決着の決塔 【パレード(2/3)】
〈勇者〉一行との接触を終え、気を取り直して。鏡夜は薄浅葱のように指を鳴らして配膳機を呼び寄せる。
「コーヒーお願いしますね?」
コレリエッタが淹れたちょっと薄めのコーヒーを飲みながら考える。
「さー、て、どうしましょっかねぇ」
今朝の当初の予定では、常識を調べるためにいろいろする予定だった。しかし、所詮は何もわかっていなかった時の暫定だ。
まさにうってつけのバレッタがいる以上、彼女を質問攻めにした方がいいだろう。というわけで、バレッタをしばらく借りていいか華澄に聞いてみたところ。
「申し訳ないですけれど、無理ですわ」
と、断られた。
「わたくし〈Q-z〉事件特別対策本部 外部特別顧問、という肩書を背負っておりますから本業をしなくてはならないんですの。『カーテンコール』の残骸を洗ったり、現場を調査したりにバレッタが必要ですわ。もちろん、明日のダンジョンアタックには参加いたしますの。でも今は……」
「わかりました、仕方ないですね」
「もしよかったら、ご一緒します?」
「うーん……。というか〈Q-z〉って関わってくるんですか? 『カーテンコール』はスクラップに変えたわけじゃないですか」
鏡夜は部品をまき散らして倒れた砲弾型巨大戦闘機械、クエスト『カーテンコール』を思い返しつつ言った。
「普通に考えれば、警備も厳重になるわけでもう大丈夫と安心するでしょう。浪漫で考えれば終わるわけがありませんの」
奇妙な言い回しだが、アルガグラムの構成員が敵である以上、浪漫というワードはついて回る。つまり、華澄流の言い方で。
「このままではすまないと。わかりました、興味もありますし、ついていきます」
鏡夜は華澄についていくことした。常識の調査、たしかに必要だ。ただし、決着の塔関係の情報がもっと必要だ。優先順位の問題である。
ステージホールへ向かって歩いていく。冒険者たち全員が退去したエントランスに通りがかると四人の少女が無人の担架マシーンで運ばれているのに出くわした。
がっしりした長方形の台に寝そべっている個性豊かな種族の見目麗しい少女たち。見ていて痛々しいほどボロボロだ。
「あれは……」
自動的に運ばれていく少女たちを端に寄って見送ると、さらに向こうから一人の青年が歩いてきていた。右目に包帯を巻き、左腕をギプスで吊っているが間違いない。薄浅葱と同じようにテレビに映っていた勇士だ。背筋を伸ばして堂々と歩いている青年に、鏡夜は帽子へ手をやりつつ快活に話しかける。
「これはこれは――。初めまして、私、灰原鏡夜と申します」
「あー……悪いんだが、どちらさんだ?」
黒目黒髪の青年は不機嫌そうに尋ねた。
「はい。皆様とご一緒に【決着の塔】に挑むことになった、勇士……ですよ。こちらは協力者の不語桃音さんと白百合華澄さん、バレッタ・パストリシアさんです」
鏡夜は舐められないように礼儀正しく名乗る。疲れたような、落ち込んだような顔をしていた青年は、残った片目と口を小さく驚きの形にした。
「そうか、お前が『カーテンコール』を。なら名乗らないわけにはいかないか。俺は久竜晴水――。決着の塔の挑戦者だ」
「くすくす……〈英雄〉様ですね」
バレッタの説明に久竜は肩を竦めた。そして左腕に痛みが走ったのか眉をしかめる。
(さて、〈英雄〉、久竜さんね。ライバルだ。薄浅葱さんに倣って少し探りを入れるか)
「怪我、どうなさいました?」
「障害がなくなって、開いたからな。【決着の塔】に挑んで、全滅した。俺は目と腕しかやられてないから最低限の治療でも動けるが……仲間は未だにボロボロで……守れなかった。クソッ」
淡々と何かを押し殺すように悔恨に濡れたような口調。鏡夜は帽子で目を隠しながら言った。
「心中お察しします」
「もう行っていいか?」
久竜は担架マシーンで運ばれていった少女たちを遠くに見ながら言う。いや、まだまだ、もったいない、と鏡夜はダメ元で陽気に尋ねた。
「何か決着の塔について教えてくれたりは……?」
久竜はしょうがないものを見るように言った。
「俺たち敵だぞ、甘えるな」
「ですよねー。失礼しましたっ! では最後に一つだけ――。〈決着〉についてどう思われますか?」
鏡夜の価値あると評された問いに、晴水は仕方なさそうに答えた。
「あるもんはしょうがないだろ。どれだけ祈ったってなかったことにはできない。ただ……誰がどんな願いを叶えるかわかったもんじゃないからな。今はこんな様だが、誰にもやるつもりはない」
「ではあなたがもし決着を手に入れたら――」
「最後に一つ、って言ったよな?」
久竜の無表情な問いに、鏡夜は笑顔の仮面をつけたまま頷く。
「そうですか。そうですか。ああ、ありがとうございます。参考になりました。私が〈決着〉を手に入れる、ね」
「お前が手に入れられるとは、俺には到底思えないが」
鏡夜と晴水の視線が交差する。久竜は一言。
「じゃあな」
「ええ、また」
久竜は鏡夜の横を通って、担架で運ばれていった彼女たちを追いかけて行った。桃音が自己紹介カードを久竜へ先発投手ばりに投球(鋭く硬い紙)しようとしているのを食い止めながら、鏡夜は分析する。
ずいぶんとあたりが強かった。不機嫌だったのか。そもそも表面上は親しげな薄浅葱が例外であり、他の三人は彼のようなのか。とにかく、本当に参考にはなった。【決着の塔】は、彼が全滅するほどには難物らしい。
「ところで、久竜さんってどういう人なんです?」
説明したのはバレッタではなく沈黙を保っていた華澄だった。感情をうかがわせない静かな目で久竜の後ろ姿を見やっていた。
「〈勇者〉薄浅葱が世界を新たな局面に進めた未踏の勇者なら、〈英雄〉久竜晴水はこの星のダンジョンをもっとも多く攻略した冒険者ですの」
それは、わかりやすい。積み重ねた功績がイコール資格になっている。質より数の方が、鏡夜としては理解しやすかった。有機天使とか言われても実際イメージしづらいが、ダンジョン攻略数一番は、ただの数字だ。
ただ、仲間が全員ボロボロになって、本人も負傷したあの状態で、塔の攻略に支障はないのだろうか。そんなことが、鏡夜は気にかかった。
〈契暦1000年 1月1日 午後〉
エントランスからステージホールに戻ると、今朝挑戦した時とは打って変わって職員がごった返していた。共通した制服だろう黒スーツの他にも、白衣を着た人物や修理工のような作業着を着た人外なども混ざって作業をしている。
鏡夜たちの来訪を確認すると、現場の人間に指示をしていた染矢オペレーターが近づいてきた。
鏡夜は染矢を見た目の年齢と物腰で下っ端だと失礼にも思い込んでいた。しかし想像していたよりも彼女の地位は上のようだ。
「どうも、先ほどぶりです! みなさん!」
相変わらず元気いっぱいだ。心地よく空間に響く染矢の声を感じながら、鏡夜は応えた。
「進捗はどうです?」
「一応回収できるものは回収しましたね。『カーテンコール』も搬入は終わっています。形が丸々! 丸々残っているので!! 材料と加工を洗えば確実に! どこで作られたかくらいは! わかるはずです! もう〈Q‐z〉も無力ですよ!」
「適当なこと言わないんですの」
華澄はにべもなく染矢の希望的観測を切り捨てた。
「んぐっ!? すいません」
「通ってもよろしいですの?」
「はい!」
華澄は颯爽と染矢の横を通り過ぎる。染矢は歩みを止めない彼女に振り向いて話す。
「観測データの提出はー」
「あら、〈Pastricia〉の仕様、ご存知ありませんの?」
「知ってます! レポートでも構わないので対策本部のサーバーに送信しておいてください!」
「だ、そうですわ、詳細に送って差し上げて、バレッタ」
「くすくす……了解です、我が主」
豪奢でウェーブのかかった金髪をかき上げて進む華澄とバレッタ。ステージに上がっていく彼女たちについていく鏡夜と桃音。誰も彼も忙しそうな上に専門用語が飛び交っているのでわからないことが多すぎる鏡夜は迂闊に口も開けない。延々沈黙する桃音の気持ちがわかりそうだった。
塔の入り口への道が開かれる。幕が開かれていく。鏡夜は今朝も見た、上がっていく赤い幕と白い幕を見上げた。
「どうして幕、いちいち開いたり閉じたりしてるんですか? 華澄さん」
「わたくしは百パーセント嘘だと思っていますが、理由を聞かされましたの」
「なんです?」
「“私の趣味だよ―――白百合華澄くん”、と、柊王が」
そして中へ進み、塔の入り口の傍に立つと、バレッタは作業員の一人から脚立を借りて、黄色いペンキの宣戦布告からペンキを削り取り、小さな瓶に入れた。
バレッタが華澄の傍に戻り、瓶を彼女へ手渡す。華澄は瓶の中の、黄色い塵を見ながら職員に大声でお願いをした。
「じゃ、掃除してよろしいですわよー!」
「はーい!」
染矢の声がして、作業員たちがどんどんと塔の入り口で清掃を始める。
「もっと調べるとかしなくていいんですか? 証拠でしょう?」
鏡夜は消されていく英語の犯行声明を見ながら不思議そうに言った。詳しいことはわからないが、現場保存なんて用語が存在する以上、もう少し調査があると思ったのだが。
「くすくす。問題ありません、証拠はここに。……成分を解析し、ただいま観測した結果……」
バレッタは華澄が持っている瓶を指さした。
「ペンキですね」
「はぁ、見ればわかりますけど」
「くすくす……具体的に申し上げれば外壁塗装用のペンキですね。市販品です。種類から購入店を探し当てるのは、不可能に近いかと」
「そうですか、都合よくいかないものなんですね」
というか見ただけでわかるのか。と、鏡夜はハイテクっぷりに感心する。観測機械を見くびった、異邦人特有の感想である。鏡夜は、過去観測機械〈pastricia〉の反則っぷりを知らなかった。
黙って瓶の中の黄色い塵を見ていた華澄は、ようやく視線を外し、バレッタへ瓶を渡す。バレッタはそれを懐に仕舞うように、手の中から消した。どうやら銃火器を出し入れするあの不思議技術で収納したようだ。
華澄を先頭にして鏡夜たちは塔入口から決着の塔内部へ入る。赤いカーペットと石畳。第0フロアとも言うべき今朝の戦場だ。
回収できるものは回収し、『カーテンコール』も職員がドームへ搬入したことに嘘はないらしく、第0フロアには部品一つ、薬莢一つ転がっていなかった。
『カーテンコール』はともかくやたらめったら転がっていた薬莢も片付けるとは、ご苦労なことだ。鉄の匂いはわずかばかり残っているが。
華澄はぐるりと第0フロアを見回すと、バレッタに命じた。
「では、バレッタ、観測してくださいまし」
「くすくす。かしこまりました」|
バレッタはそう言って、なにもしなかった。ただじーっと、決着の塔、赤いカーペットが敷かれた場所に立っている。鏡夜はバレッタに聞いた。
「バレッタさんは、なにをしているんですか?」
「くすくす……〈過去〉を見ております」
「過去……?」
「くすくす、音声案内型過去観測機械〈Pastricia〉とは過去を映像ではなく、言葉によって観測することによって容量を軽くし、そして余った容量を全てスペックに割き、アルガグラムの歴史上類を見ない、一年の過去観測を可能にした機体です。我々は、過去を映像で見ていません。私たちは、口で観測したものを謳う案内型人形なのです……」
「……???」
「つまり……私は現在いる場所に限り、過去一年さかのぼって、観測できます」
「チートなのでは?」
過去観測機械パストリシアの無法ハイスペックに鏡夜は唖然とした。何も知らない、というデメリットに常日頃襲われ続けている、情報の大切さを痛感した鏡夜だからこそ驚く。一年前まで見通すスペック? それが存在することで、どれだけの文化と法が変化するのか、想像することもできない。
「くすくす。いえ、観測機械の全ての共通仕様、〈その場所でしか、観測できない〉という制約があります。我々はいま、ここからでのみ、観測できるのです」
「なるほど、だからわざわざ……しかし、高性能なことで。誰が作ったんですか?」
「人形使いですわ」
華澄の答えに、鏡夜は耳を疑った。
「人形使いとは〈pastricia〉シリーズの開発者でもあります」
「……なんで連れてきたんですか?」
鏡夜は先ほどの感動もどこかにやって華澄にツッコミを入れた。
「製作者なら騙し放題じゃないですか」
「一応わたくしが確認できる範囲では不正コードはありませんでしたのよ?」
華澄は淡々と言った。鏡夜はプログラムについて完全に無知なため、二の句が継げない。華澄はそんな鏡夜に対して冷静に続けた。
「油断はしておりませんわ。それでもなおパストリシアにバックドアがあるならば、連れて来てでも見たかったので。……人の従者にトラップを仕掛ける、なんて真似をされておりましたら、報いを受けていただく必要がありますもの」
(こいつ……)
関われば関わるほど白百合華澄という少女は判断や行動が苛烈かつシビアであることがわかる。華澄は、裏切りもトラップも考慮に入れた上で、バレッタ・パストリシアを運用しているのだ。
バレッタは気分を害した様子もなく、観測しつつも、ただ超然と鏡夜と華澄へ告げる。
「くすくす。灰原様、我が主。断言しましょう。私は決して創造主が創造物に施すバックドアなどというものによって不覚をとることはないと。私には、無意味ですから」
「無意味……?」
存在しないではなく? ありえないでもなく? 華澄はそうですか、と呟くと、微笑んだ。今となってはその微笑みも容赦のないものとしか鏡夜には感じられない。
「過去は見えましたの?」
バレッタは答える。
「くすくす、それはもう隅々まで。答えは〈なにも〉……ですね。『カーテンコール』に誰かが搭乗していた、何かが乗っていた、そういったことはありませんでした。轟音と薬莢が落ちる音、怒号とそして壊れ落ちた『カーテンコール』自身。過去一年、我々と勇士以外の姿はここにありません」
鏡夜は安心する。華澄が今朝のブリーフィングで危惧していた、『カーテンコール』内部に誰かが乗っていて決着の塔攻略を誰よりも先に達成する、というシナリオが否定されたのだ。
「どういう風に戦ったとかも見えてるんですか?」
鏡夜の問いに、バレッタは臨場感たっぷりな情緒を込めて語る。
「息遣いから、勇者がチラッと『カーテンコール』を見て、無理無理無理とおっしゃったのも、魔王が突貫して全滅して外の舞台に放り出された四天王を罵倒しながら退却したのも、先ほどの勇者一行が意気揚々とあちらの扉を開けて上に昇ったところまで。ばっちりと。お望みとあらば、より詳細に吟遊いたしますが」
「そこまではいりませんの。時間もかかりますしねぇ」
「映像で見たいですね……」
華澄の指示の後、鏡夜がした要望にバレッタは頭を下げた。
「くすくす。申し訳ありません。私は観測結果を謳う人形ですので」
「しかし、なぜ音声だけなんて縛りをするようになってるんですかね」
制限によってより過去まで見れる。発想は理解できるが、どこから着想を得たのだろう。鏡夜は気になったので聞いてみる。バレッタはくすくすと楽しそうに言った。
「〈Pastricia〉開発者、エーデルワイス様は、盲目なので……区別をつけるための特徴も〈笑い声〉という耳から捉える性質ですし、パストリシアのそもそもの製造目的は、音声案内なのもそういう理由があるんですよ……」
「へー……呪いですか?」
盲目の呪い。沈黙の呪いと同じく存在しそうだ。バレッタは首を横に振った。
「いえ、神も呪いも干渉しておりません、生物としての偶然の産物ですね」
生まれつきか。確かに鏡夜が元いた世界でも存在する。生物学がめちゃくちゃになってるこの異世界でも、例外はないようだ。しかし……。
「あー。えっ? ……呪いとか機械で、代用は?」
鏡夜は昨日、路上で遭遇した機械バイザーをつけた警察官を思い返しながら聞いた。そもそもこの世界の技術は、鏡夜の元の世界とは比較にならないくらい優れている部分が多い。バレッタは平静に答えた。
「できますね、祝福でも機械でも視覚代用は溢れております」
「なんでしなかったんでしょう?」
「くすくす、もともとアルガグラムは祝福や呪詛に限らず神話に手を出したがらない傾向があります。機械化の、さて理由は――きっと、本人に聞いた方がいいでしょうね」
煙に巻かれた。怖い。怪しいとしか言いようがない。そんなパストリシアを連れて来て平気な顔をしているのだから、白百合華澄は面の皮が厚い。
「本当にいいんですかー?」
鏡夜は何とは言わないが、再度確かめるように華澄に問う。華澄は天衣無縫の凛々しさを思わせるように髪をかき上げて答えた。
「ええ、わたくしの予定を決められるのは、わたくしだけですもの。人形使いに左右されはしませんの」
バレッタを信じてるとは言わないのが華澄らしい。
調査を一通り終えて、後は結果待ちですわ、と華澄が言うので、そこで別れることになった。
時刻は夕方。
明日も割合早いのだ、早く帰って早く寝ようと、帰路につく。今朝とは違い、多くの人と人外が貝那区を闊歩しており、乗り物も多種多様に行き交っていた。周囲は契国内の有名人である桃音と、彼女と並んで歩く鏡夜に注目していたが、早足で帰る鏡夜たちに声をかけるには、物理的に速度が足りなかった。
突然、高速機動し始めた桃音を追いかける形で鏡夜は、猛スピードで絢爛の森に辿り着く。絢爛の森には、申請と許可がなければ入れない。一般人から報道関係者まで、突然決着の塔に殴り込み、新たな代表者となった謎の人物、灰原鏡夜と接触を持つことはなかった。少なくとも今日は。
桃音の自宅に戻る鏡夜と桃音。
……夕飯を食べて、風呂に入り、リビングでのんびり本(桃音の蔵書の一つを借りた)を読んで、さて寝るかとソファから立ち上がると、鏡夜の眼前に桃音が立ちふさがった。
「んあ? どうしたんですか? 桃音さん?」
鏡夜はじーっと自分を見る桃音と目を合わせて、首を傾げる。すると桃音はラップトップPCの画面を鏡夜へ突きつけた。
「んー? 華澄さんからのメールですか」
細々と、協力への感謝やら攻略への意気込みが書かれたメールだった。その追記として、鏡夜向けの質問があった。
《聞きそびれてしまったのですけれど、鏡の能力に名前ございますか?》
「『それ本当に必要ですか?』って送っておいて下さ――おおう」
言っている途中でラップトップPCを開いたまま胸に押し付けられた。が、桃音はがっちりと側面を掴んだままだ。使ってもいいが、渡さないし変な操作もさせないとばかりの妙な体勢だった。
「えー、はいはいっと。『特に名前などはありませんが、それ本当に必要ですか?』と、はい送信」
鏡夜は桃音が差し出しているラップトップPCのキーボードを操作する。直感的に理解できる使いやすいユーザーインターフェイスだったので非常に助かった。
「とりあえず座りません? かなり面白い体勢になって〔You got mail〕来んのはえぇな!!」
鏡夜はメール着信音へツッコミを入れた後、ソファに座って、隣をぽんぽんと叩き桃音に座るよう誘導した。桃音はおずおずと鏡夜の隣に座り、ラップトップPCをそーっと、ソファ前の机に置いた。二人で一緒に画面を覗く。
《名前というのは重要ですわ。現実が整理されて、やりやすくなりますから。名前がないものを扱ってもらうのは大変ですもの》
「なるほど? 言われてみると、一理ありますね」
異世界特有の固有名詞や言い回しに四苦八苦している身としては、名前の大切さを痛感するばかりだ。振り回されるばかりで自分で考える余裕などなかった。
「ただこういうのって自分で考えるの気恥ずかしさがありますよねぇ」
「………」
桃音は不思議そうな顔で鏡夜を見た。
「まぁ、あまり深く考えなくてもいいでしょう。鏡現れるで《鏡現》で……どうですかね? 恥ずかしくない? ださくない? 大丈夫です?」
桃音は鏡夜の頭に手を置いて撫でた。もちろん意図はわからない。私は気にしない、と慰めているのかもしれないし。私は良いと思う、と肯定しているのかもしれないし。よくわからないまま、とにかく鏡夜を元気づけようとしているのかもしれない。鏡夜は、ありがとうございます、と呟いてPCに向かった。
「『ご忠告痛み入ります。では《(きょうげん)》にしようかと思います。ところで華澄さんは能力に名前をつけていますか?』……と」
鏡夜が送信してまた二十秒程度でメールが来る。
《狂言の鏡で《鏡現》、いいですわね。……あとわたくしも名前はつけてますわよ! 《クイックドロー》《ブービートラップ》、全て必殺技と言えますわ》
結構な空白を空けて。
《バレッタ・パストリシアより追記
早撃ち(クイックドロー)、(ブービートラップ)です。両方技術であり戦術ですね。我が主の強みの数々を全て説明するのは秘匿事項Aなのでご容赦ください……くすくす》
「バレッタさんが良い人……形すぎて辛い。あと早撃ちと罠は必殺技とか能力の範疇に入るんでしょうか……? ファンタジーに毒されすぎか? 立派なスキルとして履歴書に書けますね。軍隊の、ですが」
秘匿事項らしいので彼女のスキル全てを鏡夜が知ることはないだろうが。あと狂言の鏡とかいい感じの解釈をされていた。別に二重の意味を併用する意図はなかったが、ハッタリをきかせるのに悪くはないな、と思い直す。
鏡夜はとりあえず、素晴らしい必殺技ですね、尊敬します、じゃあ寝ます。とあたりさわりのない文章を送ってPCを桃音に返した。
「じゃあ、おやすみなさい、また明日」
鏡夜はあくびをしながら、自室へと引っ込んだ。
(《鏡現》、ねえ)
技名を叫んで鏡を作り出す自分を鏡夜は想像したが、似合ってなかった。
〈契暦1000年 1月2日 午前〉
朝起きて、カーテンを開いて外を見る。下の地面にはブルーシートが敷かれていた。
今朝の桃音は両手にノミとトンカチを持ち、椅子を制作していた。その細工はウッドハウスや原っぱの小屋にあったものに酷似していた。
どうやら、家具の多くは桃音の手作りであるらしい。
(昨日は絵を描いていたし、モノづくりが趣味なのか?)
鏡夜はリモコンをカチャカチャと操作する。すると自室の窓がスーッと空いた。早朝、冬の新鮮な空気が部屋に吹き込んでくる。
「桃音さーん」
鏡夜が窓から呼びかければ、彼女はトンカチもノミも椅子もすべてを地面に置いたまま自宅へと跳躍した。鏡夜は桃音を迎え入れるために玄関へと向かった。
さて、今日の始まりである。
再び決着の塔攻略支援ドームに訪れると、そこは昨日と打って変わって閑散としていた。広い広いロビーは無人。受付にはバレッタしかいない。バレッタは鏡夜たちを確認すると、丁寧にお辞儀をする。
「くすくす……しばらくお待ちください」
「あ、ちょっと聞いてもいいですか? バレッタさん」
「くすくす、はい、なんでしょう?」
今こそ質問するチャンスである。華澄がいるならば決着の塔攻略に全能力をつぎ込んだ方が有意義だが、いないのなら疑問に思っている点の一つくらいは失くしておいた方がこの世界で生きていく上において有益である。
「人類と人外の違いってなんなんですかね?」
「――……」
あのバレッタが。いかなる問いにも軽妙に、歌うように応えるバレッタが一瞬フリーズした。
「バレッタさん」
「灰原様、結論から申し上げますと。お答えすることはできません、くすくす」
「……わからないじゃなくてですか?」
自分の性能では不可能なことをはっきりと表現するバレッタにあるまじき説明役の放棄だった。目を驚きに開いている鏡夜へ淡々とバレッタは語る。
「くすくす……人類と人外の違いはタブーです。なぜならば、それは戦争の原因になるからです。なので、この千年、誰も人類を自称しませんし、人外を自称もいたしません。言えば対立をするからです。そして誰かを人類とも人外とも称しません――言えば、敵対するからです」
朝日が眩しくラウンジを照らしている。その穏やかな光に照らされて、バレッタは言った。
「この千年、分類においての人類と人外は存在しません」
「…………………あの」
「くすくす、はい」
「この塔は人類と人外の代表を選んで、競争してるんですよね?」
「はい」
「なのに、この世界には人類と人外が―――いないのですか?」
「はい、誰も口に出さず書きもしなかった問いであるがゆえに。もはや純粋な人類も人外もほぼ存在しないが故に」
「実際に、見てわかる人類がいて、見てわかる人外がいるのに? おかしいと思わないんですか?」
「思っておりますよ、ただ、それを誰かに問い、あちらに人、こちらに化生ということになり――万一、争いになってしまえば、天照使が全てを吹き飛ばしてしまいます。そもそも突き詰めるという行為自体が、未だ出来ないのです。遺伝子の中に人類の要素があるならば人なのか。それともただ外見で決めるのか。ええ、自由意志のある生き物ならば気になって当然です――〈契約〉上、問えませんが」
「く―――」
(――るってやがる。これが〈歪み〉か)
代表がいるのに当事者がいない。団体がいない。分類がない。虚像にして虚妄だ。狂ってる。こんな気持ちのいい朝の光に照らされながら直視する闇ではない。
「なので――私以外に、その問いはすべきではありません。そして私は人類と人外については口を噤みましょう」
「スライムが何かも?」
「スライムさんはスライムさんです。粘体で不定形な形をしていることを共通性質とし、さまざまな特質を群れごとに持つことで知られています。それ以上は何も」
そこまで言ってスライムが人外か人類かを言わないのか。自明の理としか鏡夜には感じられないのに。だが確かに、烏羽氏にはほぼ確実に、人類の血が混じっているのだから、断言できるはずもないのか。
鏡夜は呻くように言う。
「……私は人間ですよ」
「でしょうね。人間とは人の形をしていることだけを指しますから。それ以上は、何も」
「そう、ですか」
鏡夜は吐きそうな気分になりながら沈黙する。著しく直感に反し、感覚に反する。ディストピアな側面をまざまざと実感してしまった。誰もが熱狂し熱望してるのに誰も当事者ではなく代表者しかいない? 狂ってる。この〈契約〉を考えたやつに人の心も人外の心もないんじゃないか、とすら鏡夜は思った。
「くすくす……よろしいですか? では、我が主を呼びますね」
バレッタは腰から伸びるコードを指さしながら、嫋やかに佇むだけになった。
鏡夜がどうにか表情を取り繕って不敵な笑顔に変えて数分後、奥から来た華澄とも合流する。
「おはようございますわ」
「おはようございます。で、『カーテンコール』、どこまでわかりました?」
鏡夜が期待しながら聞く。明るい話題が聞きたい。障害は少なくなればなるほど良い。首謀者まで国家権力で無力化してほしい。
華澄は淡々と言った。
「つぎはぎの空っぽでしたわ」
「というと?」
バレッタが引き継ぐように語る。
「くすくす……右腕のシリンダーは米国。左腕のシリンダーは泰国。制御盤はまさかの契国の聞いたこともないような工房へ注文が入っておりました。特に頭脳部分なのですが……受信機でした」
「しかも〈生体〉の、ですの。つまり外から遠隔操作で動かしていた、というまさかの解答ですわ」
華澄はバレッタを遮って言った。よほど自分から言いたかったのだろう。さらに続けて華澄は説明する。
「恐らくですが、神の領域ですの。攻略支援ドームは電波通信を完全遮断しておりますが……生体通信は遮断しきれておりません。単純なセキュリティホールですわ。あるいは意図的なのかもしれません――ああ、いやだいやだ。信用ならないクライアントなど、仰ぐものではありませんの」
「くすくす……神話体系の割り出しから初めております」
鏡夜は驚いたようにバレッタを見る。
「え? バレッタさんそこまでできるんですか?」
「くすくす、私は純機械人形なので仕様外です……」
流石に神代の技術を網羅するほどではないらしい。一年前まで見通せる。千年前までは届かない。パストリシアはそういう人形だ。
華澄が言う。
「ま、そこはプロに任せてますの。――アルガグラムの人形使いが、神話に手を出す……。なんともなんとも、何があったのやら、ですの」
〈刈宮食堂〉ではモーニングコートの薄浅葱がスタスタと歩き回っていた。彼女の頭の上には真っ黒なスライムが乗っている。烏羽だろう。
夜会服のスカーレットは角の机に脚を組んで薄浅葱をやれやれと言った様子で眺めている。他に人の姿は見えない。
「ああ、おはよう」
スカーレットは鏡夜たちに短く挨拶をする。そして、目の前を通り過ぎようとした薄浅葱の襟首を捕まえて、持ち上げると前の座席に放り投げるように座らせた。
「わっぷ。……ソア。レディは丁重に扱うべきじゃないかい?」
「別にお前が望むならそうしてもいいが……来てるぞ」
「おっと。思考に没頭しすぎていて気付いてなかった。ごめんね。おはよう!」
「おはようございます、薄浅葱さん、スカーレットさん、烏羽さん」
「んむ、頭部の冷却ジェルに挨拶するとは感心感心」
ぬるりと漆黒スライムが蠢く。スカーレットは呆れたように言った。
「ミスターカラスバ、自分から冷やすと志願したのに、重いジョークに悪用するのは感心しないぞ」
「お前はアレだのぉ。センシティブな問題に過敏すぎる。誰も望まぬ義憤など扱いに困るだろう」
「ソアはこういう正義感があるからいいんだよ。わかってないなぁ。叔父様は」
「仲がよろしいようで……」
鏡夜は朝から言い合いをする勇者ご一行へ感想を漏らす。
変人ばかりで困ったものだ。
それも無理からぬ話だろう。決着の塔挑戦者というのは、世界の代表だ。埋没する群衆の一人であるわけがない。〈英雄〉久竜晴水は割と普通だったが、実際はどうだかわかったものではないし、ほかの二組もきっと面白博覧会に違いない。あんまり会いたくはない。
薄浅葱は場にいる全員に言った。
「じゃあ朝食を奢ろうじゃないか。ああ、でもあんまり食べたらだめだよ? 油断大敵。消化はエネルギーをいっぱい使うし、胃の中は上下運動でぐるぐるする。僕も推理前は軽く空腹を保つことにしていてね……」
「そうですわね、銃弾でお腹が破けた時、消化途中のものがまろび出ると感染症の危険が――」
突然華澄の不意打ち殺伐発言に、鏡夜はげんなりした顔をした。
「食欲なくなるんで、ちょっとやめてくださいよ‥‥…」
「なら好都合ですわ」
(こいつ自分は健啖家のくせにいけしゃあしゃあと……!)
薄浅葱が食堂の職員に声をかけると、すぐに朝食が運ばれてきた。緑茶と……。
「おにぎりですか?」
「やっぱり契国の軽食と言えばこれだよね! 本場のは美味しい!」
人数分(バレッタは除く)のおにぎりがテーブルに並ぶ。
「具は……」
「全部鮭だよ」
全部○○にするという主張が強い。昨日と同じだった。スカーレットはびっくりした様子で言った。
「お前、いつの間に」
「食堂を歩き回ってたらちょうどコレリエッタくんとすれ違ってね。知ってるだろ。声注文もできるんだぜ。……いいからソアも食べなって! 入鄉隨俗!」
コレリエッタとは四つ足のウェイトレスロボのことだ。
スカーレットは薄浅葱へ淡々と言った。
「ローマにいる時はローマ人がいるようにせよ」
「くすくす……郷に入っては郷に従え、です……」
バレッタの解説でようやく言いたいことがわかる。つまり契国にいるんだから契国風のものを食べてみろ、と。
(インテリの会話だぁ……全然わかんねぇ……あ、でもローマ云々は聞いたことある)
この世界とかつての世界は似ているようで違い、違うようで同じだ。この慣用句も、同じものの部類なのだろう。鏡夜はおにぎりを頬張る。親しんだ海苔と米と鮭。
このおにぎりが土塊と海水で出来るのだから、神話というのは次元違いだ。鏡夜は追加して世界違いでもある。
(大胆に違う部分も結構あんのに、こういう、だいたいのものは日本なんだよなぁ……!!)
軽食だったので、鏡夜はあっという間に食べ終わった。緑茶で口を潤しながら鏡夜は小さくおにぎりを食べる薄浅葱に話しかける。
「そういえば昨日ボロボロになった久竜さんたちを見ましたよ」
「なるほど、だからいなかったのか。どれくらい負傷してた?」
「久竜さん以外の方は担架に乗せられていましたねぇ」
「あらら、じゃあ人外四天王と同じで、一か月は脱落かなー。『カーテンコール』の時、英雄くんたちは逃走できたのに、引き際を間違えちゃったんだね!」
「致命的では?!」
「え? なんで? 魔王くんも英雄くんも当事者は残ってるよ?」
「ですけど、一人だけでは大変では? 競争なのに、一か月も遅れが出るとは」
「んー……気持ちはわかるよ。焦ってるんだね、灰原くんは」
「は?」
どうしてそこで自分の話になるのかわからず鏡夜は素で聞き返す。薄浅葱は気分よく言った。
「だからー、君も英雄くんも焦ってるって話。気持ちはわかるよ。僕は百階から二百階か――ってあたりはつけてるけど。僕の予想にしたって結局ただの妄言と同じさ。ダンジョンの中を見てもいないんだよ? 証拠もなく何かを主張するってなにそれ? って感じ。実は一階かもしれない。三階かもしれない。焦る気持ちはわかる。僕は焦ってないけど」
焦ってるから〈英雄〉は『カーテンコール』が倒されたその日にダンジョンに入ったし、焦っているから鏡夜は他の挑戦者に自分を重ねて、一か月は致命的なのでは? という疑問を抱いたと。言いたいことはわかる。言いたいことはわかるが。
(お前が焦ってないのはやる気がないからだろ)
とんでもない欺瞞ガールだった。釈然としない気持ちになりつつも鏡夜は緑茶を飲み終わる。
薄浅葱もおにぎりを食べ終わって、少し冷めはじめていた緑茶をごくごくと一気飲みすると、ピシッと人差し指を突きつけて言った。
「【決着の塔】に行こうか。ついてきてよ」
「薄浅葱、口元に海苔がついてるぞ」
スカーレットは薄浅葱の口元をハンカチで拭った。
「ああ、ありがと」
(なんだろうなぁ、すっげぇ不安になってきた)
人にお世話されているという事実・やる気がないという事実はなんら能力の評価を左右しないということはわかっている。印象だけで人や物事を評価するのは馬鹿だということも理解している。
その上でどうも感覚的な部分だと薄浅葱に不安を覚える鏡夜だった。
〈決着の塔 第一階層 【荒野】〉
赤いカーペットが敷かれた塔入口を抜け、扉を開けて階段を上がる。その先は荒野だった。
広大に広がる殺風景な景色。乾いた土の香り。晴天の空。過ごしやすい温度。
それを味わった瞬間――階段から外へ一歩踏み出した瞬間に、巨大なストーンゴーレムが鏡夜たちの目の前に降り立った。
(ひえっ……)
鏡夜は恐慌しつつも、外面上はニコニコしながら飄々とゴーレムを眺める。
ゴーレムの大きさは……大きさだけは『カーテンコール』と同じだった。
威圧感たっぷりに鏡夜たちの前に立つそのゴーレム。それに向かって行ったのは桃音だった。
スカーレットが桃音の後に続こうとした。しかし、薄浅葱が右手を振ることでスカーレットを自分の隣にとどめ……鏡夜は何もしなかった。紅い瞳はストーンゴーレムの弱点を明らかにしている。
弱点は、大量にあった。適当に打ち込んでも弱点を突ける。鏡夜はいきなりの出現にびっくりしただけに過ぎない。
一言で言えば、不語桃音の敵ではないのだ。
ゴーレムはグワァッと桃音へ拳を叩きつける。
桃音は片手でその拳を掴み、捻り、石でできた全身を地面に叩きつける。砂ぼこりが舞う。桃音は空いたもう片方の手を使い、眼前で地面に半身が突き刺さってるゴーレムの頭を掴むと、力任せに腕を押し込み、肩まで突き入れた。そして、中にあった核を握りつぶして、粉砕した。
『カーテンコール』と違って生体兵器であるゴーレムは内部から赤い血しぶきを噴き出して――ブシュウ、と蒸発して消え去った。あ、こんな消え方するんだ、と鏡夜は思った。
薄浅葱はどうでもいい石ころを見るような表情で呟いた。
「ストーンゴーレムってああいう倒し方するんだっけ?」
「契国最強の個人とその他大勢を比べるのは間違ってると思いますの」
華澄の言へスカーレットは呆れたように言った。
「にしたって、なんでゴーレムと力比べしてるんだ……?」
「そんなこと言ったら桃音さん、『カーテンコール』相手に動きの激しさで勝負出てましたけどねぇ」
鏡夜はしっかりと覚えている。いきなり大ジャンプをかまして焦らしてくれた上に、着地した瞬間に猛ダッシュで移動した『カーテンコール』を追いかけて蹴りをかましていた。一応全員が協力してはいたが、一番異常だったのは桃音だ、と鏡夜は自分を差し置いて思っている。
薄浅葱はびっくりしたように鏡夜を見た。
「うっそだろ。『カーテンコール』ってさぁ契国軍も僕ら以外の挑戦者も、機動力で蹂躙したんだよ? 君達おかしいんじゃないの?」
「まぁまぁ、勝てば官軍ですし?」
「結果論ー。……まぁいいや。強いに越したことはないよね。さぁさぁ、調査しようじゃないか」
薄浅葱が早足で先に進むのをのんびり追いながら鏡夜は考える。
(ゴーレム、ゴーレムね。たしかに生きている機械って感じだ)
じゃあここに出てくるモンスターが全てゴーレムか、……というとそうでもなかった。
次に背後から襲ってきたのはかなりグロテスクなことになってる犬だ。鏡夜は襲い掛かってくるその犬を気配で認識し、背中側に《鏡現》を出すことで防ぐ。そしてその《鏡現》を消すことなく、鏡ごと後ろ回し蹴りで犬を攻撃した。蹴りと破片になった鏡が腐った犬の全身にダメージを与え、ふっ、と幻のように《鏡現》も犬も消える。
(モンスターってかクリーチャーだな)
生体機械という言い回しでイメージしきれていなかったが、要は生体兵器か。生物兵器だとウィルスや菌を意味するので必然的にそう解釈する。
つまり神代とは生体兵器をばんばか突き合わせて戦争していたらしい。生命倫理が壊れそうな歴史的事実だ。
「ストーンゴーレムにゾンビドッグ? 無知な学生がイメージするダンジョンかな?」
薄浅葱はニヒルに鼻を鳴らした。
「うん? なにかおかしなことでも?」
「というより、ありふれてるかな。欧妖連合の村落跡地に徘徊してる警備生体機械はテレビでよく映像流れてるしー。そりゃ一般人は冒険の障害、モンスターだ! って有難がるけど。当時の感覚を現代に例えるなら、カタログで買える防犯機器みたいなのだよ。少なくとも契国で見るようなものでもないし恐れるものでもないね」
ゴーレムはともかくゾンビドッグが家庭防犯器具として一家に一台徘徊する住宅街を、鏡夜は想像してみる。
「もしかして神代って地獄だったんですかね」
「当たらずとも遠からず!」
薄浅葱はシニカルに笑った。
話しているうちにモンスターが襲ってくる。しかし、鏡夜が何のモンスターか確認する前に銃声がして、そのなんらかのモンスターが弾け飛んだ。鏡夜が見ると、バレッタがレールガンを背中回しに抱えてくすくす……と笑っていた。銃口からは煙が昇っている。
そのバレッタに華澄が言った。
「観測してくださいまし。わたくしたちの前に〈英雄〉さんが、来ておりますの」
バレッタは頷き。くるっ、と軽やかにターンして言った。
「くすくす、どうやら、久竜様たちはこの階段を中心に探索していたようです。北へ行き、ここへ戻り、西へ行き、そして戻って東に行って。戻ってきておりません。東へ行った先が彼らの全滅でしょう。観測なさいますか?」
その場所へバレッタが赴かなければ、観測できない。つまり、バレッタは東へ行くか? と聞いていた。依頼主である薄浅葱は、即答した。
「やだ。行きたくない。見れる範囲に行ったら首ちょんぱとかになったらやーだー」
(子供か)
薄浅葱は小学生と言われても通用するほど小柄である。
しかし、と鏡夜は改めて荒野を観察する。まず思うのは。
「広くないですか? たしかに塔は私や神様の正気を疑うほどに高かったですけど。太さはここまでではなかったはずですよ」
決着の塔は巨大だった。けれど、その巨大さ以上に荒野は広かった。現在地から三百六十度遮蔽物なしで地平線が遠く見えるのは奇怪だ。
東の地面と空の境目。朧げになった地平線、あのあたりには〈絢爛の森〉があるはずなのに。
「くすくす。塔の太さは五百メートルですよ。……恐らく空間を操っているのでしょうね……」
「また大層な……」
空間操作もさることながら実際に数字で認識するととんでもない。五百メートルの太さで五十キロメートルの高さの建築物とか、風が吹けば想像の中でも倒れそうである。
だが、納得はできる。明らかに面積は塔よりも広くなっている。バレッタは言った。
「くすくす。大規模な異界化です」
薄浅葱は興味を薄っすらと感じさせる理知的な口調で話す。
「【聖域の塔】を後から異界で塗り替えたんだろうね。本来の【聖域の塔】ならセキュリティが甘すぎる。ローラルなみの防衛機構があってしかるべきだ。つまり今僕たちがいるフロアもまた天照使のように、〈契約〉によって何かがどうにかなっているわけだね。ああ、【聖域の塔】はいったいどんな遺跡だったんだろう」
鏡夜はなるほど、と頷く。別に勝手にやったらいい。鏡夜にとって必要なのは〈決着〉であって、〈契約〉ではないし。【聖域の塔】でもない。
本当に薄浅葱は【決着の塔】に合わない女である。そんな薄浅葱にスカーレットは言う。
「そして、〈決着〉も手に入れるんだ。そうだろう? 薄浅葱」
「ん? ああ、そうだねソア。僕たちのお題目だ。――血が通ってないけどね」
「尊い願いだろう。不満があるのか?」
「まさか! 灰原くんは、どうおもう?」
華澄が以前言った貴方たちだけが真っ直ぐでしたの、というセリフが鏡夜の脳内でリフレインする。
鏡夜はちょっと考えて当たり障りなく返す。
「私にはなんとも。ただまぁ、平和は尊いですよ。間違いなくね」
「尋常じゃない胡散臭さだな」
スカーレットに胡散臭いと言われて、不服そうに口を尖らせる鏡夜。
「ひどいなー。私、本心で喋ってますのに……?」
本当に。虚勢は張ったが平和と日常が尊いというのは、奪われ尽くした身として当然の思いと言える。胡散臭いとは、なんとも不当な評価だ。しかし舐められるよりかはマシなので言い訳はしないでおいた。
東は危険区域で北と西は探索済みということになり、なら南に行こうという話になった。バレッタを使えば〈英雄〉パーティの道筋をたどって安全にいけるが、面白いものがあるとは思えない……とは薄浅葱の談。
様々な生体機械たちが立ちふさがるが、バレッタの鉄火と桃音の膂力であっ、という間に殲滅される。護衛任務も何もなかった。
モンスターは飛び道具を使わず、バレッタは通常人類どころか力自慢の種族すら呆れるような重量のヘヴィーウェポンを振り回しており……射程距離は地平線まである。端的に言って、一方的な虐殺だった。
空から突然降ってくるストーンゴーレムも、射程に入ればただの的である。
撃ち漏らしがあったとしても意図的であり、桃音が四肢を振るって即座に肉塊に変え、モンスターは消え去っていく。
無闇に広く地平線も遠かろうと、不定期に襲われようと、桃音とバレッタが秒殺するので華澄にもスカーレットにも、もちろん薄浅葱にも活躍の場がなかった。
鏡夜も最初に遭遇したゾンビドッグ以外に戦闘範囲に入る者もいないので、暇をしていた。
(出番がないのはいいことだ!)
「薄浅葱さんは戦わないんですか?」
鏡夜は勇者という勇名を持つ彼女へ話しかける。自身の代わりに最低限は何かをしてくれればラッキーだ。やる気がないのは知っているし、むしろやる気がない方が嬉しい。守護対象だなんだと華澄と決めたのも忘れてはいない。
が、それはそれとして、たった今現在鏡夜の代わりに頑張ってくれればそれも嬉しかった。
薄浅葱は呆れたように言った。
「おいおい、探偵を捕まえて何を言っているんだい? ――というか、必要ないだろう、君たちがいるんだから。はっきり言うけど、戦闘能力はぶっちぎりで君たちが一位だよ。僕が言うんだから間違いない――ただ個体性能で言うなら、魔王くんは強いかな?」
「強さだけじゃないですわ。この任務は」
同じく暇そうに――と言っても気を抜くことなく鋭い視線でダンジョンを観察していた華澄が酷薄に告げた。
「というか――強さで済むだけなら代表制など不必要ですの。完全無欠のフリー入場であるべきですわ。中途半端で――どっちつかずで――なんとも浪漫が足りませんの」
なるほど、彼女が魔王と組まなかった理由は〈強さだけではない〉に繋がるのかもしれない。おそらく華澄は鏡夜よりも思考が深く、鏡夜よりもシビアだ。そんな判断を下すこともあるだろう。鏡夜が軽薄だとしたら、華澄は酷薄だ。相性は良いかもしれないが――まったく違うものでもある。
荒野を進んでいるうちに薄浅葱は完全に集中してしまったのか、ぶつぶつと整理するために独り言を垂れ流しはじめていた。
「んー。空間がひろーい。広すぎなくらいだ。高さを再利用してるのかな? 五十キロメートルの高さを分解して、広さに展開している――思ったよりも階層が少ないと見ていいかな。入った途端に初手威圧感たっぷりのゴーレムってことは、恐怖を乗り越えろ。たぶん、ニュアンスとしては試練に近いな。競争なのに、試練? というか方向がわからない……指針もない……右往左往で鍛錬熟練、たいていの重要施設系ダンジョンの、ここに不法侵入するお前を殺すって構造でも」
薄浅葱の目の前で、ゾンビドッグの頭がバレッタの無反動砲で飛び散る。薄浅葱はその状況に無反応のまま言葉を続けた。
薄浅葱色の瞳にはしっかりと弾と肉片が舞う姿が鏡のように映っているのだが、注視すらしていないらしい。
「ないなぁ……」
スカーレットは気色を変えてバレッタへ怒鳴った。
「おい貴様ァ! いきなり化け物バズーカを振り回すな!! 薄浅葱に当たったらどうする!?」
「くすくす……安心してくださいませ。倫理コードにおいて不慮の殺傷は禁忌事項なので……つまり事故を起こさないということです」
「偶然の、不確定の、失敗を、絶対にしないなんてマニュアルに組み込めるわけがあるか!」
スカーレットとバレッタが言い争いをし始めたため、殲滅は桃音のみがするようになった。とはいえ戦力及び対応力としては相応だ。難易度が低いのか、桃音が強すぎるのか、比較対象である『カーテンコール』が難所過ぎたのか。恐らく全部だ。
薄浅葱はマイペースに推理を続けている。
(冒険ってこういうのだっけ)
この世界の冒険など鏡夜は知らないが、難易度地獄の超難関ダンジョンとはなんだったのか。
鏡夜の視線の先で薄浅葱は片足で確かめるように地面を何度も踏みつける。
「〈荒野〉の再現度が高い。……ダンジョンのためのダンジョン。最初から迷宮として作られたダンジョン? わおわお、ミノスを思い出すねぇ。ただただ、だだっ広いだけのサバンナ……んん?」
薄浅葱は空を見上げた。パッと彼女は顔を輝かせる。
「テクスチャが荒い!」
「なんのですか、なんの……」
と鏡夜も青空に目を向ける。白い雲と青い空―――の、絵だった。
「あ、そういう」
屋内で無限の空があるわけがない。〈荒野〉は塔の体積を再利用したものに過ぎない。広さにも高さにも限界があってしかるべきだ。薄浅葱の喜びようを見るに、空に何かあるのかと鏡夜が注視する。ぎらついている太陽も作りものだ。眩しくはあるが温かみなどありはしない。ダンジョン外の空気よりかは暖かいが、荒野らしい灼熱などかけらもない。
白い雲も流れずその場に―――。
(あー? っとなんだありゃ)
鏡夜は空にある白い雲の一つに妙なものを見つけた。
「というか、緑色ありません?」
「え? どこだい?」
「ほら、白い雲に」
鏡夜は白い雲を指さす。薄浅葱は手袋の指先をたどろうとするが、鏡夜と比べるとかなり小柄のため、目線が合わない。鏡夜はどうぞ、と薄浅葱の身長程度、屈む。薄浅葱は鏡夜にひっつくように、彼の肩の上に顎を乗せて、指先が示す緑色を見た。
そう、白い雲の一部分に場違いな緑色の点があったのだ。
「あ、ほんとだ! 面白そう! いこう!」
薄浅葱は鏡夜の背中をとんとんと叩いて、はやくはやく! とせかす。なるほどなるほど、こういったことになるとワクワクするのか。そして決着の塔の攻略には関係ない。寄り道が楽しいがメインストーリーをまるで進めないタイプ、と。鏡夜は一人納得しつつ薄浅葱に応える。
「はいは―――」
だいぶ肉感たっぷりのサソリのようなモンスターが薄浅葱の方へ飛んできたので、鏡夜は鏡を作り出して彼女を守る。ベチィッ! と音を立てて体液をまき散らし消失するモンスター。
鏡夜は鏡を消しながら飛んできた方向を見た。桃音と華澄が別々の方向を見ながら警戒をしている。バレッタとスカーレットは別方向にいて、掛け合いをやめたのか、どうした? と鏡夜と薄浅葱を見ている。
「………」
「ああ、たぶん桃音さんですかねぇ」
モンスター退治に飽きたから八つ当たりを兼ねた合図だろうか。本当にやばい人間である。
「…………」
薄浅葱はちょっと引いていた。スカーレットは首をかしげて薄浅葱に言った。
「お前が黙るなど、珍しいな。思考に集中すればするほど喋るくせに」
「……なに、僕はお淑やかな女だから。少し沈黙したまでだよ」
薄浅葱は桃音と華澄の方を見ながらスカーレットに応えた。まぁ、合図が出たのなら仕方ない、鏡夜は桃音に声をかける。
「すいません桃音さーん、代わりましょうか?」
鏡夜はアクロバティックに岩石の身体を持つサイに踵落としを決めて真っ二つに割ると、桃音へ近寄った。すれ違うように鏡夜はモンスター退治係になる。代わりに桃音は静かに薄浅葱の傍に佇む。
「小さな緑の下まで移動しようかー」
薄浅葱が調子よく言って、綠色の点がある雲の下へ移動し始めたので、鏡夜も合わせて行動する。
周囲を警戒する鏡夜の五感はかなり強化されている。襲い掛かる可能性のある多種多様なモンスターたちへ鏡夜はイヤイヤながらも率先して対応する。
が、大抵ワンパンチ、ワンカットで済んだ。
例えば巨大ハエ型のモンスターが襲ってきたとしよう。
ワンパンをかませば手袋の効果で状態異常発症。地面に落ちて動けなくなったハエの首を《鏡現》のサーベルでワンカット。
生物に対する必殺技とはわかっていたが、実際に活用すると流れ作業極まりなかった。率先してやったところでレベルアップとかしないけど、鏡夜が駆除係になるのが一番安定するのだろう。
しかし、率先してやりたいと思うほどでもない。艶やかな鏡の刃によって無抵抗に切り裂くだけの、面倒な作業だ。
あっという間に、綠の小さな何かがついてる白い雲の下に着く。当たり前だが空は遠い。
「どうする? 飛行系の備品なぞないぞ」
スカーレットの言葉などなんのそのとばかりに、桃音はピョンピョンと飛び跳ねている。目元が隠れている感じの陰気な女性がしている仕草としては異質だ。どんどんとジャンプの高さが上がってきている。薄浅葱は首を桃音へ合わせて上下に移動させながら言った。
「高いなぁ。呪われているとはいえ、人間の身体の割合がかなり高いだろうに」
「私も身体能力なら彼女ぐらいはいけますよ」
「君は……君もか。神に呪われた人をバンバン見るのも珍しいね。組んでるなら尚更だ。」
桃音のジャンプを眺めながら、鏡夜はかつて、自分がステージホールにて大ジャンプからの空間に固定された鏡を踏んでステップした自分を思い出した。
そして閃く。
「あのー……」
鏡夜はおずおずと提案した。
鏡夜は《鏡現》で段差を作り、螺旋状の階段に作り出しては消していく。そして昇る昇る。
「便利だねー、やっぱり能力は便利なのが一番だよね!」
薄浅葱は元気いっぱいのわんぱくな少女のように軽やかに階段を上がる。小柄な彼女に合わせて緩やかな階段にしたとはいえ、本当に落ち着きがない。
「お褒めいただき幸いです」
「スカートで昇るのは、適さないな」
「え?」
スカーレットが突然妙なことを言うので、鏡夜は聞き返す。
「ミスターハイバラ。命が惜しいなら下を見ないことをお勧めしよう。私と白百合は服装上、下着の対策はしているが、ミスカタラズはしていないようだ」
「何見てるんですか貴女は」
「おい、なぜ私が責められる。同じ女だぞ」
鏡夜はうっかり下へ向けてしまいそうな視線を全力で上へ持っていく。なぜか頭部に不可思議な重力を鏡夜は感じた。意地と虚勢で塗り固めているだけで本質はめちゃくちゃ軽薄なただの男子学生なのだから仕方がないということで一つ。
高い高い階段をひたすら徒歩で歩くこと三十分以上、ようやく天井付近まで到着する。誰も疲れてはいない。鏡夜だけは気疲れをしていたが。
薄浅葱はうきうきとした様子で口を開く。
「こういう風に、通常行けない箇所にある秘密は、かなり重要なものが隠されていることが多い。神が溢れ、生命操作技術が隆盛を極めていた千年前も、機械技術が先鋭化し続ける今の時代も変わらない」
鏡夜は片眉を上げる。
神代はファンタジックなアレソレがあるわけではなく、生命操作技術なのか。薄々理解していたが。つまるところこの世界はファンタジーのエッセンスがあるだけで本質的には最初から最後までSFのようだ。
「さぁ、て。なんにもないけど、鍵はあるかなー。……灰原くん、地面をいっぱいくれよ」
「はいはい、仰せのままにっと」
鏡夜がパチンと指を鳴らすと、縦四メートル横六メートルの《鏡現》の床が出現する。薄浅葱は天井を見上げたままフラフラと歩き始める。
「おい待て!」
スカーレットは上を見上げたまま鏡の床の縁へ向かう薄浅葱の肩を掴んで止めた。
「まったく、油断も隙もないな貴様は……」
「ああ、ごめんごめん」
薄浅葱は上を見上げたまま気もそぞろに言った。鏡夜たちも薄浅葱に倣って上を見る。
青空……色の石が敷き詰められた天井だ。偽物の青い大気に、偽物の白い石でできた雲。
そして見えていた小さな粒のような緑色は。
「竹……ですね」
白い雲に、淡く光る竹が逆さまに生えていた。身長の関係上、手が届く鏡夜は恐る恐る触ってみる。手袋越しの感触でわかりづらいが、やはり竹だった。
薄浅葱は理知的な口調で言う。
「神代は信仰と生命操作技術を重ねたような価値観だった。つまり、僕らの目の前にある光る竹に信仰的、文化的アクションを起こす必要がある、さて何だろうね?」
「竹取物語では?」
「竹取物語なのでは?」
「……?」
鏡夜、華澄が揃って言う。桃音も追従するように首を傾げる。
「なにそれ、全然知らない。教えてくれるかい?」
薄浅葱はエウガレス人なので、竹取物語を知らなかった。なのでバレッタが説明する。概要を謳いあげる。
聞きながら鏡夜は思う。昔読んだのとまったく同じだ。鏡夜がいた日本の歴史と契国の歴史。同じものばかりなのにこんなに世界が違う。妙な話だ。
神が実在し、神が生命操作者であり、そして種族が多種多様に存在する。歴史に違いがあるはずなのに、まったく同一の物語があるのは、いったいどういうカラクリなのか。まぁ、わかったところで、【決着の塔】攻略の足しにはならない気もした。
薄浅葱は感心する。
「中に女の子、ねぇ」
「くすくす――翁が切った竹の中に、ですね」
「へぇ、斬るんだ。ものすごく直感に反するね。いい鍵だ。……ソアー」
薄浅葱の呼びかけに応じて、スカーレットは頷く。
夜会服の女性が剣で竹を切りつけるが、まるで刃が立たない。華澄も便乗するようにどこらかコンバットナイフを取り出し、刃でコンコンと竹を叩く。
「無理ですわね」
華澄も断念した。次に桃音が竹を蹴りつけて衝撃がぶわっと広がるが、微動だにしなかった。
「斬るって言ったでしょう。あとバレッタさん、機銃はしまった方が良いです」
二十ミリ口径の機銃を取り出そうとするバレッタを鏡夜は制する。薄浅葱は、悩ましそうに言った。
「重要過ぎるのかな。発動させるには、対になる何かが――例えば、『翁の鉈』とかが必要なのかもしれないね」
本物の専用の鍵が用意されているほどの秘宝が光る竹の中に眠る。なるほど、興味のそそられる話だ。服を脱ぐことが絶対優先事項の鏡夜であるが、お金を稼ぐのも必要な事柄だ。換金できれば、儲けものだ。文字通り。
「私もやってみていいですか?」
「もちろん、どうぞどうぞ」
鏡夜も挑戦することにした。床に使っていた一枚を消し、《鏡現》の鉈を手の中に作り出す。灰原鏡夜の紅い瞳で見たところによると竹の弱点は【単分子の刃】。聞いたこともない言葉だった。
(単分子ってなんだよ……)
単分子という用語に聞き覚えはないが、試すだけならタダだと、鏡夜は鉈で光る竹を叩き斬った。
「あ、いけましたね」
鏡夜の感慨の薄い呟き。竹がバターよりも無抵抗に切れたと感じた瞬間、空間がズレたことを鏡夜だけが知覚する。ズレに生まれた空間の断層に飲み込まれた鏡夜は別の場所にまばたきする間もなく移動していた。
鏡夜が立っていたのは暗い昏い夜。松明であたりを照らすような木造の神社。神秘的な場所。突然の肌寒さに身体を震わして。
そして、鏡夜の視線の先に、石棺があった。
明らかに石棺だけ違う。病的なまでに疵がない黒い棺が、本殿前に設置されている。
鏡夜はしばらく周囲を警戒したが、周囲に誰もいないことを確認すると独り言を呟く。
「……こっからどうすりゃいいんだ?」
竹を空けるのではなく、竹の中に入るとは。常識が通用しない。普通なら竹の中からお姫様が――。
鏡夜は脳内で思考しつつ棺に近づき、触れる。パッ、と棺から青白い光が降り注いだ。鏡夜はザッとその場から引いて戦闘態勢をとる。しかし光は鏡夜をつま先から頭の先まで無害に降り注ぐばかりだった。
石棺から、無機質な女性の滔々と喋る声がする。
〈うたてあるぬしのみもとにつかうまつりて〉
〈すずろなるしにをすべかめるかな〉
「かひあり――我が君」
最後の言葉は情緒豊かな少女の声だった。
石棺が開く。中から出てくると、ひたりひたりと少女が、鏡夜の前へと近づいてくる。涼やかな青みがかった白い髪。紅い布に白い藤、下には綠の肌着。少女は、鏡夜の前で立ち止まると、茶色の目を細めてにこりと破顔して両袖を持ち上げて挨拶した。
「お越しに寄りて――じゃなくて。起動してくれてありがとうね、我が君。月神おろし――じゃなくて、うーん、とちょっと待ってね、うんうん……月読社製女官型生体人形【かぐや】です! 末永くお仕えさせてくださいなー、みたいな!」
「……」
ぽかーん、である。鏡夜は意地を張ることも忘れて、十二単を極限まで薄く、軽くしてカジュアルなアレンジを施したような、蒼白い髪の美しい生体人形を唖然と見る。
「ところでなんですけどー、我が君」
「我が君って……」
「私が目覚めるまでに、ここまで言語体系の変化があったってなにがあったの? 原型がほとんどないじゃん」
「変化、ですか?」
「うん、起動メッセージもほとんど理解できなかったんじゃない?」
たしかに石棺が開いた時に、厳かに言われた。起動メッセージ。しかし――。
「理解できなかったってどういうことですか?」
「……んん? “我が君、私が言ってることわかるのなら、十、二十、三十って言ってみて”」
「? 十、二十、三十」
鏡夜はかぐやの頼み通り、数字を繰り返す。かぐやは納得したようにうんうんと頷いた。
「我が君、呪いで言語理解能力がついてるね!」
「え?」
「今私が言ったのは私の……デフォルト……そう! 古語で、我が君もそれで返してくれたんだよ、今」
「マジですか……」
まさかのまた新たな改造部分が明らかになってしまった。確かに意識してみれば自分が先ほど……いや、ずっと、現代日本語ではない言葉遣いをしていたことに気づく。しかも無自覚に。自然に言語を理解し、返答していた。
「? なんでへこんでるの? いいじゃん、たぶん言葉の壁で悩むことはもうないよ?」
異世界で何ら問題なく言葉が通じるのはこの呪いのおかげだったようだ。鏡夜はまったくこれっぽっちも気づいていなかった。今まで耳に入れていた言葉、目で読んでいた文字、口に出していた言語が全て、身体に対する改造でできたことだと知って、土台から崩れたようだ。
ぞわっ、する。何よりも、気づかなかったことが恐ろしい。違和感を覚えないほどに契語が日本語に聞こえていたし、英語も英語として理解できていたからこそわからなかった。
似通った部分も数多くあるこの世界、言語もそうなのだと自然に思い込んでいた。滑稽な話だった。
「それは、大変、素晴らしいですねぇ!」
鏡夜は気合を入れて、意地を張って、吐き捨てるように皮肉った。
かぐやはほわほわと惚ける。
「まぁ、今回はわからなかった方がよかったのかな? ひどいこと言ってたし」
「あ、ひどいことだって自覚はあるんですね」
「いろいろあってねぇ。あ、でも私個体は我が君に絶対服従。ひどいことなどなにひとつせず! この私こそが、全ての男子が夢見る理想の女官なのよ!」
桃音に出会って、全身が理解不能に変化していることと、異世界であることがいっしょくたに襲ってきたと同じくらい情報が大洪水で溺れそうだった。小出しにしてくれ、と鏡夜は世界に自分への優しさを求めるが……優しかったらそもそも現在の状況になっていない。
鏡夜は帽子に手をやりながら、ざっと考えて言った。
「私―、出口がどこか聞きたいんですけど、知ってます?」
尋ねたいことは無数にあるが、全てをひとまず置いていて。ここで話し込んだら荒野で待ちぼうけを食らっている彼女たちが悪い。もしかしたら鏡の保持には距離が関係あり、絵の空という高所から地面へ真っ逆さまに落ちているかもしれない。……桃音がいるならば、なんとかしてしまいそうでもあるが。戻る必要はある。
かぐやは、んー? とあざとい動きで袖を口元にやって首を傾げた。
「出口?……ここってどこ? 京じゃないの? んー、月から情報が下りてこないよー?」
「京? 私がいたところは塔京ですよ。西の京都じゃなくてね。そして、決着の塔というダンジョンにいたんですが……」
「んあーんあー。塔京……決着の塔……千年…契約……えたり、我が君、千年経ってるんだ……あぶなかったね! 我が君!」
「なにがです?」
「私の保証期間が一万年じゃなかったら朽ち果ててるところだったよ!」
「一万は長すぎません!?」
誰を対象にしてるんだ、と鏡夜は不思議に思う。話には出てくるが未だ詳細を知らない神様だろうか。かぐやは口の中でもごもごと言葉を転がすと、ニパッ、と日本人形じみた美貌に可憐な笑顔を浮かべる。
「出口、出口ね。任せなよ。私は遠見機能も搭載されてるから、ね!」
テンション高く、かぐやと名乗った少女は右手を掲げて指で丸を作るとそこを覗く。そしてキラリと目が光った。
「見える見える、保管空間の外に見える……! 美人の女の子四人とスライムと……なんだろ! 人の形してるけど生き物じゃない!」
「え? どんな方です?」
「なんか筒状のもの持ってる――生命反応零の鉄っぽい材質の――」
「ああ、バレッタさんですか。機械人形です。全員敵ではありませんよ」
純機械人形であるバレッタ・パストリシアは古代には存在しなかった。
「パストリシア、機械人形……わお! 技術発展! あ、我が君、出口は私のパッケージ後ろ、神社にある鈴蝸牛を叩けば出られるよ!」
「知ってるんだったら最初に言ってくれません? っていうか、スズカタツムリってなんで――」
鏡夜は石棺を避けてせかせかと神社本殿に入る。そして棚の上に置かれている、鈴を背負ってる蝸牛を見た。
「――スズカタツムリだ」
名は体を表していた。鏡夜は中指を親指で一旦抑え、弾く要領で解き放し、スズを鳴らす。チリーン、と音が鳴った瞬間、カタツムリが爆発四散し、神社も石棺も吹き飛び、空間ごと弾けた。
鏡夜は気づくと、元の位置に戻っていた。視線の先ではまるで大和撫子のようにかぐやが静かに立っていた。かぐやの後ろでは真っ二つになった竹が灰になってさらさらと下へ散って消えていく。振り向けば四人と一体の少女たちが事態を呑み込めていない困惑顔をしていた。
「……誰?」
薄浅葱が憮然とかぐやを見て聞いた。鏡夜は先ほど聞いたとおりに応える。
「かぐやさんですよ。生体人形だそうで」
「いかにも――もとい、はい! 月読社製生体機械人形【かぐや】よ! よろしくね!」
かぐやの名乗りに対する反応は劇的だった。全員が、バレッタさえも、驚いたようにかぐやを見る。ぱちぱちと瞬きして、バレッタが言った。
「くすくす……ヒット。〈月読〉の名前は文献にいくつか所在が。契国の神。大変やんごとなき神の名前です」
華澄は静かに言った。
「考古学的浪漫ですわ。灰原さん、あまり見せびらかせない方がよろしいかと。その方、人類人外の生命を数億引き換えにしても、なおお釣りが来ますもの」
(表現がやべぇ……え? 命を比較するほどに?)
「やだなぁ。命より大切なものなんてあるわけないじゃないですかー」
鏡夜の咄嗟の意地を張った戯言に、華澄は首を振った。
「残念ながら浪漫狂いのアルガグラムとしては、全面的には賛成できませんの。命の失われない、平和と日常が尊いという観念へは賛同しますけれど」
スカーレットは、二度、息を吸い込んでから叫ぶ。
「神代の、神が生み出した、生体機械人形だと!? 本物のロストテクノロジーじゃないか!!」
「え? 私以外にあんまり残ってないの? ポンコツねぇ。主を守れず存在し続ける従者とか廃棄物より劣るからわからなくはないけど」
かぐやはほわほわと、可愛らしく、淡々と反応する。機械的ではないが、人間味が薄かった。
薄浅葱は、まず疑問を口にした。
「あー、と、ちょっと聞いていいかな? 君、どこに献上される予定だったんだい?」
「はぁん? 言いたくないわ! 我が君だって男の人よ! 自分の所有物が、当初の予定ではどこかの馬の骨に捧げられるものだったとか、面白いことじゃないわ! もう、今は私の毛の一本から細胞の一個まで我が君のものだもの! それでいいじゃない!」
薄浅葱は、可愛らしく強烈な自負を語るかぐやに、納得して頷いた。
「……インプリンティング機能搭載か。主の変更も初期化もできないね。最高峰の生体人形特有の偏執性……うーん、悪いけど、灰原くん。君が良ければ、聞いてくれないかい?」
「ああ、かぐやさん、どこに―――……輸送される予定だったんですか?」
献上、と聞くことはしなかった。どうも、誰々に仕える予定だったという話はしたくないようだ。ただの言葉選びでしかないが、少しだけ気を利かせる。
「月読社への信仰を称え、老化防止薬と一緒に配送される予定でした我が君! 輸送方法は月から聖域の塔の頂点へと降ろし、地上から京都へです!」
「本当に月から来たんですか?」
華澄も会話に加わる。
「物語通りのかぐや姫ですわね、でも……ない話ではありませんの。月と契る日ノ本の国。日月の聖地。そこから転じて日月の契国。ああ、浪漫浪漫ですわ」
「くすくす。決着の塔は地球と月の貿易通路だったのです。その政治的な理由により、塔がある島国は非戦闘地域……〈聖域〉と呼ばれておりました」
バレッタの解説へ耳を傾ける。日月の契国に由来が。契約とやらがここで行われたから契約の契の字がついてると鏡夜は勝手に予測してたが……違うらしい。
「身も蓋もない俗な理由ですね。こう、神聖な何かがあるものじゃないですか? 聖域って」
「くすくす。神代には神聖さが溢れて飽和して争っておりましたから」
バレッタの薄浅葱的な(つまりシニカルで皮肉げな)言い回しに鏡夜は呆れたように返した。
「神聖とはいったい」
経緯を見守っていた薄浅葱は何かを掴んだらしい。説明するように言った。
「ああ、なるほど、聖域の塔――決着の塔へ降ろした後、一時的に保管されたのか。で、当時の都への輸送手段をとる前に、〈契約〉で神の大規模喪失、戦争の滅殺で世界が大混乱に陥り、そして塔は千年閉じられた」
「どうやって運んだんですか?」
「くすくす、灰原様、決着の塔の頂上は月の表面と繋がる超空間接続塔と言い伝えがございます……貿易塔ですね」
バレッタの締めるような解説案内に、薄浅葱はなんでもないように小さく笑った。
「うん。だいたいわかった。わかってみれば、なんてことはない」
それに激しい反応をしたのはスカーレットだ。
「なんてことないことなんてあるか! 薄浅葱。わかってるのか? 生体人形だぞ!? 未来観測型機械人形の、さらに数百倍価値がある本物の秘宝だぞ!」
「ソア、もう捕らぬ狸の皮算用……覆水盆に返らず、かな? もう彼女は灰原くんのものだ。変更はきかない。……きかないよね?」
かぐやは不機嫌に言い聞かせるがごとき口調で薄浅葱に返答した。
「きかないわ! 主を変える、仕えるのをやめる、もってのほか! 廃棄の際は自壊機能が発動して身体の欠片も残らないのでご安心! この私こそが、全ての男子が夢見る理想の女官なのよ!」
「と、かぐやくんが語ってくれたように価値を貨幣に変えるのは不可能だ。山分け――どころかおこぼれも無理だね」
薄浅葱はそう言って鏡夜を見た、スカーレットも鏡夜を見る。ずーっと黙っていた烏羽も鏡夜にまるっこい身体全身を尖らせて向ける。
(おうっ、ふっ……!!)
内心、苦虫を嚙み潰した気分になりながらも、鏡夜は帽子で表情を隠した。そして軽薄な口調で言い返す。
「やれやれ、仕方ありませんねぇ。何が欲しいですか? 事故なりに何か返しましょう」
「事故の面はあるよね。君に、大変都合の良い、事故」
薄浅葱の区切るような喋りに帽子で顔を隠したままたじろぐ鏡夜。するとかぐやは鏡夜の前に立って、薄浅葱を見返した。
「何か意見等ございましたら、私にお願いできる? 取捨選択の上、我が君に心労を与えないように、伝えるわ。たとえ、たたかふ――戦うことであっても」
「まさか! 僕は世界を滅ぼせる天使を相手にしてもハードネゴシエーションをしなかった女だよ! 君たちと争うなんてとてもとても。それに――貰えるものはあったからね。ねぇ、灰原――鏡夜くん、僕ねぇ、やりたいことがいっぱいあるんだ。これを縁にして、付き合ってくれるかい? ―――ねぇ?」
自分たちの仕事で、なにやら高価で、素晴らしい生体人形を手に入れたのだから、融通をきかせろ、と、つまりはそういうことだった。〈決着〉を明け渡せなどと言われたら断固拒否である以上、なんとも嫌らしいギリギリの線を責めてくる。
鏡夜にとって引き受けるしかない妥協点だった。
「ええ、ぜひとも、長い付き合いをしていきたいものですねぇ!」
灰原鏡夜と薄浅葱の最初の冒険。結果は報酬で、柵で――つまりは呪いだった。