へと歩いて行った。
行く途中、庭園を見回すが、やはり式神はどこにもいない。ちょうどしずねが殴り飛ばしたように、木々を数本巻き込んで誰かが突っ込んだような跡が一つあったが、そこにも式神はいなかった。
ただ一枚の紙が置いてあった。
『この手紙を見つけた方は、ショコラガーデンにいる常盤しずね様へ届けてください。
さて、しずねさん、ご協力感謝いたします。あなたのおかげでわたくしは七月七日、健闘することができました。謝礼として一億円をしずねさんの口座に振り込みましたのでご収査ください。
あなたが素敵な方になることを、陰ながら応援しています。
式神彩人より』
「式神……」
恨み言は一言もなかった。
「式、神ィ!」
事務的な文章と、小さなエールがあった。
あれは悪魔のような執事だった。外道で、鬼畜で、サディストで、負けず嫌いで、イカレていて容赦がなく慇懃無礼で……それでも彼は、一生懸命なだけだった。
「あなたは、私に期待してくれるのですか! 期待をしてくれたのですか!」
もしも式神がしずねを本当に、ただの協力者でしかないと本気で思っていたのなら、しずねは折れていただろう。
だが違う。式神は嫌いではないと、しずねに言った。応援していると、しずねに言った。万が一己が傅くお嬢様となってくれれば嬉しいという計算まじりの下心であれど……しずねでも、“お嬢様”になるかもしれないと、式神は考えたのだ。
それが嬉しくてたまらない。
「いいでしょう! 破滅も! 自滅も跳ね返します! 私は、あなたを諦めない!!」
しずねは背筋を伸ばし、勇ましい歩みでホテルの建物へ向かって歩き出した。
蛍がふと気づくと、目の前には何もいなくなっていた。傷つけてしまった重傷者も、彦星くんの姿もなく、なぜか庭園にポツンと一人で立っていた。
「う……う……」
また一人になってしまったと、蛍は泣きながらトボトボとホテルへ向かって歩き出す。
するとなぜかがやがやと人の声がした。
「え?」
蛍は走ってパーティ会場まで行く。するとそこにはキョロキョロとあたりを見渡してる大人たちがいた。
「元に、戻ってる……?」
蛍がホールの中に入るとホテル職員が慌ただしく動き回り、パーティ参加者は一か所に集められていた。
床に転がっている壊れた武器と警察手帳を持った数十人の大人たちを全員をホテル職員は診ていた。
オーナー自身が焦った様子で電話している。電話している先は病院のようだ。隣にいるもう一人の職員は警察に電話してる様子だった。
だが蛍にはそんなことは重要ではなかった。
「蛍―! どこだ!」
「蛍ちゃん、どこなの?」
「……パパ! ママ!!」
蛍は自分の名前を一生懸命呼んでいる二人の男女……親である佐々木夫妻の元に飛び込んだ。
「ああ、よかった!! 無事だったの!」
「うん……うん……!」
「いったい何が起こったか心配で……四時間近くも経っていて……もうわけがわからない。ホテルもボロボロになっているし……」
「あのね、あのね。ホテルがね、ぼわぁー! って動いて、怖い人もいっぱいいて、でも彦星くんが守ってくれて……彦星くん?」
「「彦星くん?」」
蛍の両親は首を傾げる。だが蛍はそれどころじゃなかった。
「そうだ! 彦星くんはどこ!? 彦星くん!?」
蛍はパーティ会場を見渡すが彦星くんの姿はなかった。あるのは疲れた様子で壁に寄り掛かる織姫ちゃんだけだった。その織姫ちゃんもホテルの職員に手を引かれてホールの外へと出て行く。
「彦星くん………うう」
いなくなってしまった着ぐるみに蛍は顔を俯ける。両親は要領を得ない蛍に困惑しかできない。だがそれでも、不安で泣いているのだと思った母は蛍を抱きしめ、父は蛍と母を抱きしめた。
だがやはり蛍にとってはそれどころではない。
「ちょっと待ってて!」
「あ、蛍、待って! ここにいてくださいってホテルの人が……!」
母の言葉を後ろにしながら蛍は庭園に戻った。そしてキョロキョロと探すが、やはり着ぐるみの彦星は見当たらない。
「……彦星くん」
小さな呟き……に応える者があった。
「蛍ちゃん、ミーちゃんを落としちゃダメって言ったでしょ?」
「……え!? どこ、彦星くん!?」
蛍は声がした方向がどこかわからなかった。
「下だよ、下」
「……え?」
蛍は地面にしゃがむ。そこには蛍の人形、ミーちゃんを背負った齧歯類の生き物がいた。
「いひゃひゃひゃ」
「彦星くん……ちっちゃくなれるの?」
「なれるなれる。ほら、ミーちゃんとって」
「うん……」
蛍はダークスターの背に乗ったミーちゃんを手に取って抱えた。
「いやあ、もうだめかと思ったけど。そのミーちゃんが助けてくれたんだよねぇ」
「ホント?」
「ホントホント。床に埋めて危機から隠してくれたのさ、痛い助け方だったよ……じゃ、ぼくはもう行くから! パパとママが無事でよかったね!」
「待って!」
「ん?」
「その……うちにこない?」
「ぼくを? ぼくを飼っちゃうの?」
「うん……だって、かわいいハムスターだし、きっと飼えるよ!」
そう。ずっとダークスターが変身していた漆黒の齧歯類とはつまり、ハムスターだった。ダークスターは、蛍の言葉に笑った。
「かわいいハムスター? うんうんそーだね! だってぼく、ダーク“ハム”スターだもん!」
ルカジャンはホテルの門から外に出た。
後ろから声が掛けられる。
「ルカジャン。それで私はどうすればいいんだ?」
「適当な戸籍でも用意するさ。妹に協力してもらえば容易い」
「しかし、まさか君が勝てないとはねぇ。私が知る中でもっとも応用力が高い変能だったのだが」
「そんなものに価値などない。それに妹も悪くはない……。悪いのは私であり、強かったのは、彼らだった。それだけだろう」
「ルカジャン」
「なんだ」
「なんで私を見ないんだい? もう私になんかかけらも興味ないかい?」
「………16歳と1016歳が重なった状態であるからな。少し扱い辛かっただけだ。安心しろ。妹ではあるのだから、最後まで面倒を見るさ。俺が始めた争奪戦の後始末ぐらいはする……。しかし、ミクロコスモス。お前、人間だったんだな」
「もともと人間で、元究極の人形で、現人間さ。いやぁ、残念だったねぇ、願いがかなえられなくてさ」
「なに……残念ではないさ」
ルカジャンは知っている。どんな変能もハッピーエンドに辿り着けなかった。誰も彼も大団円と言えず、苦み走った終わりを迎えた。
それでも、それでも。
「妹も
「前向きだね」
ルカジャンは肩を竦めた。
「妹の前で嘆く兄などいるかよ」
庭園に並んで立っているのはフェリティシア・ルノアールと冬川賢一、そして三日月だった。
賢一の隣には、いつものように黒い彼女がいた。しかし、その様子がおかしい。なぜか、オロオロしていた。まるで人間のように手を迷わせ、まるで人間のように焦った顔をし、自身の製作者にして主に声を掛けている。
「……あのぉ?ご主人様ぁ? 大丈夫かしらぁ?」
「おごぉ」
まるでダークスターのように喘いで賢一は下を向いた。フェリティシアは呆れる。
「あのね、賢一、あなたが願ったことでしょーが。唸るなとは言わないけどせめて受け入れなさいよ。―――『ここにいる二人の人間の女の子を生き返らせてください』、って言ったんだからさぁ」
「えげぇ」
「えげぇってなんだよ」
賢一は
「……ご主人様ぁ? 私、迷惑ですか?」
「うぐぅ……いや、迷惑ではねぇよ。俺はお前を尊重する。三日月、お前は人間だ」
「違うわぁ、私はご主人様のモノよぉ」
「お、おい、三日月? 別に無理する必要はないんだぞ……?」
「無理なんかしてないわ。人間になっても私はあなたの、あなただけの人形よ?」
「う、ううーん? 意思がある人間だからなぁ……ちょい管轄外っつーか……あー……」
賢一は錯綜する想いを言葉にする。
「意思ってのは尊いものなんだよ。意思があるなら、そりゃ生きてるってことだ。三日月。モノなんて言うな、お前は選べるんだから」
「ご主人様は?」
「あ?」
「ご主人様は、私を選んでくれるぅ?」
「でもまぁ……これもわるくない気がしてきた」
「落ち着け変態。混乱して本願が飛んでるよ」
フェリティシアはパシンと賢一の頭を叩いた。
そして二十二時。七夕パーティの終わりを告げる、録音されていたアナウンス音声が流れた。慌ただしくホテル職員が突然のフロアの破砕や気絶している霊対の保護等をしていたせいで、自動消灯とアナウンスを切るのを忘れていたらしい。
『皆さま、明かりを落とさせていただきます。足元に気を付けて、その場から動かないようにお願いいたします。では、消灯します』
当たりの明かりが消えて真っ暗になる。最後の消灯。ホテルの人間が銅像になることはなかた。ようやく、七夕パーティの人々は暗闇の中で夜空を見上げることが叶った。
賢一もフェリティシアも三日月も、ダークスターも佐々木蛍も、オールドローズも鴨野聡も、式神彩人も常盤しずねも、ルカジャン・ゲイリーもミクロコスモスも、それぞれの場所で夜空を見上げた。ようやく彦星と織姫を眺めることができた。
「七夕ってのはさぁ」
「ええ」
「願い事を短冊に書き、竹に吊るして願望成就を願う行事でもあるんだぜ。……誰の願いも叶わなかったけどな!!」
「皮肉な話ね」
「俺たちみんな道化だぜ」
「何言ってるのよ……あなたたちみぃんな、ハードボイルドだったよ!」
これにて終幕。